【先週4/24の礼拝】音声を配信しました

先週のイースター礼拝に引き続き、4月24日の礼拝の音声を配信いたします。

復活されたイエス様が私達クリスチャンに与えられたミッションについて、聖書から見ていきます。下に概要となる御言葉を記します。

皆様に神様の祝福が豊かにありますように・・・。

【メッセージの概要】イエス様は言われました。「いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」確かに、信仰のマラソンを完走することができる者は限られています。それは厳しい道です。しかし、すべてを捨ててイエス様に従う者には、100倍の祝福を神様は用意してくださっています。

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。
そしてイエスに会って礼拝した。ただし、疑う者たちもいた。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

マタイの福音書 28章16~20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

【イースター】礼拝の音声を配信しました

先週の受難週に引き続き、4月17日、日曜日、イースター礼拝の音声を配信いたします。イエス様の復活の意味について、聖書から見ていきます。

なお、聖書読み上げ時の音声が聞こえづらい問題は解決し、聖書をお持ちでない方も音声が聞こえるようになっています。今回は、概要として、冒頭でお読みした聖書の御言葉のみ、以下に記します。

皆様に神様の祝福が豊かにありますように・・・。

“夕方になり、アリマタヤ出身で金持ちの、ヨセフという名の人が来た。彼自身もイエスの弟子になっていた。
この人がピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。そこでピラトは渡すように命じた。
ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包み、
岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。そして墓の入り口に大きな石を転がしておいて、立ち去った。
マグダラのマリアともう一人のマリアはそこにいて、墓の方を向いて座っていた。
明くる日、すなわち、備え日の翌日、祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのところに集まって、
こう言った。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。
ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の惑わしよりもひどいものになります。」
ピラトは彼らに言った。「番兵を出してやろう。行って、できるだけしっかりと番をするがよい。」
そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。”
マタイの福音書 27章57~66節
“さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。
すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。
その姿は稲妻のようで、衣は雪のように白かった。
その恐ろしさに番兵たちは震え上がり、死人のようになった。
御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。
ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。
そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』と。いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました。」
彼女たちは恐ろしくはあったが大いに喜んで、急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った。
すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。
イエスは言われた。「恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます。」
彼女たちが行き着かないうちに、番兵たちが何人か都に戻って、起こったことをすべて祭司長たちに報告した。
そこで祭司長たちは長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
こう言った。「『弟子たちが夜やって来て、われわれが眠っている間にイエスを盗んで行った』と言いなさい。
もしこのことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
そこで、彼らは金をもらって、言われたとおりにした。それで、この話は今日までユダヤ人の間に広まっている。”

マタイの福音書 28章1~15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

【受難週】礼拝の音声を配信しました

今週は、受難週です。この受難週にあたり、4月10日、日曜日の礼拝では、イエス様がこの地上におられた最後の24時間にフォーカスを当てて、聖書から見てきました。

そこで、礼拝メッセージの音声を本ブログに公開いたします。文字に起こした内容も礼拝メッセージのページに掲載しています(こちらをクリック)。

なお、聖書の読み上げ時の音声が聞こえづらいと思いますので、聖書がお手元にある方は、聖書を開きながら、お聞きください。聖書をお持ちでない方は、下記の御言葉を参照しながら、お聞きください。

今週は、特別に、イエス様の受難に思いを馳せたいと思います。皆様に神様の祝福が豊かにありますように・・・

“私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。
その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。”

コリント人への手紙 第一 15章3~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。
彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。
彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。
彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。
それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」”

イザヤ書 53章1~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。”

ローマ人への手紙 6章23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“さて、十二人の一人であるイスカリオテのユダは、祭司長たちのところへ行った。イエスを引き渡すためであった。
彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすればイエスをうまく引き渡せるかと、その機をうかがっていた。”

マルコの福音書 14章10~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“種なしパンの祭りの最初の日、すなわち、過越の子羊を屠る日、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事ができるように、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」
イエスは、こう言って弟子のうち二人を遣わされた。「都に入りなさい。すると、水がめを運んでいる人に出会います。その人について行きなさい。
そして、彼が入って行く家の主人に、『弟子たちと一緒に過越の食事をする、わたしの客間はどこかと先生が言っております』と言いなさい。
すると、その主人自ら、席が整えられて用意のできた二階の大広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。」
弟子たちが出かけて行って都に入ると、イエスが彼らに言われたとおりであった。それで、彼らは過越の用意をした。
夕方になって、イエスは十二人と一緒にそこに来られた。
そして、彼らが席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります。」
弟子たちは悲しくなり、次々にイエスに言い始めた。「まさか私ではないでしょう。」
イエスは言われた。「十二人の一人で、わたしと一緒に手を鉢に浸している者です。
人の子は、自分について書かれているとおり、去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」
さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、彼らにお与えになった。彼らはみなその杯から飲んだ。
イエスは彼らに言われた。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。
まことに、あなたがたに言います。神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、もはや決してありません。」”

