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二心

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
ヤコブ4:7-8

ヤコブの手紙のテーマは、信仰と行いについてです。ここで言う行いというのは、善行をするかしないかというよりも、普段の生活の中で神様を意識しているだろうかと考えた方が手紙の内容を理解しやすいかもしれません。ヤコブの手紙が問題としているのは、1:8、4:8で出てくる「二心」です。善行を行うことは良い事であると誰でも認める所です。しかし2:8-10にある通り、ある人に良い事を行っても、他のところでえこひいきをするなら、その人は罪人です。律法の一つを守っても、他の律法を守らないならば、律法を守ったことにはなりません。私たちの実際生活は煩雑で、常に良い事だけをして生きている人は少ないかもしれません。しかし神を信じ歩んでいる人がそのような生活を続けて良いのでしょうか?というのが、この手紙の意図するところです。

手紙の著者ヤコブによれば、それは心の問題であるという事です。心が二つに分かれてしまっている状態なので、神様に対する賛美と、兄弟姉妹への呪いの言葉が、同じ口から出てきてしまいます(3:9参照)。人は心に無いことを口にはしません。また心に思ったことの無いことを実践することもありません。心の中に、苦い思いと、神様に対する篤い信仰が同居してしまっているのです。ヤコブは言います。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。」私たちはこの二つに割れてしまっている心を、神様に清めて頂く必要があります。

ヤコブの手紙は、よくパウロの手紙と対立しているかのように言われてしまいます。パウロの手紙は「信仰による義」を説いているのに対し、ヤコブの手紙は「行いによる義」を説いているかのように言われるからです。しかし、この二つの手紙は対立しているのではありません。一つの律法を守りながら、他の律法を守らないということは、ローマ2:21-23にも出てきます。パウロもヤコブも最終的に行き着くところは、人間はみな罪人であるということです。そしてこの罪の心、ヤコブによれば二心をきよめて頂かなければならないという点において、パウロの手紙も、ヤコブの手紙も一致しています。

私たちにとって自分が罪ある存在であると認めるのは、苦しいことかもしれません。しかしそれを認めない限り、神様に清めて頂くことはできません。神様の赦しと癒しを期待して、素直に自分の罪を認めて、告白したいと思います。そしてこの二心を清めて頂いて、常に神様にあって歩む生活をしたいと思います。それが私たちにとって素晴らしい祝福だからです。いつも神様への賛美を口ずさみながら歩んでいければ幸いです。

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マナセの悔い改めとバビロン捕囚

そこで、主はアッシリヤの王の配下にある将軍たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。
II歴代誌33:11-13

ユダの王マナセの治世は、南ユダ王国で一番長くなりました。彼の評価については、列王記と歴代誌で若干違います。II列王記21:1-18では終始神様に背いた王として描かれていますが、歴代誌では途中でマナセが悔い改めたことが記されています。マナセの前の王はヒゼキヤでした。ヒゼキヤの時代、ユダ王国はとても祝されました。ヒゼキヤは生涯、神様に従って歩んだ人でした。高慢になったこともありましたが、すぐに悔い改めることができた人でした。

しかしマナセは父親の道に歩まず、神様の背いてユダ王国を治め始めました。ヒゼキヤは神殿をきよめ、真の神様のための礼拝ができるように整えましたが、マナセはその神殿に他の多くの偶像を持ち込みました(II歴代33:7)。マナセはありとあらゆるまじないや宗教を、真の神様の礼拝と混ぜてしまったのです。ヒゼキヤの治世で、真の神様への礼拝に心が向いていた民の心は、マナセの行いによってとても惑わされることとなりました(33:9)。またII列王記21:16には、マナセがユダの民を大量に殺戮したとんでもない王であったことが記されています。マナセの故にユダ王国の未来(バビロン捕囚)が決まったように書かれているのです。

