📖 マタイの福音書 4章18-22節 「神様の招きに応える」要約
召命の本質:神の主権的な選び
本日分かち合っていただいたマタイの福音書第4章18節から22節の箇所は、四人の漁師、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネがイエス様から弟子として召された決定的な瞬間を記しています。
この召命で特筆すべきは、イエス様の方から漁師たちに声をかけられたという点です。当時のユダヤ社会において、通常は優秀な弟子となる若者たちがラビ(教師)を選び、弟子入りを志願するのが一般的でした。しかし、ここでは全く逆のことが起こっています。これは、弟子たちがイエス様を選んだのではなく、イエス様が彼らを選ばれたという、極めて異例な出来事でした。
この事実は、神様の選びの原理を示しています。神様は、人間が価値を置く学歴、家柄、社会的地位といった基準で人を選ばれるのではありません。ご自身の主権と恵みによって、ご自身の目的のために人を選び、召されるのです(ヨハネ15:16)。この選びは、私たちが自分の行いを誇ることがないように、神様の豊かな恵みが示され、神様のご栄光だけが崇められるようになるための、神様の知恵に基づいたご計画です。選ばれた私たちクリスチャンは、神の作品であり、あらかじめ備えられた良い行い(エペソ2:10)を歩むために造られたのです。
新しい使命と献身の応答
イエス様は彼らに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と招かれました。「ついて行く」という招きは、単に物理的に後をついて歩くことではなく、当時のラビと弟子の関係において、その師の教えを学び、生き方を模倣し、その使命を共有することを意味していました。
漁師という職業は、安定した経済的基盤を持つ尊い働きでしたが、イエス様が彼らに与えようとされた使命は、人々に福音を伝え、永遠の命をもたらす「人間をとる漁師」という、何にも変え難い尊い働きでした。
このイエス様の招きと約束に対して、彼らは「すぐに網を捨てて、イエスに従った」と応答しました。この「すぐに」という言葉は、「即座に」「躊躇なく」という意味を持ち、彼らがためらうことなく、これまでの生活の安定(網)を捨てて、新しい道を選び取った献身の姿勢を示しています。
神を第一にする勇気:家族よりも優先
特にヤコブとヨハネは「舟と父を残してイエスに従った」と記されています。当時のユダヤ社会では、父を敬い、事業を継承することが家族の義務であり、道徳的・宗教的な義務でした。それを残して従うという決断は、その重大性を強調しています。
イエス様は、弟子となる者に「わたしのもとに来て、自分の父、母…さらに自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることはできません」(ルカ14:26)と言われました。ここでいう「憎む」とは、ヘブル的な表現で「より少なく愛する」「二番目にする」という意味です。イエス様が教えられたのは、神様への献身が、家族を含む他のすべてのものに優先されなければならないという、最優先順位の原則です。
これは家族を大切にしないということではなく、神様を第一にすることによってこそ、家族をも正しく愛することができるようになるという真理です。神様を第一にしない家庭は、神様の祝福から遠ざかり、真の幸いを見失います。ヤコブとヨハネの行動は、自分の都合や家族のことが一番になりがちな私たちに、網を手放し、家族よりも神様を優先する勇気を求めています。なぜなら、神様が私たちに何かを求められるとき、それは私たちから奪うためではなく、百倍の祝福という「もっと良いもの」を与えるためだからです。
私たちは、このイエス様の尊い招きに、弟子たちのように「すぐに」応答し、神様を第一とする実を結ぶ生き方を求めていきましょう。