マルコの福音書 14章12~25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“そして、賛美の歌を歌ってから、皆でオリーブ山へ出かけた。
イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散らされる』と書いてあるからです。
しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
すると、ペテロがイエスに言った。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
ペテロは力を込めて言い張った。「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」皆も同じように言った。”

マルコの福音書 14章26~31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“ペテロが下の中庭にいると、大祭司の召使いの女の一人がやって来た。
ペテロが火に当たっているのを見かけると、彼をじっと見つめて言った。「あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいましたね。」
ペテロはそれを否定して、「何を言っているのか分からない。理解できない」と言って、前庭の方に出て行った。すると鶏が鳴いた。
召使いの女はペテロを見て、そばに立っていた人たちに再び言い始めた。「この人はあの人たちの仲間です。」
すると、ペテロは再び否定した。しばらくすると、そばに立っていた人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。」
するとペテロは、噓ならのろわれてもよいと誓い始め、「私は、あなたがたが話しているその人を知らない」と言った。
するとすぐに、鶏がもう一度鳴いた。ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と、イエスが自分に話されたことを思い出した。そして彼は泣き崩れた。”

マルコの福音書 14章66~72節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“さて、彼らはゲツセマネという場所に来た。イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。」
そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く悩み、もだえ始め、
彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい。」
それからイエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、できることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈られた。
そしてこう言われた。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」
イエスは戻り、彼らが眠っているのを見て、ペテロに言われた。「シモン、眠っているのですか。一時間でも、目を覚ましていられなかったのですか。
誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」
イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。
そして再び戻って来てご覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたがとても重くなっていたのである。彼らは、イエスに何と言ってよいか、分からなかった。
イエスは三度目に戻って来ると、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」”

マルコの福音書 14章32~42節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二人の一人のユダが現れた。祭司長たち、律法学者たち、長老たちから差し向けられ、剣や棒を手にした群衆も一緒であった。
イエスを裏切ろうとしていた者は、彼らと合図を決め、「私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえて、しっかりと引いて行くのだ」と言っておいた。
ユダはやって来るとすぐ、イエスに近づき、「先生」と言って口づけした。
人々は、イエスに手をかけて捕らえた。
そのとき、そばに立っていた一人が、剣を抜いて大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落とした。
イエスは彼らに向かって言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか。
わたしは毎日、宮であなたがたと一緒にいて教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕らえませんでした。しかし、こうなったのは聖書が成就するためです。」
皆は、イエスを見捨てて逃げてしまった。
ある青年が、からだに亜麻布を一枚まとっただけでイエスについて行ったところ、人々が彼を捕らえようとした。
すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた。”

マルコの福音書 14章43~52節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、
まずアンナスのところに連れて行った。彼が、その年の大祭司であったカヤパのしゅうとだったからである。
カヤパは、一人の人が民に代わって死ぬほうが得策である、とユダヤ人に助言した人である。”

ヨハネの福音書 18章12~14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“大祭司はイエスに、弟子たちのことや教えについて尋問した。
イエスは彼に答えられた。「わたしは世に対して公然と話しました。いつでも、ユダヤ人がみな集まる会堂や宮で教えました。何も隠れて話してはいません。
なぜ、わたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、それを聞いた人たちに尋ねなさい。その人たちなら、わたしが話したことを知っています。」
イエスがこう言われたとき、そばに立っていた下役の一人が、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言って、平手でイエスを打った。
イエスは彼に答えられた。「わたしの言ったことが悪いのなら、悪いという証拠を示しなさい。正しいのなら、なぜ、わたしを打つのですか。」
アンナスは、イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところに送った。”