神様はそんなマナセに対して、アッシリヤを用いられました。列王記にはこの話は記されていません。アッシリヤから将軍たちがやってきてマナセを捕らえ、バビロンへマナセを連行したのです。マナセは、ヒゼキヤの時代に豊かになったユダの王宮を離れ、戦争に負けた捕虜としての屈辱を受けることとなりました。マナセはその苦しみの中から、神様に悔い改めの祈りをしたと思います。33:12-13に「彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈った」とあります。その様子をご覧になった神様はマナセの願いを聞き入れてマナセを救い出します。マナセをバビロンからエルサレムの王宮へと戻されたのです。マナセはこの出来事を通して「主こそ神であることを知った(33:13)」とあります。その後、マナセは遅ればせながら、国の改革に乗り出します。自分が神殿に持ち込んだ偶像を外に出して破壊しました。そしてユダの民にも、真の神様にのみ礼拝を捧げるように伝えたのです。マナセの改革は、列王記には記されていませんのでヒゼキヤの時のような大きな改革とはならなかったかもしれませんが、この後、王となるヨシヤの宗教改革の礎にある程度はなっていたかもしれません。列王記と歴代誌で、印象の異なる王様となっています。

マナセの悔い改めの記事が目を惹くのは、それがバビロン捕囚から帰ってきたユダヤの民と重なるからです。マナセはアッシリヤに連行されましたが、歴代誌では当時、アッシリヤの一つの町であったバビロンの名前が記されていることによって、読者にバビロン捕囚の事を思い起こさせています。ユダ王国の民は、マナセの後、50~60年ほどでバビロンに滅ぼされ、バビロンに捕囚されていきます。そこで約50年の間、バビロンで捕虜としての生活を送り、ペルシャの時代になってからエルサレムに戻ってきます。このバビロン捕囚は神様に反抗し続けた結果でしたが、この期間にユダヤの民は心を入れ替え、神様に立ち返ったことでした。この期間を通して「主こそ神であることを知った」のです。バビロン捕囚が神様からのただの罰としての帰還ではなく、恵みでもあり、神様と民の関係の回復のための期間であったことは、このマナセの出来事からも伺うことができます。あれほど酷いことを行ったマナセですが、心を入れ替えた時に神様から赦されたのです。神様は一人として滅びることを望まず、全ての人が神様との関係を回復することを願っているのです。

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祭司エホヤダの信仰

さて、エホヤダは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。彼は死んだとき、百三十歳であった。人々は彼をダビデの町に王たちといっしょに葬った。彼がイスラエルにあって、神とその宮とに対して良いことを行なったからである。
II歴代誌24:15-16

ユダの王たちの歴史が続けて記されています。ユダの国では神様に従う良い王が治めた時には、平和な時を過ごすことができました。しかし神様に従わない王が治めた時には、とても悲惨な時を過ごしています。歴代誌には王が死んだ時、その王に対して民がどんな印象を抱いていたかが記されています。21:20にはヨラムという王に対しての民の印象が書かれています。「彼(ヨラム)は人々に愛されることなく世を去った。人々は彼をダビデの町に葬ったが、王たちの墓には納めなかった。」と記されています。ヨラム王の治世はどのようなものであったのかを語る印象深い言葉です。人々はヨラムが神様に立てられた王であることを認めてダビデの町に葬りました。しかしヨラム自身が神様に背いていたこと、結果的に国が大変であったことなどから、他の王たちと並べて葬ることは避けたのです。

続く22章では、ユダの国はさらに混乱しました。ヨラムの子であるアハズヤが王となりましたが、アハズヤの治世にはユダの国はもはや、神様の国と呼べないくらいに人の策略で入り乱れ、混乱しています。神様は、ダビデの子孫がユダの王となると約束されていましたが、アハズヤの死後は、アハズヤの母アタルヤが一族を皆殺しにして女王となりました。

