本日は御多忙なところ当小針福音ルーテル教会の献堂式にご出席賜り、ありがとうございます。はじめに、私が新しい教会を設立並びに献堂することになった経緯を少し述べさせていただきます。
私は幼少時から心臓弁膜症を患っており、成人すると心臓肥大に悩まされ、心房細動で入退院を繰り返すようになりました。40歳の時、主治医より、「若林さん。このままでは天寿を全うすることができません。手術を勧めます。」と告げられ、目の前が真っ暗になりました。失敗すれば死(死刑)ですし、仮に成功しても一生薬の世話になる(終身刑)と恐れたからでした。神様が私の姦淫の罪を責めておられると受け取り、家に帰って額を畳につけて、おいおい泣き、神様に罪の赦(ゆる)しを求めました。すると、白い衣を着た方が現れ、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネの福音書8章11節)と言われました。私は罪が赦されたことを知り、今度はわんわん泣いて喜びました。手術は怖くなくなり、46歳の時受けた僧帽弁置換手術は成功。このことを感謝し、後半生を牧師になって神に献げる決心を致しました。そして神様に尋ねたのです。「私をどんな牧師にしていただけますか。」そうすると次の御言葉が与えられました。「また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」(ルカの福音書8章8節)私はこの御言葉をこの様に解釈しました。牧師を決心した私が一粒の種として良い地である神様の地に落ちるのだから、私のような牧師になろうと決心する人が私から100人生まれる。すると図らずも米国にあるミズーリ・シノッド・ルーテル教会(以下、「LCMS」)の神学校への扉が開かれ、25年間務めた日立製作所を退職し、牧師への道を歩み始めました。
LCMSは、マルティン・ルター博士による宗教改革の信仰と慣行を守るために、新大陸アメリカに移住したドイツ移民によって170年前にアメリカ中西部のミズーリ州に設立されました。牧師の衣装は黒いクラリカルシャツに白い襟をつけたもので、カトリック教会の神父と同じ服装です。私がそんな服装でミシガン州のレストランに入った時、受付のボーイから「ファザー」(神父)と呼びかけられました。礼拝式文もカトリックと似ており、500年前にカトリック教会から分離した当時の信仰と慣行を今も引き継いでいます。
LCMSは設立当初から宣教に熱心で、アメリカ先住民から始まり、米国内だけでなく海外にも宣教師を送り、多くの姉妹教団を設立しています。戦後日本にも大勢の宣教師を送り、日本ルーテル教団を設立しました。
LCMSの神学校に入って驚いたことは、一年生の同期が約60名もおり、それも皆、ルターを心から敬愛する信仰深い学生であったことです。主を賛美する確信に満ちた彼らの歌声には圧倒されました。ある学生は500年前にルターが定めた結婚式式次第に則った結婚式を挙げたいと言い、教授らが協力するということもありました。私の英語は拙く、教授らの講義を十分に聞き取れず、また学友らとも議論できず、もっぱら静かにしていましたが、信仰の上で引け目を感じたことは一度もなく、いつも仲間に入っている感じがしました。皆、私と同じように悔い改めた信仰の持ち主であることがその言動から分かっていたからです。
その170年の歴史を通して、LCMSの神学校の牧師課程を修了した日本人は3人しかいません。一人目は米国で事業家となっており、二人目はLCMSの神学校で教鞭をとっており、三人目は私です。この度、日本ルーテル教団定年退職を機にLCMSのような保守的信仰を持つ教会、即ちルターを心から敬愛する信仰者の集まりを日本に創りたく、新しい教会を立ち上げることに致しました。ルターの宗教改革500周年となるこの記念の年に、それもキリスト教会の誕生日である聖霊降臨祭のこの日に、新教会を設立することができるというのは、奇縁であり、真に神の導きと言うほかございません。
最後に、この教会設立のために祈りを捧げてくださった方々、献金および献品してくださった方々、そしてこの設立献堂式典を共に祝うために出席してくださった皆様の上に、御父、御子、御霊の三位一体の神様の豊かな祝福がありますよう心よりお祈り申し上げます。
2017年6月4日 小針福音ルーテル教会牧師 若林學
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