私の助けは主から来る

詩篇121篇1節~8節

詩篇の120篇から134篇まで、表題に「都上りの歌」と記されています。この「都上りの歌」の表題の意味にはいくつかの説があります。一番わかりやすいのは、異国の地に住んでいたユダヤ人がイスラエルの神殿を目指して旅の中で歌われたのが「都上りの歌」であるとする説です。イスラエルには三大祭りと呼ばれる有名なお祭りがあります。「過越しの祭、七週の祭(初穂の祭)、仮庵の祭」です。この祭りの日には、イスラエルの民の成人した男性は、どこに住んでいても、エルサレムの神殿に宮詣しなければならないと律法(旧約聖書)に定められています。

当時の旅は、今と違って車やバスがあるわけではありません。徒歩で、あるいはせいぜい馬、ロバ、ラクダに乗って何日もかけて旅をしなければなりません。その旅の途中には、険しい山があり山賊や盗賊もいました。旅行と言っても楽しいばかりではなく、危険も伴います。巡礼者はそのような危険を冒してエルサレムの神殿を目指したのです。そのことを覚えて「都上りの歌」と表題が付けられた詩篇を読まなければ、その詩篇の意味や作者の心を理解することはできません。今日は、詩篇の121篇を通して、私たちの助け手がどのようなお方なのかを学びます。

1、天地を造られたお方(1節~8節)

 1節「私は山に向かって目を上げる。」とあります。この山(山々)がどの山を指すのかはわかりません。旅の途中で巡礼者の前に立ちはだかる山々なのか、はたまた、エルサレムの山々なのか。続けて詩篇の作者は「私の助けはどこから来るのか。」と歌っています。作者は決して山から助けが来るから山を見上げているのではありません。なぜなら、次のことばを見るなら、彼が何に助けを求めているかは明らかです。2節「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」作者が求めている助け手とは、天地を造られた主(神)です。私たちが信じる神とは、日本を造られた神とか、地域に限定された神々ではありません。聖書を見るなら、この天地は神によって創られたことが記されています。私たちの信じる神はどのようなお方でしょうか。天地創造の神です。しかし、現実の大きさに向き合ったとき、私たちの心に恐れが生まれます。いくら天地を創られた神でも、解決できないのではという不信仰な思いが浮かびます。アブラハムは75歳で神と出会い、神の示される地へと旅立ちました。また、カナンの地が飢饉になった時、アブラハムの家族は食べ物を求めエジプトに向かいました。その時、アブラハムは美しい妻サラをエジプト人に奪われるのを恐れ、妹であると言ってくれと彼女に頼みました。アブラハムは神に頼らないで、自分の知恵に頼ったのです。それでも、サラは王宮に召し上げられてしまいました。その危機を救って下さったのは神でした。サラを取り戻したアブラハムは、始めに祭壇を築いた場所に戻り、主の名を呼び求めたとあります。私たちもアブラハムと同じように、神に頼らないで自分の知恵に頼る弱さがあります。私たちが信じる神はどのような神でしょうか。それは、天地を創られた神です。私たちは何度も、そのことを確認することによって、信仰が強められ、信仰に堅く立つことが出来るので。

3節から8節にかけて「あなた」という呼びかけになっています。この3節からのことばは、巡礼者を送り出す者が彼らを励ますために歌われたことばと言われています。または、この旅が一人ではなく、複数の場合、1節2節のことばを受けて、互いに励ますために歌われた言葉とも言われています。3節「主は、あなたの足をよろけさせず、あなたを守る方はまどろむこともない。」とあります。「あなたの足をよろけさせない」とは、私たちの歩みを確かなものにしてくださる、また、「まどろむこともない」とは、夜の見張りが眠気でうつらうつらすることなく、夜もしっかりと守ってくださるという意味です。5節「主はあなたの右手をおおう陰」とあります。それは、神が右側に立ち私たちを守ってくださるという意味です。6節「昼も日があなたを打つことはなく、夜も月があなたを打つことはない。」昼も夜も神が守ってくださるという意味です。7節「主は、すべてのわざわいからあなたを守り、あなたのたましいを守られる。」すべてのわざわいとは、嵐や台風などの自然災害、病やけが、盗賊や獣からも守られるという意味です。また、神は肉体だけではなく、たましいも守られるお方です。8節「主はあなたを行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」とあります。「行くにも帰るにも」ということばは、巡礼者には重要な言葉です。旅は行くだけではありません。神は、巡礼の行きも帰りも守ってくださるお方です。また、神は旅の間だけではなく、「とこしえまでも」私たちを守ってくださるお方なのです。

2、ペンテコステの喜び(使徒の働き2章)

今日は、ペンテコステのお祝いの日です。使徒の働き2章1節に「五旬節の日」とあります。「五旬節(ペンテコステ)」とは五十日の祭という意味の言葉で、過越しの祭から五十日の意味です。先程の三大祭りの一つ、「七週の祭(初穂の祭)」とも呼ばれています。この五旬節の日に、イエスが弟子たちに約束された聖霊が下られたのです。イエスの復活の恵みは、私たちの救いの完成だけではありません。イエスは復活した後、天に昇られ、ご自分の代わりとして聖霊を遣わすと約束をしてくださいました。また、使徒の働き1章で、イエスは弟子たちに父の約束(聖霊)を待ちなさいと言われました。なぜなら、弟子たちがイエスの復活の証人となるためには、聖霊の助けが必要だったからです。この聖霊が弟子たちに下られる前、弟子たちは人々を恐れ、部屋の中に隠れて祈っていました。ところが、突然、聖霊が弟子たちに下ると、彼らは外に出て行き、外国語で神の大きな御業を語りだしたのです。外国から来た人々は、自分たちのことばで、弟子たちが神の御業を語っているのを聞いて不思議に思ったとあります。また、外国語のわからないユダヤ人たちは弟子たちが酒に酔っていると彼らをあざけりました。ペテロは、人々の前に立って、この状態が旧約聖書のヨエル書に記されている預言の成就であると、はじめて説教を語りました。ペテロの説教を聞いて心刺された人々が大勢、洗礼を受けたとあります。この一日で、三千人が弟子に加えられました。このペンテコステの出来事を通して教会が誕生したのです。

詩篇の121篇に戻って、作者は巡礼の旅に出るとき、多くの不安がありました。それゆえ、彼は天地を創られた神に助けを求めたのです。私たちも人生という旅の中で天地を創られた神に助けを求めましょう。私たちの人生にも山あり谷ありです。病気やけが。災害や事故に遭うかもしれません。しかし、私たちが信じる神はどのような神でしょうか。私たちの神は、「天地を創られた神」「私たちの足をしっかりと支えて下さる神」「夜もまどろむことなく、眠ることなく守ってくださる神」「私たちの右に立ち守ってくださる神」「昼も夜も守る神」「私たちの人生、とこしえまでも守る神」です。私たちはアブラハムのように弱さを持つ者ですが、聖霊に信頼し、これからも共に神と歩みたいと思います。