神の愛とキリストの愛

「神の愛とキリストの愛」2024年2月号

聖書は神様からの愛の手紙です。旧約聖書、新約聖書を通して神様がいかに私たち人間を愛しておられるかが書かれています。聖書の中で一番重要で有名な言葉がヨハネの福音書3章16節のことばです。「神は、実にそのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、一人として滅びることがなく、永遠のいのちを持つためである。」イエス・キリストは努力して、または、厳しい修行に耐えて神になったわけではありません。イエス・キリストは天地すべてが創造される前から神と共におられ神の子でした。

神様が創造されたアダムとエバは罪を犯しエデンの園から追い出され、神様との親しい関係を失ってしまいました。以来、人間は死に支配され、罪人として生きる者となりました。神様は私たちを愛しておられるゆえに、私たちの罪の問題を解決するために、ご自身の大切なひとり子イエス・キリストを人として誕生させ、十字架に付けていのちを取られました。しかし、イエス・キリストは神の子ゆえに、死より三日目に復活して、天に昇って行かれたのです。親にとって子は自分のいのちよりも大切な存在です。神様はそれでもなお、私たちを救うために、ご自身のひとり子イエス・キリストを犠牲にされたのです。これが「神の愛」です。

聖書を読むなら、イエス・キリストは何度でも十字架の死を逃れることが出来ました。しかし、イエス・キリストは自ら進んで、十字架で私たちの罪を背負いご自分のいのちを犠牲にされたのです。イエス・キリストは、死人を生き返らせ、嵐を静める力をお持ちのお方でした。それなのに、自ら兵隊に捕らえられ、十字架でいのちを犠牲にされました。イエス・キリストは父なる神の御意思に従ってご自分のいのちを犠牲にされたのです。親は自分の子のためにいのちを犠牲にすることが出来ます。しかし、罪人や悪いことをした人の身代わりに死ぬ人はいません。イエス・キリストは私たちすべての人の罪を背負い、十字架の上でいのちを犠牲にすることによって私たちの罪の身代わりとなられたのです。私たちはその贖い(愛)によって罪赦された者となり、神との親しい関係を回復することが出来たのです。バレンタインデーは愛を人に伝える日です。聖書は同じように、私たちに神の愛を伝えているのです。