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祈祷会メッセージとお祈りの課題

罪増すとも 恵みもまた増すなり 5月27日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌232 弱き者よ われにすべて

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動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌344 なおも御恵みを

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聖書

律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。
ローマ5:20

メッセージ

聖書通読はローマ人への手紙に入りました。ローマ人への手紙はパウロが書いた手紙とされています。パウロは熱心な聖書学者で、旧約聖書の律法に精通し、遵守していました。そのパウロがキリストの恵みによる救いを体験しました。そして神様から多くのことを教わり、恵みと律法の理解について人々に教えました。このローマ人への手紙は、手紙でありながらまるで神学書のように、神様の救いが体系的にまとめられています。

ユダヤ人は神様から律法を与えられていました。律法は神様からの聖なる賜物であり、人に正しい道を教えるためのものです。神様は律法を通して、神様の愛を教え、人が神様の愛に生きるようにと願われました。しかし多くの人が律法に従って歩むことができませんでした。人一倍、熱心であったパウロでさえも、律法を遵守することは大変だったようです、表面的には行う事ができたとしても、律法の心である愛の心をもつことは難しかったのです。これほどまでに人が律法を守ることが難しいのは、人の心には罪があるからです。罪は神様に逆らい、自分の欲望を満たそうとします。他人を省みず、自分の幸福だけを追求します。それが神に逆らい、自分の滅びを招くことになると知りつつも抑える事ができないのが罪です。律法は神様の愛を教えると同時に、私たちの罪の心をあらわにします。なぜなら律法には正しい事が書いてあり、神様の愛が記されています。罪は本質的に神様の愛に反抗し、正しい事をから目を背けようとするからです。律法を深く読めば読むほど、私たちは自分の罪深さを自覚することになります。

キリストは私たちを罪から解放するために十字架に架かって下さいました。神様はイエス様の十字架によって私たちの罪を処罰されました。また罪の奴隷であった私たち自身もイエス様と一緒に十字架に架けられ、一度死んだのです。そしてイエス様が三日目に復活されたのと同じように、私たちも神様のいのちによって復活しました。一度死んだ者は、罪から解放されているのです。これは神様からの恵みです。神様は、イエス・キリストが自分の救い主であると信じる者なら、誰にでもこの救いを与えてくださいます。代価は全てイエス様が支払って下さいました。ここに神様の愛が現れています。

神様は律法を通して私たちに自分の罪深さを自覚させます。そしてイエス様を通して、どんなに罪深い者であっても愛し、救って下さることを教えてくださいます。ローマ5:20は「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。」と述べます。これは新聖歌376の歌詞にもなっています。「罪 汚れは いや増すとも 主の恵みもまた いや増すなり」と歌われています。自分の罪深さを自覚すればするほど、私たちはそのような者さえも救って下さる主を覚えます。そして神様の愛がいかに限りなく、奥深いものであるかを悟ります。弱い、愛の無い者ですが、この神様の愛を感謝して受け取り、なおも神様の愛によって生かされていく者でありたいと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • オンライン開催の合同宣教祈祷会のため。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • みずほ台教会のために

賛美 新聖歌376 いかに汚れたる

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

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祈祷会メッセージとお祈りの課題

神様の救い 5月20日祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌233 驚くばかりの

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌156 われは主にありて楽し

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聖書

そのとき、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
出エジプト40:34

メッセージ

今日で出エジプト記も最後になります。35章でイスラエルの民は神様から命じられた通りに幕屋と儀式に使う道具などの製作を始めます。神様は特別にベツァルエルとオホリアブを選び、彼らをリーダーに全ての道具を作りました。様々な宝石や金なども用いられ、とても美しい装飾がなされました。完成した幕屋と神殿のための道具はみんなの目を惹くほどの美しさであったと思います。またそれ以上に、すべての道具は、「主がモーセに命じられたとおり」に作られました。神様をお迎えするために、神様に一番ふさわしい、神様が命じられたとおりのものを作ったのです。「主が命じられたとおりに」という言葉はこの製作過程で何度も繰り返されています。

40:17によると、幕屋は第二年の最初の月の一日に設営されました。イスラエルの民がエジプトから救い出されてから1年が経っていました。このような節目の時に幕屋が設営されたことは、イスラエルの民にとって大きな慰めと励ましになったことでしょう。イスラエルの民はまさしく奴隷から救い出され、いまや神様の民となったのです。幕屋はイスラエルの民が暮らしているテントの群れの真ん中に置かれました。完成した幕屋には雲が覆い、神様の栄光で満たされました。そしてそれからずっと神様の栄光はイスラエルの民の真ん中にあるのです。神様がイスラエルの民の真ん中におられるという事を目で見る事ができました。神様はエジプトからイスラエルの民を救う時に、イスラエルの民と共に住むと約束してくださいましたが、それが実現したのです。

