「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」
へブル人への手紙 11:3
ヴィトゲンシュタインという哲学者は、「言葉において重要なのは、その場におけるルールに従うことである」と考えました。例えば、建築現場で大工の親方が「板!」と言えば、それは板そのものを指し示すのではなく、「板を持ってこい!」という意味であるということです。同じ言葉でも、場が変われば意味が変わります。これは私たちも同じで、教会に独自の言葉のルールというものがあります。例えば「アーメン」や「神様」という言葉は、信仰を持たない人々と私たちとで、その言葉の意味が変わってきます。あるいは聖書の読み方にしても、この世とは全く異なるルールを採用していると言えるでしょう。私たちのルールは「書かれている通りに信じること」、「信じることによって理解する(悟る)」というルールです。科学(帰納法や検証)や哲学(演繹法や弁証法)のルールを持ち込むから、聖書の意味・神様の御心が理解できなくなるのです。
