イエスの誕生と再臨の約束

聖書は、旧約聖書と新約聖書の二つで一冊の書物です。旧約聖書の中心は神と人間の約束(契約)です。また、その約束の完成(成就)が新約聖書です。また、もう一つの大きなテーマが罪の赦し、罪の問題の解決です。神は、最初の人アダムをエデンの園に住まわせ、一つだけ戒めを与えられました。創世記2章16節17節「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」しかし、アダムとエバはヘビ(サタン)に誘惑され、神の戒めを破り、善悪の知識の木から取って食べてしまいました。二人はすぐには死にませんでしたが、神との親しい関係を失い、エデンの園から追い出されてしまいました。

神はこの人間の罪の問題を解決するために、アブラハムを選び、彼の子孫を祝福すると約束してくださいました。そして、アブラハムとサラの夫婦にイサクが与えられ、イサクとリベカによってヤコブが生まれ、ヤコブから12人の子供が生まれ、イスラエル12部族となりました。神はこのイスラエルの民に、モーセを通して神の戒め、つまり律法を与えました。また、彼らは祭壇を作り、動物の犠牲をささげることによって、罪の赦しが与えられると教えられました。しかし、それは完全な罪の赦しにはなりませんでした。

アブラハムに約束された土地カナンは、ヨシュアによって征服されました。しかし、その支配は不安定で、神によって遣わされた士師によって助けられました。イスラエルの民が預言者サムエルに王を立てるように懇願したため、サムエルはサウルに油を注ぎ、王に任命しました。しかし、サウル王は神の言葉に従わなかったゆえに、王位は羊飼いの少年ダビデに与えられました。ダビデは神の祝福を受け、永遠に彼の王国が続くと約束されました。しかし、ソロモンによって国は繁栄しましたが、ソロモンが亡くなると、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂してしまいました。その二つの国も、のちにアッシリヤとバビロニヤによって滅ぼされてしまいました。しかし、南ユダは捕囚から70年後に国を再建することが出来ました。その後、イスラエルの民はダビデに与えられた約束を信じて、もう一度、ダビデの様な偉大な王が誕生し、ダビデの時代のような繁栄した王国を得ることが出来ると信じました。旧約聖書の時代が終わり、400年の空白の時代の後に新約聖書の時代が始まりました。イエスの12弟子のひとりマタイは、ユダヤ人にイエス・キリストが救い主メシヤであることを伝えるためにマタイの福音書を作りました。そこで、彼は最初にアブラハムからはじめマリヤの夫ヨセフの系図を載せました。ユダヤ人にとって自分が誰であるかを紹介するために系図は大変大切なものでした。また、救い主メシヤはダビデの子(子孫)から生まれると、旧約聖書で伝えられていたので、マタイはイエス・キリストの系図を示し、彼こそ旧約聖書の時代から約束された救い主メシヤであると人々に伝えたのです。

ユダヤ人たちは今も、自分たちが望む救い主を待ち望んでいます。しかし、私たちはイエス・キリストこそ、旧約聖書に記された救い主メシヤであると信じています。そのイエスが弟子たちに、自分は天に昇りもう一度、戻ってくると約束してくださいました。また、イエスが天に昇って行くと主の使いが弟子たちに言いました。使徒の働き1章10節11節「イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。そしてこう言った。『ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。』」イエスがもう一度この地上に来られるそれを「再臨」と呼びます。私たちはこの再臨を待ち望む者たちです。イスラエルの民は神の約束、救い主メシヤを待ち望みました。そして誕生したのがイエス・キリストです。しかし、ユダヤ人たちはイエスを救い主メシヤと信じることが出来ずに十字架に付けて殺してしまいました。しかし、イエス・キリストは死より三日目に復活して、弟子たちにその姿を見せて天に上って行かれました。その時に、先ほどの再臨の約束を弟子たちに与えられたのです。

約束をするときに大事なことは誠実さです。約束を守らない人との約束はあってないようなものです。しかし、誠実な人との約束はたとえ長い時間が過ぎたとしても待ち望むことが出来ます。神との約束は完全な約束です。アブラハムは神の約束の時を待つことが出来ずに、ハガルという女性によってイシュマエルという子を得てしまいました。それでも神はその後、アブラハム100歳サラ90歳のときに子を与え、イサクと名付けられました。神の計画はアブラハムの不信仰によって変わるものではありませんでした。

私たちに与えられている「再臨」の時は、世の終わりの時でもあります。この世はすべてなくなり、新しい天地が天から降って来ると約束されています。その時、生きている者も死んだ者も天に引き上げられ、イエス・キリストと再会できると約束されています。世の終わりは本当に来るのでしょうか。イエスの誕生から二千年以上が経ちました。世の人々はこの世の繁栄を求め、平和な世界を求めます。しかし、人間に罪がある以上、自分の力でこの地上に平和な国を誕生させることはできません。神の国(天国)は、罪も暗闇も悲しみもない世界だと聖書に記されています。私たちが待ち望む国はそのような国です。人間の力や努力で罪の問題が解決できるなら、神はご自分のひとり子をこの地上に遣わすことはなかったでしょう。また、神の子イエス・キリストが十字架で死ぬこともありませんでした。罪とはそれほど恐ろしいもので、神の子のいのちがささげられなければ解決できない問題です。神は大きな決断で、ひとり子をこの地上に遣わしてくださいました。イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとして十字架の上で苦しみを受けいのちさえ犠牲にされました。イエスの誕生なくして私たちの罪の問題の解決、救いはありませんでした。イエス・キリストの誕生こそ、私たちの喜びであり、天の御国に入ることが出来る約束の成就なのです。それゆえ、世界中でイエス・キリストの誕生をお祝いするのです