12/21 ルカ2:8-20「救い主イエス様のお誕生です!」

導入

 今日の聖書箇所は、皆さんご存知のイエス様のお誕生の知らせが、御使いたちから羊飼いたちに知らされたお話しですが、心新たに感謝しつつ分かち合ってまいりましょう。

本題

 羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの番をしていました。当時の社会では羊飼いは低く見られていた仕事でした。彼らはのけ者にされ、町に入ることを許されず、一般の人々からも信用されていませんでした。しかしイエス様は「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える」と聖書が一貫して語っているように、おごり高ぶった者や権力を持った者ではなく、社会で「一番低い」と見なされるのけ者や謙遜な人々のために来られます。ですから神様はこの羊飼いたちに、御子イエス様のご降誕の最初の知らせをくださいました。それが、ルカがこの物語を書いた理由でした。

 この救い主メシアお誕生の物語で、羊飼いは別の意味も持っていました。この新しい王様イエス様の祖先であるダビデ王は、生涯の大半を羊飼いとして過ごしました。神様はその羊飼いの職業にあるダビデを召し出し、イスラエルの民の「牧者、羊飼い」とならせました。聖書はしばしば、神様ご自信を含めて神の民を顧みる者すべてを象徴するものとして羊飼いの職業を用いています。

 この羊飼いたちが野宿をしながら羊の群れの夜番をしていた時、突然、主の御使いが羊飼いたちのところに来て、主の栄光が暗闇を貫いて周りを照らし輝きました。羊飼いたちは、彼らを取り囲んで輝いていたまばゆい光、「主の栄光」によって、これが超自然的な神様のご臨在であることを理解しました。「栄光」とは、神様の臨在で感じられる威厳と輝きを指します。

 御使いが現われ、主の栄光が周りを照らしたので羊飼いたちは驚き、恐れました。この御使いはガブリエルだったと言われています。御使いは羊飼いたちに「恐れることはありません」と励ましの声をかけました。御使いはすべての人々に向けて大きな喜びの知らせを携えて来たのです。イエス様が誕生されたまさにその時に御使いによってこの良き知らせは伝えられました。この良き知らせは大きな喜びをもたらすことになります。なぜならそれはユダヤ人が待ち望んでいた救い主の到来を意味していたからでした。この大きな喜びが告げ知らされる「この民全体」とは、イスラエルの民のことでした。この大きな喜び「良き知らせ」はいつの日か世界中のあらゆる地の人々に大きな喜びをもたらすことになりますが、まず最初に神との契約の民に届けられたのです。

 ユダヤ人の中には、ローマ帝国の支配下での虐げから救う救い主を待つ者もいれば、メシア、キリストが肉体の病から解放してくれると期待する者もいました。しかし人となってお生まれになったイエス様は、人々の病を癒し、信仰上の霊的な王国を築きつつ、人々を罪から救われます。そのお働きは人々の想像も及ばないほどです。そして、人々の罪を担い十字架にかけられ、罪の代価を支払い、人々に神様との和解への道を開かれます。今お生まれになったイエス様が与えてくださるのは、一時的な政治的支配などからの解放ではなく、霊的な解放、罪からの解放であり、永遠に生きるいのち、新しく創造される魂なのです。

 そして御使いは、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」と、「福音」の大切な部分を語りました。一人の幼子が「ダビデの町」といわれるベツレヘムで生まれたばかりでした。

この幼子が救い主イエス・キリストでした。ギリシャ人やローマ人にとって、「救い主」という言葉は、彼らの神々だけでなく、偉大な軍事上・政治上の指導者にも使われていました。ユリウス・シーザー、カエサルは「救い主」と呼ばれましたので、この言葉は、ユダヤ人だけでなくギリシャやローマの異邦人にも簡単に分かりました。

 救い主イエス・キリストの「キリスト」はギリシャ語で「油注がれた者」と言う意味で、油注がれるというのは、特別な目的のために選ばれることでした。ユダヤ人はこの特別な救い主、すなわち神様の油注がれたお方、メシア、キリストを待ち望んでいたのです。そしてこの方こそ待ち望んでいた、主キリストですと告げられました。

