バーナー 本文へジャンプ
 

 小針福音ルーテル教会へようこそ! 

 WELCOME to KOBARI EVANGELICAL LUTHERAN CHURCH !

過去の説教 聖書箇所
2017年12月24日(日) ルカの福音書 1章26-38節

26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。

27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。

 31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。

33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」

34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」

35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。

36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。

37 神にとって不可能なことは一つもありません。」

38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

                                     (新改訳聖書第3版)

受胎告知 レオナルド・ダ・ヴィンチ画(1472年 - 1475年頃)
    受胎告知 レオナルド・ダ・ヴィンチ画(1472年 - 1475年頃)

過去の説教 全文

2017年12月24日  待降節第四主日


神に不可能なことは一つも無い     ルカの福音書 1章26-38節


牧師 若林學      


 
 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなた方の上にありますように。アーメン。
 

先月11月にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたと言われる「サルバトール・ムンディ」、救世主と言われる絵が、競売史上破格の値段で取引され、話題になりました。サルバトール・ムンディは1500年ごろの作とされ、青いローブをまとったキリストが左手に水晶玉のようなものを乗せ、右手の指二本で上を指している姿が描かれています。この絵はまた「男性版のモナ・リザ」とも呼ばれているそうです。そう言われて見ると、モナ・リザが謎のほほえみを浮かべているように、このキリスト像もかすかに微笑みを浮かべているように見えます。

同じくダ・ヴィンチが描いた有名な絵で「受胎告知」があります。本日の聖書箇所を題材にした作品です。皆様お手持ちの週報の裏頁をご覧ください。マリヤが庭に面した軒下で、机に向かって読書している最中に天使が訪れ、右膝でひざまずき、右手の指をマリヤに向けて「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」と告げているような絵です。マリヤは御使いの御告げに動じたところが無く、右手は机の上に、左手は肩まで上げて、「私は主の端女(はしため)です。どうぞあなたのお言葉通りこの身になりますように。」と御使いガブリエルの受胎告知をしっかりと受入れているように見えます。

ダ・ヴィンチの他の作品と同じように、この受胎告知の絵も、顔の表情や、衣装のひだや、庭の草花など、細部に至るまで緻密に描き込まれていて、今にも動き出すのではないかと、思われるほどです。私は本物を見たことがありません。画集やインターネットで見るだけです。でも、いつかこの目で本物を見てみたい、と願っています。

さて、本日の聖書箇所は、「ところで、その六ヶ月目に、」という言葉で始まっています。六か月前に何が起こったのかと言いますと、本日の聖書箇所の前に書いてあることが起こりました。ルカの福音書第1章5節から25節です。御使いガブリエルが、神殿で奉仕している祭司ザカリヤに現れて、「あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。」と告げるということが起こりました。その結果、エリサベツは不妊であり、老女になっていたにもかかわらず、その二重の問題が無いかの如く、妊娠するという奇跡が起こったのです。後に洗礼者と呼ばれるヨハネを、お腹に宿したのです。

そして今回御使いガブリエルの訪問によって、もう一つの奇跡が起ころうとしていました。御使いガブリエルが、エリサベツの親戚の処女マリヤのところに、遣わされたのです。処女マリヤは、イスラエル北部にある、ナザレという町に住んでおり、ダビデの家系のヨセフの許嫁(いいなずけ)でした。この「処女」という言葉が26節と27節で2度にわたって繰り返されているのは、神様がマリヤの処女性は本物である、と保証しておられるということです。

ところで、私ども夫婦は、4年前のイスラエル巡礼の旅で、ナザレの受胎告知教会と、その隣りに建つ聖ヨセフの教会を訪れました。まずマリヤが受胎告知を受けたと伝えられる家が洞窟であって、その上にこの受胎告知教会が建っているのを見て、とても不思議な気がしました。マリヤは洞窟の家に住んでいたとは、とても信じがたいことでした。その洞窟の上に建つ受胎告知教会の外側の通路や建物内部の壁には、世界各地の教会から贈られた、高さ2m、幅1mもあろうかと思われる聖母子像が並んで嵌め込まれていました。日本から贈られてきた絵もあるのかなと捜しましたら、ありました。日本のカトリック信者たちが寄贈した聖母子像は、礼拝堂内部の壁に嵌め込まれており、真珠をふんだんに用いた豪華なモザイク画で、その絵の下部には「華の聖母子」と日本語で題名が書き込まれていました。とても印象的な素晴らしい絵でした。

