慰めの子と呼ばれたヨハネ

使徒の働き4章32節~36節

イエス・キリストが十字架につけられ殺された後、イエスは死より三日目に復活し、40日の間、弟子たちの前にその復活された姿を現されました。その後、イエスは弟子たちの見ている前で天に昇って行かれました。その頃、百二十人ほどが集まっていました。弟子たちは12使徒の一人でイエスを裏切って自らの命を絶ったイスカリオテ・ユダの代わりを選ぶためにくじを引き、マッテヤが選ばれて12使徒に加えられました。そして、使徒の働き2章で、イエスが約束された聖霊が弟子たちに与えられました。弟子たちは聖霊に満たされ他国の言葉で神の大きな御業を宣べ伝えました。しかし、ユダヤ人にはその言葉が理解できなかったので、酒に酔っていると弟子たちをあざける者もいました。そこで、ペテロは人々の前に立ち、イエス・キリストによる救いのことばを宣べ伝えました。それを聞いた人々は心刺され、その日だけで三千人が救われ仲間に加えられました。多くの者が救われ仲間に加えられましたが、キリスト者になったために職を失った者や家を追い出された者もいました。使徒の働き2章44節45節「信徒となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。」とあります。また、4章32節から35節「さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。」その様に、初代教会には多くの人が集まりましたが、その中には貧しい者も多く、彼らの生活を助けるために、財産の有る者は、自分の財産を処分して貧しい人々を助けたのです。

1、バルナバ(使徒の働き4章32節~37節)

ここにバルナバが登場しますが、バルナバとは本名ではありません。バルナバを日本語に訳すと「慰めの子」という意味です。本名はヨセフです。バルナバという呼び名は自分で付けたものではなく、使徒たちにそのように呼ばれるようになったとあります。彼は裕福な家庭に生まれましたが、キリスト者となり、多くの貧しい人々を助けたので、使徒たちや仲間のキリスト者たちからバルナバと呼ばれるようになったのでしょう。36節37節「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」とあります。

2、バルナバとパウロ

彼がバルナバと呼ばれたのは、貧しい人々を助けたからだけではありません。これは、彼の性格、人格を表す名でもありました。使徒の働き9章にサウロ(後にパウロと呼ばれる)が登場します。彼は律法を忠実に守るパリサイ人でした。それゆえ、イエスを救い主と信じてイエスの復活を宣べ伝えるキリスト教は間違った教えであると信じ、キリスト教徒を迫害しました。しかし、彼はダマスコにいるキリスト者を捕らえるために、そこに向かう途中、復活したイエス・キリストと出会い、自分が間違っていたことを教えられました。イエスによって真実を知らされた彼は、洗礼を受けてキリスト者となり、イエス・キリストの復活を宣べ伝える者に変えられたのです。パウロはエルサレムに行き弟子たちの仲間に入ろうとしましたが、エルサレムの弟子たちはパウロが改心して弟子になったことを信じず、彼を恐れて近づこうとはしませんでした。使徒の働き9章27節「しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。」とあります。また、28節「サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。」とあります。私たちは人を偏見を持って見てしまいます。エルサレムの弟子たちもパウロのそれまでの働きを恐れて、彼が改心したことを信じることが出来ませんでした。そんな中、バルナバだけが、パウロの改心を信じ、自ら仲介して使徒たちに働きかけ、パウロを同じキリスト者として迎える手助けをしたのです。バルナバの人柄は、人を疑ることなく(偏見がなく)その人を信じ受け入れる心の広い性格の人ではないでしょうか。

3、バルナバとマルコ

マルコの福音書の著者マルコとバルナバは兄弟の関係にありました。アンティオキアに教会が誕生し、エルサレム教会はバルナバを指導者として遣わしました。バルナバの働きによって多くの人々が救われました。バルナバはタルソにいたパウロを呼び寄せ、二人は協力して宣教の働き進め、さらに多くの人々が救われました。また、バルナバはマルコをエルサレムからアンティオキア教会に連れてきました。使徒の働き13章で、アンティオキア教会はパウロとバルナバを聖別して異邦人伝道に送り出しました。その時に、マルコも共にこの伝道旅行に加わりました。ところがマルコは途中でエルサレムに帰ってしまいました。パウロとバルナバは伝道旅行を続けました。第一回伝道旅行は成功し多くの教会が生まれました。その後、パウロは第二回目の伝道旅行に行くことをバルナバに提案しました。そこで、バルナバはもう一度マルコにチャンスを与え彼を伝道旅行に加えることを提案しました。しかし、パウロは途中で帰ってしまったマルコを赦すことが出来ず強く反対しました。結局、二人は別々に出かけることになりました。パウロはシラスを連れて、バルナバはマルコを連れて別の道に旅立ったのです。聖書はパウロの働きを中心に書かれているので、バルナバとマルコがその後どのような働きをしたのかは分かりません。しかし、後にパウロが書いたテモテへの第二の手紙4章11節に「マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」とあります。後にマルコはイエス・キリストの生涯を描いたマルコの福音書を書き上げました。マルコがどのように失敗から立ち直ったのか分かりませんが、バルナバが彼を励ましキリスト者としての成長を助けたのではないかと考えられます。バルナバがいなければ、パウロはエルサレムの教会に迎えられることなく、使徒の働きにあるような働きが出来なかったかもしれません。また、マルコが立ち直らなかったなら、マルコの福音書も完成されなかったかもしれません。