このままユダの国はどうなってしまうのかという時にも、神様は働いてくださっています。祭司エホヤダは、アタルヤの手からアハズヤ王の子ヨアシュをかくまいます。そして時を見て、エホヤダはレビ人たちに準備をさせ、ヨアシュをユダの王としました。祭司エホヤダが行ったことは、神様にあってのことでした。エホヤダは23:3で神様がダビデの子孫が代々王となるように決めたことを語っています。そして神様の律法に記されている通りに、レビ人たち、祭司たちの働きを修復しました。またヨアシュが王となってからは24章で、主の宮、神殿の修復を行っています。献金箱を設置し、神殿の修復のための献金を募りました。現在でいえば、指定献金、会堂積立のようなものでしょうか。エホヤダは王では無かったので政治的な事、大きな国の改革を行ったわけではありませんでした。しかし人々の心、王の心、ひいてはユダの国全体をもう一度、神様に立ち返らせる努力をした人でした。結果的にユダの国の人々は信仰を回復しました。

エホヤダは特に大きなことをしたわけではありません。ただ祭司であったので、神様から与えられた祭司としての務めをしっかりと心に留めて全うした人でした。エホヤダの人生は大変祝され、130歳まで生きたとあります。そしてエホヤダへの祝福はユダの国全体にも及んでいます。エホヤダの存命中は、ユダの国は平和でした。人々がエホヤダを愛し、特別に思っていたことが24:15-16にあります。人々はエホヤダを王たちと一緒に埋葬しました。王ではない人が王と一緒に埋葬されるのは異例のことです。ユダの王たちがそれぞれ信仰が揺らいでいる中で、エホヤダの人生はただ信仰を守り通したがゆえに、特別な人生となったのです。私たちも自分の果たすべき分を、信仰を持って、神様からのものとして受け止めていきたいと思います。

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主の力を求める

アサはその神、主に叫び求めて言った。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」
II歴代誌14:11

ソロモンの治世が終わり、南ユダ王国の歴代の王たちの記録が連なっています。ユダの王アサは初めは、14:2に「主がよいと見られること、御目にかなうことを行い」とあるように、神様に聞き従う王でした。14-15章にはアサが行った数々の良いことが記されています。それまでユダに浸透していた異教の文化を取り除き、国を挙げて真の神様のみを求めるようにしました。15:16では、彼は、自分の母親が持ち込んだ像をも破壊しています。自分を産み育ててくれた親を非難することは難しいことです。アサは、母親との関係も、神様との関係の中において正しく置くことができた人でした。

そんなアサが、外国であるクシュとの戦争になった時の様子が14:9-15に記されています。この時、アサは主に叫び祈りました。14:11の言葉はアサの祈りの言葉です。この言葉からアサが神様をどのように見ていたかが分かります。アサは神様を万軍の主、人間の王とは比べ物にならない力強い神と見ていました。人間には、人それぞれ得意なものが与えられています。体力自慢、力自慢もいます。しかしそのような人の能力比べは、神様の前にはどんぐりの背比べ程度でしかありません。どんぐり同士では背の差があるように見えても、神様の目からはほぼ同じに見えてしまいます。ですから戦争の時にも、神様の力が存分に発揮されるのに、人間の力の差は関係ありません。アサの軍勢は、外国の軍に対して大きな差をつけられていましたが、神様はアサの軍勢を助け、アサは大勝利を得ることができました。所詮人間にすぎない外国の軍勢は神様には対抗できないのです。

神様はこのように、時に圧倒的な神様の力を見せてくださいます。人々が神様により頼む時、あわれみ深い神様は助けてくださいます。しかし人間は、神様の恵み、神様の力を忘れやすいのも事実です。アサも16章に入ると神様を忘れて、人間の力に頼るようになってしまいます。ユダ王国の歴史は、神様を求めたり、神様から離れたりの繰り返しです。アサの生涯はその象徴とも言えるかもしれません。