さて、御使いは、マリヤの所に入って来ると、この様に言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」原文のギリシャ語聖書を直訳するとこういう意味になります。「喜びなさい。かつて恵みを授けられ、今も恵みを授けられている方。主があなたと共におられます。」この御使いの言葉から、マリヤは、自分では意識しなかったのかもしれませんが、幼い時から主の守りと恵みの内に成長してきた人であることが分かります。

なぜそう言えるのかと申しますと、27節にあるように、マリヤはダビデの家系のヨセフの許嫁であったからです。ダビデの家系からは救い主が生まれると昔から預言されていました。これらの預言を成就するために、マリヤが神様の守りと恵みを受けて準備されてきたのです。

しかし当のマリヤは、そのようなこととは露知らず、このガブリエルの挨拶の言葉に戸惑い、何を意味するのか考えていました。ここでわかることは、少なくともマリヤは御使いガブリエルの出現に、祭司ザカリヤのように、不安を覚え、恐怖に襲われてはいない、ということです。多分マリヤが、親戚であるエリサベツの奇跡的な妊娠と同時に、御使いを見たというザカリヤの不思議な体験を聞いていたからだと思われますが、それだけではないとも言えます。つまり、祭司であるザカリヤと、神様の守りと恵みを受けて成長してきたマリヤとでは、違いがあるのです。つまりマリヤは何者にもたじろがない、とてもしっかりした性格を持つ人として育てられた、ということです。

ところでその何者にもたじろがないマリヤは、この訪問者が御使いであることを知っていたのでしょうか。答えはyesです。マリヤは訪問者が御使いであることを知っていました。というのは、御使いは預言者ではなく、神様の使いだからです。預言者は人間で、神様のメッセージを預かって伝える人ですが、御使いは人間ではなく、神様のメッセージを直接伝える天的存在です。旧約聖書の中に士師記という書があります。その中に、サムソンという怪力を持つ子供の父親となるマノアという人が登場します。そのマノアの奥さんに御使いが現れてこう言いました。「あなたは不妊の女で、子供を産まなかったが、あなたは身ごもり、男の子を産む。」(士師記13:3)そのマノアの奥さんは夫のマノアにこの御使いの姿をこのように表現しました。「神の人がわたしのところに来られました。その姿は神の使いの姿のようで、とても恐ろしゅうございました。」この奥さんの言葉から、御使いは人間にとって恐ろしく、畏敬の念を起こさせる姿であったことが分かります。ザカリヤとマリヤに現れた御使いガブリエルも人間にとって、はっきりと御使いと分かる姿で現れたといえます。ひょっとすると、ダ・ヴィンチが描いた受胎告知の御使いのように、背中に羽が生えていたのかもしれませんね。

しかしマリヤとて人間ですし、それも女性ですから、これから何が起こるのだろうか、と恐れたことは確かです。その恐れを知って御使いは、彼女の恐れを鎮め、これから彼女の身に起こることを告げられました。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」この御告げによって御使いはこのように言いました。「あなたは全く恐れることがありません。なぜならあなたは神の御前に恵みを見出したからです。それはあなたが神に全く身を任せているからです。神に全く身を任せているあなたをどうして神が守らないことがあるでしょうか。ですからあなたは何事に対しても全く恐れることがありません。神に守られているあなたは身ごもって男の子を産みます。その子の名前をイエスとつけなさい。この名前イエスは『ヤーウェは救う』という意味です。すなわち、『この方イエスは、ご自分の民をその罪から救って下さる方です。(マタイ1:21)』その子は成長して優れた者、即ち、いと高き方の子と呼ばれます。なぜなら、この方イエスは救い主として、全ての人のために十字架にかかり、信じる人の罪を全て贖い、天に昇られ、父なる神の右の座、即ちダビデの王座に就かれるからです。そしてご自分を信じる世界中の人々を、霊的なヤコブの子孫、すなわち霊的なイスラエルとして天の御国に導き、大家族として共に永遠に喜びの内に過ごしていくのです。」