 羊飼いたちは、しるしを自分たちの方から求めませんでしたが、御使いから与えられました。御使いは羊飼いたちがすぐにこの子を探しに行くことを期待していたようで、見分けるための特徴を伝えました。みどりごは布にくるまれ、飼い葉桶に寝かされていると告げられます。このしるしは羊飼いたちが正しいみどりごを見つける助けとなります。また、御使いの言葉が細かい部分まで真実であることを証明することになります。ベツレヘムには布で包まれた他のみどりごもいたかもしれませんが、「飼い葉桶に寝かされている」みどりごはただ一人だけだったのです。

 羊飼いたちは宮殿や裕福な家を探せとは告げられていませんでした。世間からのけ者にされていた彼らですから、そうした場所では門をくぐることもできなかったことでしょう。しかし、貧しい家畜小屋へは行くことができ、貧しい夫婦マリヤとヨセフには受け入れられ、奇跡で生まれたみどりごを発見できるのです。

 御使いが神様の地上降臨という大きな知らせを告げた後、突然、空全体が賛美に包まれました。御使いに天の軍勢という多くの御使いたちが加わったのです。御使いたちの重要な役割の一つが、絶え間なく神を賛美することです。神の御子が地上に来られたことで、「天の軍勢」御使いたちが神様への賛美の歌に加わりました。通常は複数の御使いたちが同時に現れることは稀ですが、この偉大な出来事においては、おびただしい数の御使いたちが共に集い、神様を賛美したのです。「天の軍勢」の御使いたちは、神様に仕える選ばれた御使いたちの集団です。「いと高き所で、栄光が神にあるように」という賛美は、地上のあらゆる出来事を導き、支配するお方に向けられています。その方は「天の最も高い所」におられ、「地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように」とありますように、救い主誕生によって、御心にかなう者たちに地上の平和を授けられます。ここで言われる平和とは、メシアのみがもたらすことができる平和であり、それは戦争や紛争後の平和ではなく、罪深い人類と聖なる神様との間の平和です。神様の恵みを受ける者とは、神様がご自身の真理を慈しみをもって示し教えられる者たちです。神様は栄光を受けるべきお方であり、神様が選ばれた者たちに平和をもたらされます。イエス様のお誕生を通して人類にもたらされた「福音」のすべてが、神様の御心と恵みのみによってもたらされたのです。

 賛美の歌を歌った後、御使いたちは天に帰りました。羊飼いたちは、この起こったことをすぐに見届けたくなりました。そこで急いでベツレヘムの村へ行き、「布にくるまって飼い葉桶に寝かされている」みどりごを確信を持って探しました。そして御使いが告げた通り、マリアとヨセフ、飼い葉桶に寝かされているみどりごを見つけたのです。

 羊飼いたちは、みどりごを抱えた夫婦に突然自分たちが現れた理由を説明するために御使いが語ったことをマリアとヨセフに伝えたことでしょう。そして周りにいた羊飼いたちの話に耳を傾ける者たちに、自分たちの周りでおきたことと、御使いから聞いたことがすべてその通りであったことを伝えました。

人々は羊飼いの話に耳を傾けました。羊飼いは大した知識を持たないと人々から見られていましたが、この羊飼いたちは驚くべき情報を伝えました。その知らせは、息をのむほどであり、大きな変化をもたらすものでした。羊飼いたちは心を込めて語り、その言葉は最も深く必要としている人々の心に響いたのです。

 それを聞いた人々は「驚きました」。対照的に、マリアはこれらの言葉をすべて心に納めて、思いを巡らしていました。「心に納める」とはこの出来事を筋が通るようによく考え、真理をつきとめようとし、心に刻んで、大切にしまっていたということです。「思いを巡らす」とは、繰り返し考え、理解しようとし続けることです。みどりごを見つめながら、マリアは多くのことを考えさせられたことでしょう。特に、マリアが生むことになる「男の子の名前をイエスとつけなさい」と御使いガブリエルが言ったことや、その子が永遠にこの世を支配すること、「聖なる者、神の子と呼ばれる」と告げられたことを思い出していたことでしょう。そして羊飼いたちは「この方こそ主キリストです」と言った御使いの言葉を伝えました。マリアがこの小さなみどりごを抱きながら、神がなさっていることすべて、そして自分の息子が成長してどのような人物になるのかについて、きっと思いをめぐらせたことでしょう。

