イサクとリベカ

創世記26章12節~25節

イサクはアブラハムが100歳、サラが90歳の時に生まれたこどもです。また、イサクは神より与えられた約束のこどもでもあります。アブラハムとサラはどれほどイサクを大切に育てたことでしょう。リベカはイサクの奥さんとして神に選ばれた女性です。その二人が結ばれて家庭を築きました。どれほど幸いな家庭が誕生するのかと期待されますが、その家庭においても問題がありました。二人の歩みを通して神の計画と祝福について学びます。

1、イサク(温和な人柄)

神はアブラハムにイサクを全焼の生贄としてささげるように命じました。翌朝早くアブラハムはイサクを連れて出かけました。その時、アブラハムはイサクに薪を背負わせて山に向かいました。この出来事を通して、この時のイサクは小さな幼子ではなく、すでに青年の年齢に達していたと考えられます。また、聖書を見るなら、このとき、アブラハムはイサクを縛って祭壇の薪の上にのせたとあります。聖書を見る限り、イサクが父アブラハムに抵抗した様子が描かれていません。イサクは自分が父親に殺されそうになっても抵抗しなかったのでしょうか。ここに父アブラハムを信頼するイサクの穏やかな性格を見ることができます。また、創世記の25章20節を見ると、イサクとリベカが結婚したとき、イサクは40歳であったことが記されています。21節「イサクは、自分の妻のために主に祈った。彼女が不妊の女だったからである。主は彼の祈りを聞き入れ、妻のリベカは身ごもった。」とあります。ここにも神に信頼するイサクの信仰を見ることが出来ます。また、創世記の26章を見ると、神はイサクを祝福し多くの羊の群れ牛の群れを持ち、多くのしもべを持つようになりました。当時の生活において井戸は必要な場所です。その地のペリシテ人たちはイサクをねたんで、アブラハムが掘ったすべての井戸をふさいで土で満たしたとあります。そこでイサクは住まいを移して、以前ペリシテ人にふさがれたアブラハムが掘った井戸を掘り返して生活を続けました。また、イサクのしもべが見つけた井戸をゲラル人の羊飼いたちに奪われてしまいました。そのようにイサクは井戸をふさがれたり、横取りされても争うことなく、別の地に移動しながら生活しました。移住者という弱い立場もあったでしょうが、彼は父アブラハムが信じる神に望みを置いていたからではないでしょうか。創世記26章24節25節「主はその夜、彼に現れて言われた。『わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに』イサクはそこに祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。」とあります。イサクは幼い時より、父アブラハムを見て育ちました。また、幼い頃より父アブラハムを通して、神を信じて歩みました。両親に愛され、神に愛されて育てられたことが、イサクの争いを好まない、穏やかな性格を形作ったのではないでしょうか。

2、リベカ(働き者で賢い女性)

リベカについては創世記24章に詳しく記されています。ここでアブラハムはイサクの奥さんを選ぶ時、自分の親族が住まう地に、自分の信頼するしもべを送り出しました。彼はアラム・ナハライムのナホルの町に着くとアブラハムの神に祈りました。創世記24章12節~14節「私の主人アブラハムの神、主よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。私が娘に『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください。』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」このしもべには、神がイサクのために備えられた女性が誰であるのかわかりません。それゆえ、しもべは主人アブラハムの神にこのように祈ったのです。神はこのしもべの祈りに応えてくださいました。そこにリベカが水を汲みに来ました。リベカはアブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの娘でした。このしもべは彼女に水を飲ませてくださいと声を掛けました。18節~20節「すると彼女は『どうぞ、お飲みください。ご主人様』と言って、すばやくその手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。水を飲ませ終わると、彼女は、『あなたのらくだにも、飲み終わるまで、水を汲みましょう』と言った。彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲みに、再び井戸まで走って行き、すべてのらくだのために水を汲んだ。」とあります。アブラハムのしもべは彼女の行動を見て、彼女こそ神が選ばれたイサクのお嫁さんであることを確信しました。そして、しもべは彼女に自分の素性を明かし、自分がそこに来た目的を彼女に告げたのです。彼女は驚き急いで、家に帰り、このことを告げました。すると彼女の兄ラバンが出て来て、アブラハムのしもべを家に招いたのです。ここで大事なことは、この行動の中に彼女の性格が表されているということです。彼女はこのしもべだけではなく、らくだにも水を汲んであげました。彼女はしもべを見て、らくだたちにも水が必要であることがすぐにわかりました。また、しもべにはらくだ十頭がいました。そのらくだ十頭全部に水を飲ませるという事は大変なことです。ここから彼女が働き者で、労をいとわない女性であることがわかります。また、しもべを招いた宴会の席で、彼はすぐに主人の許に帰りたいと申し出ましたが、リベカの家族は彼女との別れを惜しんで、十日間ほど滞在させたいとしもべに申し出ました。そこで、彼女の意見を聞くことになり、彼らがリベカにこの人と一緒に行くかと尋ねると、彼女は「はい。行きます」とはっきり答えました。彼女にとってイサクは一度も会ったことのない人物です。また、どのような暮らしをしているかも知りません。そんなところへ、はっきりと自分の意思で行きますと答えたのです。彼女は勇気があり、決断力のある聡明な女性あることがわかります。

3、二人が築いた家庭の問題

リベカは不妊の女性で、子が生まれませんでした。そこで、イサクは彼女のために祈りました。神は彼の祈りを聞かれ、彼女はふたごを身ごもりました。しかし、彼女の胎内で、ふたごがぶつかり合うようになり、彼女は心配して主のみこころを求めました。創世記25章23節「すると主は彼女に言われた。『二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える』」そして兄エサウと弟ヤコブが生まれました。兄は狩りが好きな野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり天幕に住んだとあります。イサクは兄のエサウを愛し彼を後継者と考えました。しかし、リベカは神の約束を信じ、弟のヤコブを愛し彼こそ後継者になるべきだと考えていました。ここで、イサクは兄エサウを愛し、リベカは弟のヤコブを愛するというゆがんだ家庭が築かれてしまいました。イサクが歳を取り視力が衰えた時、彼は兄のエサウに神の特別な祝福の祈りを授けようと考えました。それを知ったリベカは、ヤコブをそそのかして、兄に成りすまし、神の祝福の祈りを横取りするように勧めたのです。ヤコブは兄に成りすまして神の祝福を受けてしまいますが、その事を知った兄エサウはヤコブを殺したいほど憎みました。それを知ったリベカはヤコブを自分の兄ラバンの許に送り出したのです。ヤコブは20年後に兄の許に帰りますが、すでにリベカは亡くなっており、再会することはできませんでした。

なぜ、このような問題が起こり、悲劇へと向かってしまったのでしょうか。一つは、イサクとリベカがそれぞれの好みに応じて、別々の息子を愛したこと。また、二人が後継者につて話し合いをしなかったこと。リベカは神の計画を見守ることができず、自分の知恵に従って神の計画を実現しようとしたことが窺われます。これは、二人の問題ではなく、私たちの問題でもあります。信仰とは神のことばに従う事であり、自分の力、知恵に頼って神の計画を実現することではありません。リベカのように知恵があり行動力のある人は、自分の知恵力に頼ってしまう弱さがあります。神が私たちに求めるのは、私たちの知恵、力ではなく、神への信頼です。イサクとリベカを通して自分の歩みについて顧みて見ましょう。