出エジプト記をじっくりと通読して参りました。出エジプト記には神様がイスラエルの民をエジプトから救い出してくださった時の出来事が記されています。この出来事は昔起こった出来事であると同時に、神様が私たちを救い出して下さる時のイメージのようでもあります。私たちはみな、神様から迷い出て、罪の奴隷となっていました。神様はその私たちを神様の民とするために救い出して下さるのです。イスラエルの民が救い出される時には、子羊の犠牲の血が伴いました。過越しの時に屠られた子羊です。神様が私たちを救って下さるときには、イエス様が十字架の上で尊い血の代価を支払って下さいました。それゆえイエス様は神の子羊と呼ばれます。神様とイスラエルの民はエジプトを脱出して後、シナイ山にて契約を結びました。これからは神様はイスラエルの神となり、イスラエルの民は神様の民となったのです。私たちもイエス様の血による新しい契約に加えられたのです。私たちは救われて神の子と呼ばれるようになりました。そして出エジプト記の最後で、神様はイスラエルの民が作った幕屋に住むようになりました。イスラエルの民の真ん中に神様が臨在されるようになったのです。この幕屋で神様とイスラエルの民は語りあう事ができました。神様は私たちを救い、私たちの体を聖なる宮として住んでくださると約束して下さっています。私の心の真ん中に神様が住んでくださるのです。そして心と魂において私たちは神様と語り合う事ができるようになります。神様の素晴らしい恵みと祝福を感謝します。イスラエルの民がこれから後、神様と共に歩んだように、神様に救いだされた私たちも、神様と共に歩んで行きたいと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • オンライン開催の合同宣教祈祷会のため。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 南大沢チャペルのために

賛美 新聖歌203 ああイエス君 こよなき友よ

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

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祈祷会メッセージとお祈りの課題

聖なる神様と共に住む 5月13日祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌195 イエスの許に

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 讃美歌262 十字架のもとぞ

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聖書

わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、彼らの神となる。彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らのただ中に住むために、彼らをエジプトの地から導き出したことを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。
出エジプト29:45-46

メッセージ

今日は出エジプト記29章を開きました。出エジプト記19~24章で、神様とイスラエルの民は契約を結びました。その後、神様はモーセをシナイ山の上に呼び、幕屋の作り方、祭司の任職の仕方などを細かく知らせました。25~31章まで長い範囲にわたって記されています。建物や服を作る際の材料や寸法の指定が細かく記されています。またそれらを聖別するために捧げる捧げ物についても細かく記されています。32章で、イスラエルの民はモーセがなかなか山から下りてこなかったので、金の子牛を造ってしまったという事件がありますが、それ位長い時間をかけて、神様はモーセにゆっくり細かく説明したのでしょう。

この幕屋は神様が色濃く臨在される場所です。幕屋は神様がご自分のお名前を置かれる場所であり、29:43には「その場所でわたしはイスラエルの子らと会う。そこは、わたしの栄光によって聖なるものとされる。」と記されています。全世界に向けて、ここに神様がおられると言われる場所、真の神様の栄光を示す場所であり、この場所を覚えて神様に祈る者の声を神様は聞いて下さるという場所です。真の神様と人との交わりを示す中心、象徴の場所なのです。神様はこの場所を聖別されます。神様は聖なるお方だからです。そしてここで奉仕をする祭司たちも、聖別の儀式をしなければなりませんでした。祭司という職業についているといえども罪あるままでは、聖なる場所に入ることはできないのです。

神様が聖なるお方であるという事は、私たちに近寄りがたい印象を与えます。それはその通りです。しかし神様は私たちとずっと距離を置きたいと思っておられるのではありません。神様は「彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らのただ中に住むために、彼らをエジプトの地から導き出したことを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。(29:46)」と語られます。神様はイスラエルの民をエジプトから救い出されました。それは神様がイスラエルの民の中に住むようになるためです。距離を取り続けたいのであれば、神様はイスラエルの民をエジプトの地から連れ出す必要はありませんでした。ただエジプト人にイスラエル人から手を引けと言うだけで良かったのです。しかし神様は約60万人もいたイスラエル人たちをエジプトから移住させました。それは神様がイスラエル人たちをご自分の民とし、神様はイスラエルの神様となり、神様とイスラエル人たちが一緒に住むようになるためです。

