遊女ラハブとペルシャの王妃エステル

ヨシュア記2章1節~14節

今日は先週に引き続き、旧約聖書に登場する女性の信仰から学びます。今日お話しするラハブとエステルは全く違った階層の女性です。また、その時代も違います。それでも二人の決断には共通点があります。ラハブとエステルの信仰の決断について学びます。

1、遊女ラハブの信仰の決断

ラハブはヨシュア記の時代の人で、ユダヤ人ではなく異邦人です。またカナンの地の住人です。神はモーセにカナンの地を征服するとき、その地の住人を聖絶(皆殺し)にするように命じています。

イスラエルの民はカナンの近くヨルダン川まで迫りました。ここでヨシュアは、カナンの地を探るために二人の偵察隊を送り出しました。エリコの町に入った二人は身を隠すために遊女ラハブの宿に滞在したとあります。しかし、エリコの王に、イスラエル人の数人の男性が町に入り込んだことが知らされ、王はラハブの家に人を遣わして、そしてそのイスラエル人を出すように命じました。しかし、彼女は二人をかくまい、すでに二人が出て行ったとうそを告げました。彼女はなぜ、二人をかくまったのでしょうか。二人を王に差し出したなら多額のほうびを得ることができたでしょう。彼女は二人のイスラエル人に言いました。9節「主がこの地をあなた方に与えておられること、私たちがあなた方に対する恐怖に襲われていること、そしてこの地の住民がみな、あなたがたのために震えおののいていることを、私はよく知っています。」10節「あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたのために葦の海(紅海)の水を涸らされたこと、そして、あなたがたがヨルダン川の川向こうにいた二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。」11節「私たちは、それを聞いたとき心が萎えて、あなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天において、下は地において神であられるからです。」12節13節「今、主にかけて私に誓ってください。私はあなたがたに誠意を尽くしたのですから、あなたがたもまた、私の父の家に誠意を尽くし、私に確かなしるしを与え、私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するものをすべて生かして、私たちのいのちを死から救い出す、と誓ってください。」エリコの人々はイスラエルの民が40年前に紅海を渡ったこと、イスラエルの民を通してエジプトの地で神がなされた御業を知っていました。また、ヨルダン川の東側、二人の王シホンとオグを聖絶したことも知っていました。そのことを通して、エリコの人々はイスラエルの民を恐れていることをラハブは二人に告げました。ラハブはその出来事を通して、イスラエルの神こそ真の神であることを信じたのです。そこで、彼女は二人のイスラエルの偵察隊をかくまい、自分と家族を助けてほしいと願い出たのです。14節「二人は彼女に言った。『私はあなたがたに自分のいのちをかけて誓う。あなたがたが私たちのことをだれにも告げないなら、主が私たちにこの地を与えて下さるとき、あなたがたに誠意と真実を尽くそう。』」この後、エリコの城壁は崩され、町は滅ぼされましたが、ラハブの家族は先の誓いのゆえに助けられました。その後、ラハブの家族はイスラエルの民の中で生活しました。新約聖書のマタイ福音書1章のイエス・キリストの系図の中に5節「サルマがラハブによってボアズを生み」とあります。彼女は目の前のほうび(財産)よりも、神の民イスラエルの民と共に生きることを選び、自分の命と家族の命を救うことができました。それだけではなく、神は彼女の信仰による決断を祝福し、異邦人でありながら、ルツと同じように救い主の系図に名を残すことになったのです。

2、ペルシャの王妃エステルの決断

エステル記は、南ユダ王国が滅ぼされ、イスラエルの民がバビロニヤに捕囚として連れて行かれた後の時代の記録です。捕囚から70年後に赦されて多くのユダヤ人がエルサレムに帰り、神殿を再建しました。しかし、人々の暮らしは良くならず貧しい生活を強いられていました。また、時代はバビロニヤからペルシャの時代に代わりました。エステルは両親を失い叔父のモルデカイに育てられました。

ある時、ペルシャの王妃ワシュティは王の命令に逆らい退けられてしまいました。王は新しい王妃を得るために国中から美しい女性を集めました。その中にエステルがいました。エステルは叔父のモルデカイに言われて、自分がユダヤ人であることを隠していました。多くの美しい女性が王宮に集められましたが、その中で新しい王妃としてエステルが選ばれました。この時、王に仕えるハマンが昇進し、高い地位に就きました。多くの者がハマンの前にひれ伏しましたが、モルデカイだけはハマンの前に膝をかがめず、ひれ伏すこともしませんでした。それを見たハマンはモルデカイに怒りを燃やし、彼だけではなく、彼と同じ民族のユダヤ人すべてを抹殺しようと考えたのです。それを知ったモルデカイは王妃になったエステルにユダヤ民族を助けるために王にユダヤ人を救うように嘆願してほしいと伝えたのです。エステルはモルデカイに伝えました。エステル記4章11節「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を指し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところにへ行くようにと召されていません。」モルデカイはエステルに返事を送りました。13節14節「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」エステルはモルデカイに伝えました。16節「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」断食の後、エステルは王の前に出ました。王は彼女を受け入れ、彼女からハマンの計画を聞きました。これにより、ユダヤ人を抹殺しようとしたハマンは捕らえられ、自分が用意した木にかけられて殺されました。ユダヤ人はエステルの信仰による決断によって救われたのです。エステルは自分の身を守るために、モルデカイの話を無視することもできました。しかし、彼女はユダヤ人の救いのために、自分の命を神様に委ね王の前に立ち、ユダヤ人の命を救ったのです。

私たちの人生にも大切な決断の時があります。マタイの福音書19章16節から、永遠のいのちを得るためにはどんな良いことをすればよいのでしょうかと尋ねた青年の話があります。そこで、イエスは彼にあなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえでわたしに従いなさいと言われました。しかし、彼は悲しみながら立ち去ったとあります。聖書は彼が多くの財産を持っていたからであると記しています。彼はイエス・キリストに従うより、多くの財産を持った生活を選んだということです。財産を持つことは悪いことではありません。しかし財産に執着することが悪に繋がり、神から離れてしまいます。イエスは群衆に言われました。マタイの福音書6章24節「だれでも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富に仕えることはできません。」この世の富はこの世に属するものです。私たちは死で終わりではなく、すべての人が、死後神の前に立たされます。罪を犯した者は、自分の犯した罪に従って裁かれます。しかし、イエス・キリストによって罪赦された者は、天の御国で神と共に永遠に暮らすことが出来ると聖書に約束されています。私たちは生きている間に、この世の富か永遠なる神かどちらかを選ばなければなりません。また、イエス・キリストは永遠のいのちを私たちに与えるために、ご自身のいのちを犠牲にされました。自分の罪がわかり、イエスの十字架の死が自分の罪の身代わりである事がわかったとき、私たちはどれほど大きな喜びと感謝の気持ちを持つでしょうか。それが、この世の富ではなく、イエス・キリストを自分の神として選ぶ理由です。それゆえ、自分の罪がわからない者は、このお金持ちの青年のように、永遠の命よりもこの世の富を選んでしまうのです。