少し先取りになりますが、神様から離れてしまったアサに対して、神様はこのクシュとの戦争の時のことを思い返すように語っています。アサはクシュが大軍勢で攻めてきた時には神様に頼りましたが、イスラエルがユダに少し抵抗した時には、神様ではなく、他の国であるアラムの王に頼ったのです。私たちは自分の手に負えないようなことの時には、神様に頼ろうと思うかもしれません。しかし私たちの手に負えそうな事態の時には、案外神様に頼らないで自分でなんとかしようとするものです。アサは人生の最後に病気になった時も、神様に頼らず、医者に頼ったという事が書かれています。しかし神様はいつでも、どんな時でも頼ってもらいたいと思っています。医者にかかるのが悪いことだというのではありません。神様に頼りつつ、医者にかかるのが良いと思います。神様に医者を通して働いてくださるように、祈り求めるべきです。神様と人間とを比べて、この時は神様、この時は人間の力で何とかしようというのではなく、常に神様に頼り、そして私たち人間も最善を尽くしていくことが求められているのではないでしょうか。

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神が力を持って堅く建てる

それから、彼はこれらの柱を本堂の前に、一つを右側に、もう一つを左側に立てた。右側の柱にヤキンという名をつけ、左側の柱にボアズという名をつけた。
II歴代誌3:17

II歴代誌に入り、ソロモンの神殿建設が始まりました。ソロモンの神殿建設については、列王記にも記述があります。歴代誌と列王記を比べると、列王記では建物についての細かい記述が多く見られますが、歴代誌は建物についてはあっさりと書かれています。その代わり、列王記では記述があまりなかった、神殿で働く人々、レビ人たちの記述が歴代誌には多く見られました。歴代誌では、礼拝を捧げる人により注目しているのかもしれません。

ソロモンが建設した神殿の玄関には象徴的な2本の柱が立っています。ヤキンとボアズです。神殿の入り口は東を向いていますので、神殿の内側から見て右側つまり南側がヤキン、左側つまり北側がボアズとなります。一見すると歴代誌、列王記で大きさが違います。II歴代誌3:15では、35キュビトとなっていますが、I列王記7:15、19では18+4=22キュビトとなっています。実際はどのような大きさであったのか分かりませんが、神殿の前に立った人にとってとても巨大な柱であったことは間違いありません。

ヤキンとボアズの名前の意味については、いろいろな説があります。ボアズという名前は、ルツ記にも同じ名前の人が出てくるので多少馴染みがあるかもしれません。ボアズという名前の意味は注解書などを見ますと「力」という意味だそうです。ヤキンについては注解書によって意見が様々で、「わきまえる」という意味の言葉が元になっていると見る人もいれば、「堅く建てる」という意味の言葉が元になっていると見る人もいるようです。いずれにしても、ソロモンはこの神殿は神様が神様の力を持って堅く保たれる神殿だという意味を込めたように思います。人の力ではなく、神様の力によって神殿、ひいてはイスラエルの国が堅く建てられていることをあらわそうとしてのかもしれません。この2本の柱は神殿の玄関にありました。神殿の内部はレビ人しか入れません。礼拝に来た一般の人々はこの玄関を見て神様に礼拝をします。この2本の柱は礼拝に来たイスラエルの人々の記憶に色濃く残ったことと思います。大きな2本の柱と神殿を見て、神殿は、イスラエルの国は人の力ではなく、神様の力によって堅く保たれているのだということを実感したことでしょう。

詩篇127:1に「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」とあります。またルカ6:46-49でイエス様は、岩の上に家を建てた人と、砂の上に家を建てた人の譬えを話しています。イエス様は神様に信頼し、神様の言葉どおり行う人を岩の上に家を建てた人と表現しました。その家はどんな嵐にも耐えることができます。ダビデとソロモンは神様の言葉に聞き従う事ができるお方でした。神様こそすべてを堅く保つことができるお方だと信じていたのです。この信仰こそがイスラエルの国を堅く建てます。礼拝に必要な事は、柱の立派さではなく、人の心にある神様の言葉への信頼だという事でしょう。礼拝する人の心構えをこの2本の柱は物語っているのかもしれません。

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