死からいのちへの転換~Iコリント15:54-58

福音によって私たちに御国が近づいたこと、イエス・キリストを信じることによって天国へ行けるという良い知らせが世界に伝えられています。そしてそこにある重要なことは死からいのちへ移される。また転換されていくということです。 Iコリント15章に死のトゲは罪であり、罪の力は律法ですとあります。霊的な死は罪を生み出す土台となります。神様との関係が確立されていないので諦め、刹那的な思い、敗北感、挫折感、虚無感、また怒り、不満などに満ちています。どこかでこんなはずではなかったと思いつつも答えを主の中に見いだせない状態です。律法自体はいいものですが私たちの思考が律法的になっていく時、そしてその律法的な思いによって自分を裁いたり、他人を裁いたりし出すと罠にかかったような状態になってしまいます。 しかし、イエス様は死を打ち破り勝利してくださいました。私たちはそれゆえに堅く立ち、揺れ動かされることなく立つことが出来るようになるのです。失敗したと感じたとしても成長するための糧と出来るように変えられていくのです。最初からすべてのことに対して失敗しない人はいません。ですから失敗を過度に恐れずに主にあって励みましょう。私たちの思いを主の思いと一致させていきましょう。聖書が教えている価値観に転換していきましょう。思いが変えられる時に行動が変えられ、行動が変えられる時に生き方が変わってきます。変えられた生き方は周囲に良い影響を与えていきます。世の光地の塩としてより純度を増していきましょう。 [Read more...]

信仰による回復~ヤコブ5:15-20

信仰とは神様に対する信頼という側面もあります。そして信仰とは祈ることと共に祈りに導かれて人々とつながっていくこと、神様に従うこととその現れは見えないものだけでなく見えるかたちにも現れていきます。心にあることが見えるかたちになって現れるのです。 しかし、したいと思っている善よりもしたくない悪を行ってしまう肉の弱さをパウロが記しているように私たちはすべて信仰から来ることだけを現わしていくことは困難かも知れません。それでも私たちはエリヤが信仰によって雨を降らせ、火を降したように神様を信頼して祈る者となりたいと願い続ける者でるべきです。まず心で信じたことを諦めない心を持つこと、そしてそれを現わしていこうとすることが信仰の行動へと繋がっていきます。 思うだけでなく互いに罪を言い表し、共に主の前に遜るということもとても大切です。そこから癒しと和解が流れでるからです。そして間違った道から人々を連れ戻すならそこには大きな回復が伴います。主の祝福が人間関係を回復させるだけでなく、ソロモンが神殿を建てた時に主が語られたようにその地を回復させてくださる主の愛と恵みが注がれます。そこにリバイバルから来るトランスフォーメーションがあります。地域の経済や気候も主の祝福によって変貌していくことが起こりえるのです。 神様を信頼し、祈り、伝える者となっていきましょう。 [Read more...]

世の光となる~マタイ5:13-16

世の光、地の塩という例えを持ってイエス様は私たちがどのように歩むのかということを教えられました。イエス様が語られたことばは私たちの人生の方向性をしっかりと示しています。イエス様を救い主として信じ、そして信じる私たちがどのように歩んでいけば良いのかを明確に教えてくださっています。 ありのままの私たちがイエス様を信じて救われるという救いのスタート地点は揺るぎませんが信じた私たちがどのように成熟へと進んでいくのかということもまた大切です。行いがないと救われていないという極端に陥らないと同時に救われただけでなにも変わらないという極端からも私たちは守られる必要があります。 良く「○○べき」ということばに過敏に反応する方がおられますがイエス様は「○○しなさい」とさらに進んで明確な指示、また命令を弟子達に語られました。それは使徒達がまず遣わされた時に結果の大小に関わらず主の働きが前進していったように世の光、地の塩として私たちが輝くという面とそれによって多くの人々が主を知るようになるという面、またその過程の中で私たちが自分達の都合を置いて主に従う時に起る多くの恵みを私たちが知るためです。主の恵みを知るというのははじめの奇蹟において水を汲んだ僕がその奇蹟を一番理解できたように私たちが主のことばに忠実に従うからこそ御業が起り、またそのことによって私たちの信仰が強められ、その奇蹟によって多くの方が主の恵みを受けることが出来るという広がりがもたらされます。 主に従い、光を輝かせる者となりましょう。 [Read more...]