神様は同じように、私たちすべての人と一緒に住みたいと考えておられます。天の御国はそのような場所です。しかし人はそのままでは聖なる神様と一緒に住むことはできません。問題は罪なのです。人の罪が聖なる神様と私たちを引き離します。その罪の問題を解決するために、神様はイエス様を遣わし、十字架の贖いのわざを成し遂げて下さいました。イスラエル人たちが神様の恵みと力によってエジプトから救い出されたように、イエス様の十字架と復活の贖いのわざによって、私たちは罪の奴隷の状態から救い出され、神様と人が共に住む聖なる場所へと導かれているのです。神様の恵み、救いの御業に感謝します。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • オンライン開催の代議員総会、合同宣教祈祷会ため。
  • なかなか実施が難しい各教会の子ども伝道、中高生、青年伝道のため。
  • 川越教会のために

賛美 新聖歌211 天なる喜び

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

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祈祷会メッセージとお祈りの課題

聖なる神さまとの交わり 5月6日祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 讃美歌66 聖なる 聖なる 聖なるかな

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動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌264 われ贖われて

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聖書

あなたは、わたしのために土の祭壇を造りなさい。その上に、あなたの全焼のささげ物と交わりのいけにえとして、羊と牛を献げなさい。わたしが自分の名を覚えられるようにするすべての場所で、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。
出エジプト20:24

メッセージ

形のないもの、目に見えないものを表現するのは難しいことです。抽象画家の作品は、とてもユニークで不思議です。絵心の無い私には説明されても分からなかったりします。出エジプト記19~20章は、神様とイスラエルの民が契約を結ぶ場面です。神様はイスラエルの民を奴隷の状態から救って下さいました。その時、神様がファラオに語っていた言葉を思い出して頂きたいと思います。神様はただイスラエルの民を解放せよと言っただけでなく、神様の民とし、神様を礼拝させよと言ったのです。神様はイスラエルの民と契約を結び、今後ずっと関係を持ち続けたいと願っているのです。ただ奴隷の状態だとかわいそうだから、解放して、では「さようなら。お元気で。」という訳ではないのです。まさにこの出エジプト19~20章のために、神様はイスラエルの民を解放されたと言ってもいいかもしれません。

出エジプト20章には十戒と呼ばれる有名な律法が記されています。十戒の一番最初の戒めは、「あなたには、わたし以外に、ほかの神々があってはならない。(20:3)」という戒めです。聖書は真の神様以外に、他の神々はいないと語ります。エジプトで神々として祀られていた神々は、みな真の神様の前に敗れ去りました。そして十戒の二つ目には、「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。(20:4)」とあります。人間は自分よりも大きなもの、自然を前にすると、なにか畏怖の念を感じます。それは真の神様への礼拝の心にもつながりますが、逆に他の偶像を生み出す原因にもなります。真の神様は目に見えるお方ではなく、またこの世界のどのようなものとも違うお方であるので、私たちはその全体像、お姿を思い描くことは出来ません。ですからなおさら、自分の信じている神様を思い描こうとするときに、それらはしばしば偶像化してしまうのかもしれません。神様は捉えどころのないお方です。そのことを心しておかなければなりません。

神様は偶像を造ってはならないと教えられました。しかし20:24では祭壇を造るようにと教えられています。これは「祭壇であれば拝んでも良い」という事ではありません。現代に合わせて言えば、「教会堂であれば拝んでも良い」「十字架であれば拝んでも良い」という意味ではありません。それらは神様を象徴しているものに過ぎず、神様ではありません。祭壇を建てるということは、そこで捧げ物をするという事です。神様と交わりを持つという事です。神様は19~20章でしきりにイスラエルの民に近づくなと言いますが、交わりを断てということではないのです。イスラエルの民は、神様を聖なるお方として敬い、恐れ、交わりをもつのです。また神様はイスラエルの民をその愛すべき存在として、尊厳をたもち、祝福を与えるのです。このような関係が続くようにと神様は願っています。祭壇はこの神様とイスラエルの民の関係を表す興味深い象徴です。祭壇は土を盛っただけの祭壇か、石を置いただけの祭壇です。20:25では彫刻するなと神様は仰います。彫刻すると、民はその祭壇を何かとてもありがたいもののように思ってしまうからです。祭壇はあくまでも神様と交わりを持つための道具にすぎないのです。