この御使いガブリエルの御告げに、マリヤはたじろぐことがありませんでした。たじろぐどころか、神様の御計画を知らされて、ますます神様の御意志に沿いたいという前向きの気持ちにさせられたのです。それは自分が神の母になれるという名誉欲からではなく、神様の端女にしか過ぎない自分に、人類の救いの一端を担うという、恐れ多い役割が与えられた、と知ったからです。しかしマリヤには、御使いの説明の中に、腑に落ちない点が一つありました。それはどうやってその男の子を産むかです。その説明がありませんでした。それでマリヤは尋ねました。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」

そのもっともな質問に御使いガブリエルは答えました。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」つまり御使いはこのように言いました。「マリヤ、あなたが許嫁のヨセフと交わっても、生まれる子は人間です。しかし聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたを覆う時、神様があなたの胎に入られます。そして聖なる者、神の子が人間の赤子として生まれて来るのです。」御使いは、マリヤの妊娠の全体が、聖霊様の万能の力によってなされる、と言いました。私たち人間の誕生が不思議なのと同様に、御子イエス様の誕生も不思議なのです。

御使いガブリエルは、神様の御告げをマリヤがそのまま受け取れるようにと、不妊の女性である親戚のエリサベツの身に起こったことを持ち出して、「神にとって不可能なことは一つもありません。」と明言しました。「神に不可能なことは一つもない。」この言葉は私たちの信仰をも確かなものとする上で、とても重要な言葉です。私たちはしばしば私たちの理解を超えた現実の出来事に出会うと、それをそのまま受け入れることができず、不信仰に陥り易くなります。例えば、大きな災害が起こって大勢の人々が犠牲となったり、自分の身近で人助けをしている人が不慮の事故でなくなったり、愛する伴侶に病気で先立たれたり、あるいは自分自身が病気で余命半年と宣告されたりすると、神を呪いたくなる場合があります。そのような時、「神に不可能なことは一つもない。」という言葉はわたしたちを支えます。また、この言葉は神様にできるとかできないとかということだけでなく、神様に間違うことは一つも無いという意味も持っているからです。ですからこの言葉はわたしたちに、神様は全ての人の心を見ておられる方であり、それも過去から未来に渡って知っておられるお方である、という理解を与えてくれます。そして神様は善人を悪人と一緒に殺されるお方ではない、という確信を与えてくれます。この言葉から、神様に対する絶対の信頼が湧き起こるからです。

マリヤもこの言葉に100%の信頼を置いて、御使いガブリエルの言葉を受け入れ、神の母となることに同意したのです。そしてこう明言しました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」この言葉が彼女の口から発せられや否や、彼女の上に聖霊様が臨み、彼女はいと高き方の力で覆われました。

ヨセフの許嫁マリヤは、御使いガブリエルの訪問を受けて、神の子の母となる役割を引き受けることに、同意しました。それは主なる神様がこの卑しい端女である自分に目を止めてくださったからです。このマリヤの謙遜と主である神様に対する絶対の信頼からこの同意は生まれて来ています。マリヤが御使いガブリエルの言葉、「神に不可能なことは一つもない。」に100%の信頼を置いて同意した時、彼女の上に聖霊様が臨み、マリヤは神の子を宿したのです。この様にしてクリスマスの準備が整いました。

神様は、わたしたちが、このクリスマスにお生まれになった主イエス・キリストを信じて救われ、祝福に満ちた人生を歩むようにと願っておられます。人には、誰でも程度の差こそあれ、様々な問題や困難な状況があるものです。しかし神様に信頼しましょう。わたしたちも御使いガブリエルの言葉、「神に不可能なことは一つもない。」に100%の信頼を置いて、何事にもあたるなら、神様がわたしたちの口と手、すなわち言葉と行いを祝福し、わたしたちを全ての災いから守ってくださり、全てのことを成し遂げてくださいます。私たちの道をこの全能なるお方、主に委ねましょう。


 人知では到底はかり知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守られますように。アーメン。

©2017 Rev. Manabu Wakabayashi