聖書箇所:マタイの福音書5章31−37節

説教題:『誠実と信頼』

1. 導入:内面の清さと高い基準

これまで山上の説教を通じ、イエス様が律法学者たちの形式的な義を超え、心の内面の清さを求めておられることを見てきました。主が求められる基準は、単なる外見の行動規制ではなく、神の御心にかなう高い次元の聖潔です。今回はその流れを受け、私たちの「言葉」と「関係性」における真実さ、すなわち「神の御前でいかに誠実に生きるか」というテーマが語られます。

2. 結婚の神聖さと誠実な責任

イエス様はまず「離縁(離婚)」について触れられました。当時、申命記24章1節の解釈を巡り、自己中心的な理由で妻を追い出すことが「律法的」に正当化される風潮がありました。特にヒレル学派のような寛容な解釈は、社会的弱者である女性を困窮へと追いやっていました。
これに対しイエス様は、結婚を神が定められた「聖なる契約」として再定義されました。不当な離縁は、女性を再婚(当時の生存手段)へと追いやり、結果として「姦淫を犯させる」ことになると警告されます。この教えの本質は、形式的な離縁状の有無ではなく、一度交わした約束を生涯守り抜く「誠実さ」にあります。自分の都合で契約を破棄することは、相手に対しても神に対しても不誠実な行為なのです。

3. 誓いの無意味さと「はい」の重み

次に、イエス様は「誓い」について教えられました。当時の人々は、神の名を用いない誓い(天、地、エルサレム、自分の頭など)には「逃げ道」があると考え、責任を回避する詭弁を弄していました。
イエス様は「決して誓ってはいけません」と命じられます。その理由は二点あります。第一に、誓いが必要なこと自体が人間の不誠実さの証明だからです。第二に、天も地も、自分自身の髪の毛一本ですら神の主権下にあり、人間が担保にできるものではないという傲慢さへの指摘です。
主が示された新原則は、「『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とする」という単純かつ深い誠実さです。複雑な体系で自分を飾るのではなく、言葉と行いを一致させることが、天の御国の民の在り方です。

4. 現代の潮流と変割らぬ神の基準

現代は、ニーチェの「神は死んだ」の延長線上にあり、デリダの「脱構築」に象徴される「ポストモダン」の時代です。絶対的な真理を否定し、結婚やジェンダーといった枠組みを「強者の虚構」として解体しようとする思想が主流となっています。しかし、クリスチャンはこの世の相対的な価値観ではなく、神の絶対的な基準に立つよう招かれています。
私たちの「はい」が、小さな約束(祈りの約束など)から一生の誓願(結婚など)に至るまで、神の御前で真実であること。時代の潮流に流されず、神の基準に自分を合わせていくこと。主が求めておられるのは、このシンプルな「誠実さ」です。自らの歩みを省み、主に喜ばれる誠実な生き方を祈り求めていきましょう。