聖書箇所:マタイの福音書8章1−4節
説教題:『主イエスのこころ』
はじめに
マザー・テレサはインドのコルカタで孤立し病に苦しむ人々に寄り添いました。傷口を洗う彼女に「お金をもらってもできない」と言う人がいましたが、彼女は「お金のためならしないが、キリストの愛のためなら喜んで行う」と答えました。彼女を動かしたものは、利益ではなく、イエス・キリストから受け取った愛でした。
ツァラアトの絶望と当時の状況
聖書に登場する「ツァラアト」は、肉体が白く腐っていく過酷な皮膚の病です。患者は肉体的な苦痛だけでなく、律法によって「汚れた者」と定められ、家族や社会から完全に隔離されて生きていました。当時の律法学者たちは、彼らの病を「個人の罪の結果」とみなして自己正義を守るために排斥し、裁くことしかできませんでした。患者たちは人間関係や存在そのものを否定され、悲劇のどん底に置かれていたのです。
イエス様のもとに進み出た男の信仰
山上の説教を終え、大勢の群衆とともに山を下りて来られたイエス様のもとに、一人のツァラアトに冒された男性が進み出てひれ伏しました(マタイ8:1-2)。律法では汚れた者として「自分は汚れている」と叫びながら避けることが義務付けられていましたが、彼は孤立や他者の目を恐れず、主に向かって「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と叫びました。
この言葉は、イエス様が主であり全能の癒しの力を持つという確信であり、同時に「自分を遠ざけることではなく、愛し癒すことこそが神の御心だ」という強い信頼のあらわれでした。彼の勇気ある行動と告白は、主への本物の信仰の証しでした。
手を伸ばし、触れられたイエス様
律法では汚れた者に触れると自らも汚れるとされていましたが、イエス様は手を伸ばして彼に触れ、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われました(マタイ8:3)。長年誰からも触れられず拒絶されてきた彼に手を触れることで、イエス様は「救いと癒しこそが神の御心である」と堂々と示されたのです。その瞬間に男の病は清められました。
さらにイエス様は、彼に律法通り祭司のもとへ行って検査を受け、ささげ物をするよう命じられました。これは単なる肉体の癒しにとどまらず、公に清めを認められることで、長年断絶していた家族や社会、礼拝の交わりへと彼が完全に復帰することを望まれたからです。
まとめと適用
多くの宗教家が律法を盾に人を裁き、排斥していた時代に、神の真の御心は人を愛し、癒し、回復させることにあるとイエス様は示されました。
現代に生きる私たちも、人生の歩みの中で弱さや罪、困難ゆえに深い孤独を感じ、「自分は隔離された存在だ」と途方に暮れることがあります。しかし、主は救いを求める者を決して拒みません(ヨハネ6:37-40)。人々に理解されない傷や深い孤立感を抱える時こそ、私たちはイエス様の愛と慈しみに信頼して近づくことが求められています。主は手を伸ばし、愛をもって包み込み、豊かな平安と救いを与えてくださるお方です。
