罪人を招くために生まれた救い主

マタイの福音書1章1節~6節

旧約聖書に登場する女性ルツとナオミ、ハンナ、ラハブ、エステルについて学びました。その中で、遊女ラハブとモアブの女性ルツが、新約聖書のマタイの福音書1章にある救い主イエス・キリストの系図の中に名が記されていることをお話ししました。実は、その二人だけではなく、さらに、タマルとウリヤの妻(バテ・シェバ)の名も記されています。タマルは義理の父ユダと関係を持ちペレツとゼラフを産みました。また、ダビデはバテ・シェバがウリヤの妻であることを知りながら関係を持ち彼女は身ごもりました。マタイは、なぜ、救い主の系図の中に(事実とはいえ省くこともできたでしょう。)このタマルとバテ・シェバの名をも記したのでしょうか。マタイはユダヤ人にイエス・キリストが旧約聖書に預言された救い主であることを証するために書きました。そのためにマタイは最初にイエスの系図を紹介しました。ユダヤ人は系図を重んじる民族で、救い主はダビデの家系から生まれると旧約聖書で伝えられていたからです。

1、ユダとタマル

 創世記38章2節「ユダはカナン人で名をシュアという人の娘を見そめて妻にし、彼女のところに入った。」とあります。彼女はエルとオナンとシェラを産みました。ユダは長男エルの妻にタマルを迎えました。しかし、エルは子を残さず亡くなりました。ユダは当時の習慣にしたがって、タマルを弟オナンに嫁がせました。オナンはタマルとの子が兄の名を継ぐことを嫌い地に流していたとあります。この事に神は怒りオナンも亡くなってしまいました。次に、弟シェラにタマルを嫁がせなければなりませんが、ユダはシェラを失うことを恐れ、タマルにシェラが成人するまでと言い彼女を実家に帰してしまいました。妻を亡くした後、ユダは友人と共にタマルの家の近くに羊をつれて出かけました。タマルは義理の父であるユダを見つけると、遊女の格好をして彼に近づき、関係を持ちました。彼女はユダと子ヤギをもらうことを約束し、そのしるしとして彼の杖を預かりました。後にタマルが姦淫によって身ごもったことがユダに知らされ、彼は激怒し彼女を焼き殺せとわめきました。彼女は先にユダから預かった印章と杖を差し出しました。ユダはそれを見て言いました。創世記38章26節「ユダはこれを調べて言った。『あの女は私よりも正しい。私が彼女をわが子シェラに与えなかったせいだ。』彼は二度と彼女を知ろうとはしなかた。』」とあります。タマルは亡き夫の名を残すために子を得る必要がありました。しかし、ユダはシェラを失うことを恐れ、タマルを遠ざけたのです。タマルにできることは義理の父ユダをだまして彼の子を身ごもることでした。ユダはそこまでしても子を得ようとしたタマルの気持ちを悟り、自分の罪を認め、タマルの行いを受け入れたのです。

2、ダビデとバテ・シェバ

ダビデは羊飼いの家系に生まれました。このときサウルが初代イスラエルの王に就任しました。しかし、サウルは神のことばに従わなかったゆえに、神に退けられてしまいました。次に神により王に選ばれたのがダビデです。しかし、依然としてサウルが王権を握っており、ダビデを恐れたサウル王はダビデを殺そうと計画しますが、神はダビデを危険から守りました。その後、サウルはペリシテ軍と戦い戦死してしまいました。そして、しばらくしてダビデが新しい王に就任したのです。ダビデの王権が確立すると、彼はバテ・シェバのことで大きな罪を犯してしまいました。彼は屋上からバテ・シェバが入浴しているのを見て、彼女を王宮に招き関係を持ってしまいました。その後、バテ・シェバはダビデに自分が身ごもったことを伝えました。ダビデはこの事を隠ぺいするために、彼女の夫ウリヤを戦場から呼び戻しました。しかし、彼は部下が戦地にいることを覚え、家に帰りませんでした。思い通りにいかなかったダビデは、将軍ヨアブにウリヤを激戦地に向かわし戦死させるように命じました。ウリヤが戦死するとダビデはバテ・シェバを妻に迎えたのです。神は預言者ナタンをダビデのもとに遣わし、彼の罪を指摘しました。預言者ナタンに罪を指摘されたダビデは自分の犯した罪を認め悔い改めました。しかし、その子は生まれて七日目に亡くなってしまいました。ダビデは悲しむバテ・シェバを慰めました。そして生まれたのがソロモンです。兄弟の順番からすれば、ソロモンがダビデの後継者になるのは難しかった思います。なぜなら、長男アムノンがいました。またソロモンは兄弟の順番からすれば7番目に当たります。しかし、アムノンはアブシャロムに殺され、アブシャロムはダビデに謀反を起し殺されました。そこで、後継者としてアドニヤが働きかけますが、預言者ナタンなどの働きにより、ソロモンが王に選ばれたのです。ダビデはバテ・シェバの子ソロモンを愛しました。ダビデにとってソロモンは神の赦しのしるしではなかったでしょうか。本来ならば、姦淫の罪は死罪です。しかし、神はダビデの悔い改めを受け入れ、彼の罪を赦し、バテ・シェバを通してもう一人の子を与えられましたそれがソロモンです。神はウリヤの妻(バテ・シェバ)の名を救い主の系図に名を残すことによって、ご自身が赦しの神である事を表されたのかもしれません。

マタイの福音書9章で、イエスが取税人や罪人たちと食事をしているとき、それを見たパリサイ人たちがイエスを咎めたとあります。その時イエスはこのように言われました。マタイの福音書9章13節「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」イエスのたとえ話に「放蕩息子」の話があります。ある人に二人の息子がいました。弟息子は父より財産を受け取ると遠くへ出て行ってしまいました。そこで放蕩の暮らしをして財産を無くしてしまいました。彼は父の家での豊かな生活を思い出し、そのままの姿で父に家に向かいました。父は息子の姿を見て走り寄り、抱きしめ口づけをしたとあります。父は息子を叱ることなく、そのままのみすぼらしい姿のまま息子を受け入れたのです。

福音とは罪ある者、救われる資格のない者が救いの恵みにあずかることを言います。救い主イエス・キリストの系図に登場する人々も完全な人々の集まりではありませんでした。そこには義理の父と姦淫の罪を犯したタマルやダビデと姦淫の罪を犯したウリヤの妻(バテ・シェバ)の名もありました。神は救い主イエス・キリストの系図を通して、ご自身が罪人を裁く神ではなく、罪人を赦し、受け入れる神であることを私たちに証しているのです。