聖書箇所:マタイの福音書8章5−13節
説教題:『百人隊長の信仰』
はじめに
アリストテレスは「驚き」が学問の出発点であると述べました。私たちは宇宙の秩序や生命の緻密さといった神の創造の御業に驚嘆し、そこから讃美や礼拝を捧げていますが(詩篇8篇3節)、人が神の偉大さに驚くのは自然なことであると言えます。
反対に、神が人間に対して(ポジティブな意味で)驚き、称賛されるようなことはあるのでしょうか。
人間は時として自らの技術や知恵を誇ります。創世記11章の「バベルの塔」や、現代における最先端の生成AIなどがその例です。しかし、広大な宇宙や生命の脳の仕組みを創造された神から見れば、限られた存在である人間が作り上げたものは足元にも及びません。本来、神が人に驚き、称賛することなど起こり得ないのです。
しかし、聖書には神であり主であるイエス・キリストが、ある一人の人間の行動に驚嘆し(ギリシャ語「タウマゾー」)、称賛された記録が存在します。主が驚かれたのは、その人物の力や肩書きではなく、その信仰心に対してでした。
百人隊長の信仰における3つの特徴
主を驚かせたのは、ローマ軍の異邦人である百人隊長でした。当時のローマ兵はユダヤ人から嫌悪されがちでしたが、彼の信仰には以下の特徴がありました。
- 身分の壁を超える謙遜と愛 当時の社会において奴隷やしもべは単なる道具として扱われ、病になれば見捨てられるのが常でした。しかし彼は、苦しむしもべのためにプライドを捨て、異邦人でありながらイエスの元を訪れて懇願しました。
- 徹底したへりくだり イエスが「行って彼を治そう」と申し出られた際、彼は「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は私にはありません」と返答しました。彼は主の前に自分を徹底的に低くしたのです。
- 御言葉の権威への絶対的な信頼 百人隊長は軍隊での命令系統の経験から、権威ある者の「言葉」の力を知っていました。そのため「ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます」と告白しました。直接足を運ばずとも、主の一言があれば病すら従うという絶対的な権威を認めたのです。
信仰の模範と私たちの歩み
本来、律法と預言者を知るユダヤ人こそがこのような信仰を示すべきでした。しかし彼らは不信仰に陥り、かえって御国から外の暗闇に放り出される裁きを招きました(マタイ8章11-13節)。一方で、東や西から集められる異邦人たちが天の御国で食卓に着くことが示されました。
私たちも恵みによって救われた異邦人クリスチャンですが、百人隊長のような信仰心を持っているでしょうか。主を驚かせるほどの信仰に至る道のりは容易ではありませんが、謙遜と従順をもって主の御言葉の権威に信頼し続ける歩みには大きな意義があります。具体的なしるしが見えなくとも、御言葉に固く立ち、主を喜ばせる信仰を目指して歩んでまいりましょう。
