モアブの女性ルツの信仰告白

ルツ記1章6節~18節

ルツ記は士師記とサムエル記第一に挟まれた短い物語です。このルツ記が士師記とサムエル記第一に挟まれている事には意味があります。士師記の最後は、イスラエルの民が偶像礼拝の罪に陥った堕落時代のお話です。士師記の最後は士師記21章25節「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」ということばで終わっています。わかりやすく言えば、彼らは自分勝手な生活、自分さえ良ければという自己中心な生活をしていたということです。ルツ記の時代背景はそのような不信仰な人々の時代であることを忘れてはなりません。また、サムエル記第一は、預言者サムエルの誕生から始まり、サウル王そしてダビデ王の話へと続きます。実はこのダビデは、ルツとボアズの子孫です。また、新約聖書のイエス・キリストの系図にボアズとルツの名が記され、ダビデの誕生からイエス・キリストへと繋がって行きます。民族意識の強いユダヤ人社会において、救い主イエス・キリストの系図に異邦人(ユダヤ人以外の民族)モアブの女性ルツの名が記されていることは特別なことです。ここにルツの名が記されることによってユダヤ人だけではなく、ルツと同じ異邦人の救いも神の御心であることが示されているのです。

ルツ記1章1節「さばきつかさが治めていたころ、この地に飢饉が起こった。そのため、ユダのベツレヘム出身のある人が妻と二人の息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。」とあります。ある人とはエリメレクのことで、その妻の名はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンです。モアブの国はヨルダン川を挟んで東に位置する国です。彼らは飢饉のために隣国のモアブへと移住したのです。間もなくしてエリメレクは亡くなり、彼女は異国の地で二人の息子を育てることになりました。異国の地で二人の息子を育てることはどれほど大変なことだったでしょう。そのあたりのナオミの苦労は聖書には書かれていないので想像するしかありません。ナオミは二人の息子を育て、二人はそれぞれモアブの女性を妻に迎えました。4節「二人の息子はモアブの女を妻に迎えた。一人の名はオルパで、もう一人の名はルツであった。彼らは約十年の間そこに住んだ。」とあります。二人の結婚にナオミはどんなに喜んだことでしょう。しかし、この幸いも長くは続きませんでした。5節「するとマフロンとキルヨンの二人もまた死に、ナオミは二人の息子と夫に先立たれて、後に残された。」とあります。何と不幸な出来事でしょうか。ナオミは夫だけではなく、二人の息子をも亡くしてしまいました。この時のナオミの気持ちを考えると胸が痛くなります。夫だけではなく、愛する二人の息子を失ったナオミはどれほど大きな失望感を抱いた事でしょう。しかし、失望の中のナオミに唯一希望を与える知らせが彼女にもたらされました。6節「ナオミは嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ることにした。主がご自分の民を顧みて、彼らにパンを下さった。とモアブの地で聞いたからである。」とあります。イスラエルの国の飢饉は治まり、回復の兆しが見えてきました。夫と二人の息子を失った彼女は、自分の国に帰り静かに余生を過ごすことを考えたのではないでしょうか。そこで、ナオミは二人の嫁オルパとルツに別れを告げる決心をしました。8節9節「ナオミは二人の嫁に言った。『あなたたちは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたたちが、亡くなった者たちと私にしてくれたように、主があなたたちに恵みを施してくださいますように。また、主が、あなたたちがそれぞれ、新しい夫の家で安らかに暮らせるようにしてくださいますように。』そして二人に口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。」とあります。これはナオミの二人に対する優しさと愛情です。イスラエルの国で外国人が暮らすことは大きな差別を受けることになります。また、ナオミが国に帰っても生活の基盤があるわけではありません。それゆえ、二人にとってモアブの地で再婚して幸せに暮らすことを願ってナオミは二人の嫁との別れを決心したのです。オルパはナオミの言葉に従って自分の母の家に帰りモアブの男性との再婚の道を選びました。しかし、ルツはあくまでもナオミについてユダの地に行くことを強く願ったのです。ルツはナオミに言いました。16節17節「お母様を捨てて、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」18節「ナオミは、ルツが自分と一緒に行こうと固く決心しているのを見て、もうそれ以上は言わなかった。」とあります。この場面でオルパとルツには二つの道がありました。一つは、オルパのように母の家に帰り、モアブの男性と再婚する道。もう一つは、ルツが選択したようにナオミと共に彼女の生まれ故郷に帰る道です。この世の考え方からすればオルパの選んだ道の方が幸せになれる確率が高いように思えます。ルツはなぜ、ナオミと共に彼女の生まれ故郷に帰る決心をしたのでしょうか。先程のルツの言葉の中で一番重要なのは16節「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」という箇所です。ルツは、モアブという国籍を捨て、差別がある事を知りながらイスラエルの民の中で生活することを決心しました。また、モアブの国にも多くの神々がある中で、ナオミの信じる神を自分の神と信じて共に生きることを決心しました。ルツはナオミが夫を失い一人で二人の息子を育てたことを知っていたことでしょう。また、ルツはナオミと同じように夫を失いました。夫を失っても神を信じ二人の息子を育て上げたナオミの姿、また、二人の息子を失っても神に信頼するナオミの信仰の強さに、同じように夫を失ったルツは、ナオミを支える神の御手を見たのではないでしょうか。

日本人である私たちにも同じことが言えます。日本では八百万の神々が信じられています。その中で、なぜ私たちはイスラエルの神(イエス・キリスト)を自分の神として選んだのでしょうか。私は教会に行き始めた頃、自分の罪がわかりませんでした。自分は罪が無い正しい人とは思いませんでしたが、神の子であるイエス・キリストが自分の罪の身代わりとして死なれたとは思えませんでした。自分がそれほど悪い人間だとは思えませんでした。しかし、礼拝に参加し、聖書を学ぶうちに、罪が何であるかがわかり、イエス・キリストの十字架の死以外に救いがないことを信じました。あの二千年前のイエス・キリストの十字架の死が自分の罪の身代わりであったことを信じた時、大きな喜びを感じました。

オルパの選んだ道が間違っていたわけではありません。彼女は自分の将来の祝福を考えてモアブの地に残ることを選んだのです。しかし、ルツはこの世の幸いな道ではなく、ナオミと共に、主と歩む信仰の道を選んだのです。それが先程の「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」という信仰の告白をもたらしたのです。この後、ナオミとルツはベツレヘムに帰り新しい生活が始まりました。神はベツレヘムに帰って来た二人を祝福しボアズという男性を用意しておられました。二人は結婚し、オベデが生まれました。またオベデからエッサイが生まれ、エッサイからダビデが生まれたのです。新約聖書のイエス・キリストの系図の中に異邦人であるルツの名が記されています。私たちも異教の国において、イスラエルの神(イエス・キリスト)を自分の神と信じた者です。神は私たちのために天の御国に住まいを備えてくださり、私たちは聖書に記された「いのちの書」に名前が記された者となったのです。