私たちもこの真の神様と交わりを持ちたいと思います。聖なる恐ろしいお方であり、決して理解できることの無い、とらえどころのないお方であり、しかしとても愛に満ち、祝福を与えて下さるお方です。祭壇ではなく、会堂でもなく、十字架の置物でもなく、日々、この神様と交わりを持って行きたいと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • オンライン開催の代議員総会、合同宣教祈祷会ため。
  • なかなか実施が難しい各教会の子ども伝道、中高生、青年伝道のため。
  • 守谷教会のために

賛美 新聖歌390 真実全き心もて

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

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祈祷会メッセージとお祈りの課題

暗闇の中の光 4月29日祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌284 ひたすら求めよ

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌299 山辺に向かいてわれ

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聖書

人々は三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立つこともできなかった。しかし、イスラエルの子らのすべてには、住んでいる所に光があった。
出エジプト10:23

メッセージ

 

聖書通読は出エジプト記に入りました。イスラエル人たちはエジプトで奴隷となっていました。神様はモーセを召しだし、エジプトからイスラエル人たちを救い出そうとされます。モーセは神様の言葉をファラオたちに伝えます。しかしファラオは神様の言葉を拒み続けます。神様は10の災いをもってエジプトを打ち、ファラオにイスラエル人たちを解放するように迫ります。この神様、モーセ、ファラオのやり取り、そして神様の10の災いが、5-12章に渡ってなされ、13章でイスラエルの民はエジプトのファラオの町を出て行くことになります。

神様は10の災いの9番目に、エジプト全土に暗闇をもたらします。暗闇は三日間続きました。「人々は三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立つこともできなかった(10:3)。」と書かれていますので、相当の暗闇だったのでしょう。現代の日本には電気がありますので、想像するのが難しいのですが、アウトドアやキャンプがお好きな方は体験したことがあるかもしれません。真夜中、町中から離れたところで、月や星の明かりも無いようなところですと、足元も見えなくなります。それが夜だけでなく、昼間も続いたということですから大変だったことでしょう。そしてそれがいつまで続くのか分からない恐怖もありました。

ところが神様は不思議なように、イスラエル人のところには光があるようにされました。「しかし、イスラエルの子らのすべてには、住んでいる所に光があった(10:3)。」と書かれています。神様はイスラエル人たちを救うためにこのような10の災いを起こされました。ですから10の災い全ては、イスラエル人に危害が及ばないようにされました。10の災いは全て、神様が意図的に行われたもので、偶発的に起きたものではない事が分かります。その様子を見て、イスラエル人たちは勇気づけられたことでしょう。神様が確かに自分たちを助けようとされていると実感できたはずです。またエジプト人たちも真の神様を意識したと思います。神様は確かに生きて働いておられ、イスラエル人たちを助けていると感じたに違いありません。暗闇の中で、イスラエル人たちのところにだけある光は、人々にとって希望の光と映ったに違いありません。神様はこのように不思議な業で私たちに希望の光を与えて下さいます。そうして私たちは困難の中にあっても、神様の助け、神様の導きを信じて希望を持つ事ができます。困難の暗闇の中にある者にも、希望の光を与え、励ましを与えて下さるのです。そして必ず神様の良い計画によって導いて下さいます。励ましを与えて下さる神様に感謝したいと思います。

ところで、神様が私たちを励ますという意味の言葉が、全く逆の意味で用いられている箇所があります。それは5-12章の間でもたびたび登場しますが、「主がファラオの心を頑なにされた(10:20)」という表現です。「頑なにされた」という言葉は、「強くした」という意味の言葉です。神様がファラオの心を強めたのです。心を強めるとは人々への励ましにもなりますが、頑固になり自分の考えを曲げなくなることにもつながりかねません。神様は私たちの考えを無理に曲げたりはしませんが、励ましを与えて下さるお方です。変な話ですが、ファラオは神様からの励まし(?)心を強くして頂いたことで、ますます自分の考えを押し通そうとしました。私たちは神様からの励ましを受ける時、ファラオのようにはならず、自分の考えを放棄し、神様の計画にゆだねて希望を持ちたいと思います。自分の考えよりも神様の計画の方がはるかに勝って希望があるのですから。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • オンライン開催となったFMYC(教団青年キャンプ)のため。
  • なかなか実施が難しい各教会の子ども伝道、中高生、青年伝道のため。
  • 南平教会のために

賛美 新聖歌220 恵みの光は

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)