ヨハネの福音書 18章19~24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“人々がイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長たち、長老たち、律法学者たちがみな集まって来た。
ペテロは、遠くからイエスの後について、大祭司の家の庭の中にまで入って行った。そして、下役たちと一緒に座って、火に当たっていた。
さて、祭司長たちと最高法院全体は、イエスを死刑にするため、彼に不利な証言を得ようとしたが、何も見つからなかった。
多くの者たちがイエスに不利な偽証をしたが、それらの証言が一致しなかったのである。
すると、何人かが立ち上がり、こう言って、イエスに不利な偽証をした。
「『わたしは人の手で造られたこの神殿を壊し、人の手で造られたのではない別の神殿を三日で建てる』とこの人が言うのを、私たちは聞きました。」
しかし、この点でも、証言は一致しなかった。
そこで、大祭司が立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか。この人たちがおまえに不利な証言をしているが、どういうことか。」
しかし、イエスは黙ったまま、何もお答えにならなかった。大祭司は再びイエスに尋ねた。「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。」
そこでイエスは言われた。「わたしが、それです。あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」
すると、大祭司は自分の衣を引き裂いて言った。「なぜこれ以上、証人が必要か。
あなたがたは、神を冒瀆することばを聞いたのだ。どう考えるか。」すると彼らは全員で、イエスは死に値すると決めた。
そして、ある者たちはイエスに唾をかけ、顔に目隠しをして拳で殴り、「当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちはイエスを平手で打った。”

マルコの福音書 14章53~65節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“夜が明けるとすぐに、祭司長たちは、長老たちや律法学者たちと最高法院全体で協議を行ってから、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。”

マルコの福音書 15章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“ピラトはイエスに尋ねた。「あなたはユダヤ人の王なのか。」イエスは答えられた。「あなたがそう言っています。」
そこで祭司長たちは、多くのことでイエスを訴えた。
ピラトは再びイエスに尋ねた。「何も答えないのか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているが。」
しかし、イエスはもはや何も答えようとされなかった。それにはピラトも驚いた。”

マルコの福音書 15章2~5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“ピラトは祭司長たちや群衆に、「この人には、訴える理由が何も見つからない」と言った。
しかし彼らは、「この者は、ガリラヤから始めてここまで、ユダヤ全土で教えながら民衆を扇動しているのです」と言い張った。
それを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、
ヘロデの支配下にあると分かると、イエスをヘロデのところに送った。ヘロデもそのころ、エルサレムにいたのである。
ヘロデはイエスを見ると、非常に喜んだ。イエスのことを聞いていて、ずっと前から会いたいと思い、またイエスが行うしるしを何か見たいと望んでいたからである。
それで、いろいろと質問したが、イエスは何もお答えにならなかった。
祭司長たちと律法学者たちはその場にいて、イエスを激しく訴えていた。
ヘロデもまた、自分の兵士たちと一緒にイエスを侮辱したり、からかったりしてから、はでな衣を着せてピラトに送り返した。
この日、ヘロデとピラトは親しくなった。それまでは互いに敵対していたのである。”

ルカの福音書 23章4~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“ところで、ピラトは祭りのたびに、人々の願う囚人一人を釈放していた。
そこに、バラバという者がいて、暴動で人殺しをした暴徒たちとともに牢につながれていた。
群衆が上って来て、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。
そこでピラトは彼らに答えた。「おまえたちはユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」
ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。
しかし、祭司長たちは、むしろ、バラバを釈放してもらうように群衆を扇動した。
そこで、ピラトは再び答えた。「では、おまえたちがユダヤ人の王と呼ぶあの人を、私にどうしてほしいのか。」
すると彼らはまたも叫んだ。「十字架につけろ。」
ピラトは彼らに言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」
それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。”

マルコの福音書 15章6~15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“兵士たちは、イエスを中庭に、すなわち、総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。
そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
それから、「ユダヤ人の王様、万歳」と叫んで敬礼し始めた。
また、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。
彼らはイエスをからかってから、紫の衣を脱がせて、元の衣を着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。
兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。
彼らはイエスを、ゴルゴタという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。
彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、くじを引いて、だれが何を取るかを決め、イエスの衣を分けた。
彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
彼らは、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。
通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おい、神殿を壊して三日で建てる人よ。
十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
キリスト、イスラエルの王に、今、十字架から降りてもらおう。それを見たら信じよう。」また、一緒に十字架につけられていた者たちもイエスをののしった。
さて、十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続いた。
そして三時に、イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
そばに立っていた人たちの何人かがこれを聞いて言った。「ほら、エリヤを呼んでいる。」
すると一人が駆け寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒に付け、「待て。エリヤが降ろしに来るか見てみよう」と言って、イエスに飲ませようとした。
しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。
すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。「この方は本当に神の子であった。」”