 羊飼いたちは、「見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので」信仰を持って神様をあがめ賛美しながら帰って行きました。

結論

 先ほどから繰り返しお伝えしていますが、この良き知らせが一番最初に身分の低い、霊的にも貧しい者と言われ、忌み嫌われている羊飼いたちに届きました。そして羊飼いたちは、救い主の誕生を最初に聞いて、信じ、ベツレヘムに現れた良き羊飼い、救い主を見分けて探し出したのです。そのような人々を、神様は選ばれたのです。

 御使いが突然現れた時その輝きで羊飼いたちは圧倒され、恐怖に陥りました。御使いが現われた目的は、驚かせたり、惑わしたりすることではなく「大きな喜びを告げ知らせる」ためでした。 

 羊飼いたちは「主が私たちに知らせてくださった」と言って、心から喜び信じ、みどりごを尋ねました。羊飼いたちが御使いの知らせを主ご自身の言葉として受け止めたのです。ですからこの物語は、羊飼いたちの単なる訪問ではなく、イエス様のお誕生について神様が知らせてくださったことが羊飼いたちをすぐに動かしたのです。

 皮肉なことに、羊飼いたちにユダヤの法では裁判の証人としての資格がありませんでした。しかし「のけ者」にされていた羊飼いたちが、最初にみどりごと会い良い知らせ福音の最初の証人となる資格を与えられたわけです。神様からの福音の知らせの言葉こそが、この羊飼いたち、福音の証人を呼び出して、人々に福音を伝える力を与えたのでした。羊飼いたちは、一番最初に「みことばに仕える者」として、「このみどりご」のことを知らせる働きを担いました。

イエス様についての良き知らせ、福音は、イエス様を受け入れるという謙虚な心を持つなら誰のところにでも来でくださいます。どんな人であれ、どんな仕事をしていようと、イエス様を人生にお迎えすることができます。特別な資格などいりません。イエス様はありのままの人を受け入れてくださるのです。

最後に羊飼いたちは「見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行きました」と書かれています。信仰を持つ段階として、聞くことが見ることより先に来ます。彼らの喜びはもともと彼ら自身のうちに有ったのではなく、救い主のお誕生を「告げられた」結果与えられ、福音によって神様を伝え神様に仕える新たな人々が生み出されたのです。飼い葉おけの周りには、様々な人々が集められ、 羊飼いたちは、主の栄光が周りを照らす中で、御使いが語った良い知らせを伝え、その言葉の通り、飼い葉おけの中で眠るみどりごと会い、このみどりごが救い主イエスキリストだと知らされたと語りました。聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いたとだけあり、神をあがめ賛美していたと記されているのは羊飼いたちだけです。神様は、信じて、神をあがめ賛美する人たちを選ばれたのです。 

羊飼いたちは恐れに襲われましたが、御使いたちがメシアの誕生を告げるうちに、その恐れは喜びへと変わり、急いで行ってみどりごを探し当て、それから喜びの知らせを広めました。イエス様はあなたのメシア、あなたの救い主です。神様のみわざへの賛美と感謝が、私たちを他の人々に証しする動機となるはずです。あまりにも素晴らしい主を見つけ出しましたから、その喜びを分かち合わずにはいられません、なんと素晴らしい誕生の知らせでしょう!

 主の御前に素直にへりくだり、救い主のお誕生を喜んだ羊飼いたち、世の中の人々からのけ者にされていた羊飼いたちは模範となる人たちです。私たちも、特にこのクリスマスの時、私たちの罪を担い贖ってくださり、よみがえられて天に帰られ、私たちをとりなし守ってくださっている、救い主イエス様に感謝し、皆でイエス様のお誕生をお祝いしましょう。

About the author: 東御キリスト教会

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