マルコの福音書 15章16~39節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“女たちも遠くから見ていたが、その中には、マグダラのマリアと、小ヤコブとヨセの母マリアと、サロメがいた。
イエスがガリラヤにおられたときに、イエスに従って仕えていた人たちであった。このほかにも、イエスと一緒にエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。
さて、すでに夕方になっていた。その日は備え日、すなわち安息日の前日であったので、
アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。
ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いた。そして百人隊長を呼び、イエスがすでに死んだのかどうか尋ねた。
百人隊長に確認すると、ピラトはイエスの遺体をヨセフに下げ渡した。
ヨセフは亜麻布を買い、イエスを降ろして亜麻布で包み、岩を掘って造った墓に納めた。そして、墓の入り口には石を転がしておいた。
マグダラのマリアとヨセの母マリアは、イエスがどこに納められるか、よく見ていた。”

マルコの福音書 15章40~47節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

礼拝メッセージを更新しました

先週の礼拝では、大切な御言葉に向かうとき、どのような態度を取るべきかについて聖書から見ていきました。 本日、礼拝メッセージを更新したのでお知らせします。こちらからも飛べます→御言葉を学ぶ態度(2022年4月3日)

皆様に主の祝福と御恵みがありますように。お祈りしています。

時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、
花を咲かせ、世界の面を実で満たす。
イザヤ書 27章6節

礼拝メッセージを更新しました

先週の礼拝では、御言葉の大切さについて聖書から見ていきました。 本日、礼拝メッセージを更新したのでお知らせします。こちらからも飛べます→御言葉の大切さ(2022年3月27日)

皆様に主の祝福と御恵みがありますように。お祈りしています。

遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。
「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。
ローマ人への手紙 10章15節

礼拝メッセージを更新しました

先週の礼拝では、結婚について聖書から見ていきました。 本日、礼拝メッセージを更新したのでお知らせします。こちらからも飛べます→結婚について(2022年3月13日)

皆様に主の祝福と御恵みがありますように。お祈りしています。

「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。
草はしおれ、花は散る。 しかし、主のことばは永遠に立つ」
とあるからです。
これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。
ペテロの手紙 第一 1章24~25節

礼拝メッセージを更新しました

先週の礼拝では、旧約聖書のエゼキエル書38章から、ロシアを中心とした戦争についての終末の預言を語りました。

本日、礼拝メッセージのページに更新したのでお知らせします。こちらからも飛べます→エゼキエル戦争の預言(2022年3月6日)

皆様に主の祝福と御恵みがあり、コロナの感染からも守られますように。お祈りしています。

私はあなたの恵みに拠り頼みます。
私の心はあなたの救いを喜びます。
私は主に歌を歌います。
主が私に良くしてくださいましたから。
詩篇 13篇5~6節

戦争について聖書から語ります(明日の礼拝)

明日(3/6)の礼拝では、旧約聖書のエゼキエル書38章から、ロシアを中心とした戦争についての終末の預言を語ります。

引き続き教会が初めてという方も、礼拝へのご参加を歓迎いたします。礼拝案内は、こちらです。

礼拝メッセージを更新しました

本日、礼拝メッセージのページに、御霊を消してはいけません(2022年2月6日)を更新しました。

皆様に主の祝福と御恵みがあり、コロナの感染からも守られますように。お祈りしています。

彼らはエジプトから携えて来た生地を焼いて、種なしのパン菓子を作った。
それにはパン種が入っていなかった。
彼らはエジプトを追い出されてぐずぐずしてはいられず、
また自分たちの食糧の準備もできなかったからである。
出エジプト記 12章39節

キリスト教の音楽②

前回の記事「キリスト教の音楽①」の投稿からだいぶ経ちましたが、今回2回目の連載となります。

もちろん、聖書の御言葉に勝る言葉はこの世にはありませんが、その御言葉に基づく歌詞の歌を聴けることもこの地上で与えられている恵みだと思います。

今回紹介する歌は、前回同様、全編英語の洋楽ですが、この連載記事が、皆様にとって聖書について考えながら、あわよくば英語も同時に学べる一石二鳥の機会となれれば良いな、と思っています。もちろん、中には英語はある程度できるという方も、また反対に英語はちょっと苦手・・・という方もおられると思います。そんな方には、英語のことを一切抜きにして一通り読んで頂くことで、キリスト教について全く知らない人でも学ぶ機会となり、またクリスチャンにとっては励ましを与えるものとなれば嬉しいです。

前回の連載記事では、一曲に対して詳細に考察していきましたが、今回もそれと似たような感じです。(本当は広く浅めに紹介していきたいと思ったのですが、書いているうちに膨れてしまいました・・・)また、これからは、連載で一人のアーティストによる複数の曲を紹介していきたいと考えています。

これからご紹介する曲は、下記youtubeのリンクにまとめていますので、そちらからご視聴ください。ちなみに、今後紹介したいと考えている曲も載せていますが、もちろん、視聴はタダなので(youtubeプレミアムに登録しない限り。広告は付きますが)、本記事で取り上げる曲もそうでない曲もすべて、BGMなどご自由にご使用ください。なお、リンクに載せているものはどれも、普段色々なキリスト教の音楽を聴いている中から厳選したものです(個人の趣味の範囲に過ぎないですが^^;)。また、リンクの中で今後、勝手に曲が増えていく可能性もありますので、乞うご期待を(笑)。

youtubeリンクはこちら

さて、前置きが長くなりました。今回ご紹介するのは、Becka Shae’s Way(和訳:ベッカ・シェイのやり方)でyoutubeに曲を挙げているBecka Shaeさんです。もちろんクリスチャンの方です。ご主人を作曲プロデューサーとして活躍されているアーティストで、アルバムも出されていますが、今回ご紹介するのはアルバムにはない、youtubeのみにあげられている曲です。

上述したyoutubeのみにあげられている曲で特徴的なのは、その曲がセキュラー(キリスト教の教理とは反対の地上の、世俗的)なポピュラー音楽の歌詞をすべて聖書のみことばや信仰に基づいた歌詞に変えていることです。セキュラーな音楽は聞かないので原曲はあまり知らないのですが、いくつか歌手の名前を挙げるとしたら、ジャスティン・ビーバーやエド・シーラン、テイラー・スウィフトといったところでしょうか。洋楽をあまり聴かない方でも、もしかしたら、原曲をどこかで聴かれたことがあるかもしれません。確かに、これまで私も、店先でよく流れているあの曲だな、と思ってBecka Shaeさんのyoutubeを聴いていました。

前回の連載でも述べましたが、クリスチャンになってからはセキュラーな音楽は受け付けなくなってしまったので、素晴らしい才能を持ったアーティストたちのセキュラーな音楽を彼女がとても信仰に満ちた歌詞に変えて歌ってくれることは、ひとりのクリスチャンとして、とても嬉しく思います。もちろん、歌唱力も素晴らしく、原曲は聴いたことがないですが、それらと決して劣るものではないと思います。むしろ、聴いていて心地よいです。

さて、先ほど取り上げたリンクの中で、最初に載せた曲は、Dua LipaのLevitatingという曲の歌詞を変えて歌った曲です。先ほどもお伝えしたとおり、本記事ではこの曲についてのみ取り上げ、あとの曲は今後の連載でできる限り取り上げていきたいと思います。

この曲は、他の曲と同様、原曲を一度も聞いたことがないのですが、Becka Shae’s Wayの中ではよく聴いている曲です。とてもキャッチーで、キリスト教の音楽はあまり聴いたことがないという方でも、最初に入りやすい曲かと思ったので最初に載せました。・・・いかがでしたでしょうか。

サビに出てくる”We got Truth”は、日本語にすると「真理は私たちのうちにある」ですが、英語の方が短いですし、かなりスッと入って来ます。聖書のみことばをすべて偽りのない神の言葉として信じるクリスチャンの信仰を的確に表した力強い言葉と感じます。もちろん、聖書のみことばは真理そのものでもあります(ヨハネの福音書17章17節)。その後、”faith rise”と続く部分がありますが、みことばは信仰のことばとも言われています(ローマ人への手紙10章8節)。私たちは、神様を信じるなら、その語られたことばも信じなければなりません。また、Let the Son shine brightという歌詞も、Sun(太陽)の代わりにSon(神の御子、すなわちイエス・キリスト)としているところに作詞した人の意図を感じます。聖書の中の、光を現しなさい、というクリスチャンの間では有名なみことば(マタイの福音書5章14~16節)にも通じていますね。

以上、断片的に述べてきましたが、サビのWe’re elevating、やcome on fly with meなどの歌詞のとおり、曲の全体を通じて、天国に上げられ永遠を主とともに過ごすことになる信仰者が他の人も救いに導いていく様子を描写しているように感じます。Come on let the Spirit take you highという歌詞も人びとの救いを完成される聖霊様について触れていますね。

その中でも、曲の2番目のAメロ?(動画の1:00〜1:18あたり)の歌詞に着目して頂きたいと思います。・・・え、早過ぎて聞き取れない??いやいや、安心してください(笑)。字幕がついていますので一つ一つ停止しながら動画をご覧ください。実際に私も確認してみました。なお、これからは日本語のみで説明していきますので、本記事をとおして英語を学ばれたい方は、どの歌詞か見つけてみてください。

まず、神様は私たちが必要とするすべてです。それは、私たちが息をするという基本的なところでもそうです。また、食事や寝る場所があるということ、それぞれ一人ひとり異なった才能や能力、仕事や伴侶なども、神様に与えられているものです。また、この記事をお読みになっている皆さんがこの時代に生きていること自体、神様の御心によるものです。すべてこの世界は神様が支配されていて、神様の御手の中にあります。そして、確かに神様は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。もし、この中で神様のことがよくわからないという方がおられるなら、神様を手探りで求めれば神様を見出すことができる、と聖書に約束が書かれています。(使徒の働き17章26~28節)なのでまずは祈り求めてください。そして、与えられるまで求め続けてください。神様はその祈りに必ず、答えてくださいます。(マタイの福音書7章7~8節)驚きかもしれませんが、これは真実です。

そして、神様は、愛なるお方です。なぜなら、イエスキリストは神様であられたのに、私達の身代わりに十字架にかかり、神の怒りを受け、血を注ぎ流し死んでくださったからです。聖書のみことばに、ここに愛がある、と書かれています(ヨハネの手紙 第一4章9~10節)。また、その神様については、この地上にあるさまざまなものをとおして私たちに明らかに示されている、と聖書にあります(ローマ人への手紙1章19~20節)。数えきれないほどの夜空の星を見て、私たちは、神様の創造の神秘を知ることができます。

また、聖書には、「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ(イザヤ書40章8節)」と書かれています。このように、この世界にあるすべてのものが廃れ、消え去っても、神のことば、すなわち聖書のみことばは消え去りません。この地上にあるものは、必ず消え去ります。消え去るものに目をとめていることはいかに虚しいことかと思います。聖書は、だからこそ、永遠に残るものに目をとめているように、と私たちに命じています(コロサイ人への手紙3章1~3節)。このことについて、偶然にも、前回のキリスト教の音楽①の結論の部分でも触れていたので、そちらもよろしければご覧ください。

さらに、聖書には、永遠に残るみことばを慕い求め、それによって成長し、救いをえなさい、とも書かれています(ペテロの手紙第一2章2節)。純粋な霊の乳とはみことばのことです。そうです。聖書のみことばは私たちを霊的に成長させ、救いを得させることができるのです。それが、クリスチャンたちが、これまで読んだことのある同じ箇所でも繰り返し、日々聖書を読み続ける理由です。なので、救われて天国に行きたいと思われる方は、神様に祈り求めながら、積極的に聖書のみことばを読み、聖霊様の力によって聖書を悟らせていただきましょう(ヤコブの手紙1章21節)。

さて、長かったですがここまで読んでくださったこと、感謝します。これまで述べてきた内容で、どの歌詞の部分について触れているか、わかりますか?^^最後になりましたが、もう一つだけ歌詞の中から、お語りします。これは、ちょっと意見が別れそうですが、私個人の解釈としては、教会のことを指しているのかな、と思いました。もちろん、神様との祈りの中での親しい交わりとも取れるかもしれません。もちろんこれもとっても大切なことですが、ここではあくまでも前者について述べたいと思います。

みなさんは、教会には行かれたことがありますか?聖書のヘブル人への手紙10章23~25節には、「自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう」と書かれています。以前の礼拝メッセージの中で、「誘惑に会うと一人では潰されてしまう」と書きましたが、この終わりの時代にあって、信仰を保っていくために、お互いに励まし合える横のつながりもとても大切です。このことをこの曲のある部分から思わされました。「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(ペテロの手紙 第一4章8節)」とも聖書で命じられていますので、神様のみことばをどこであっても、実践していきたいと思います。

真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。

ヨハネの福音書 17章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

では、何と言っていますか。「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。

ローマ人への手紙 10章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

マタイの福音書 5章14~16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。
『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。

使徒の働き 17章26~28節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。

マタイの福音書 7章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

ヨハネの手紙 第一 4章9~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。

ローマ人への手紙 1章19~20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。

コロサイ人への手紙 3章1~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

ペテロの手紙 第一 2章2節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

ヤコブの手紙 1章21節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。
また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。
ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。

ヘブル人への手紙 10章23~25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会