説教要旨」カテゴリーアーカイブ

2018年1月7日 主日礼拝メッセージ

「あなたの 内にいます神」 ゼパニヤ書3章14~17節 金田洋介牧師

 1章で預言者ゼパニヤは、「主の日」の裁きを予言しています。その裁きの対象とは、バアル礼拝をする者、偶像に仕える祭司(4節)天の万象を拝む者、真の神を礼拝しながらミルコム(アモン人の神)を礼拝する者(5節)、主にそむいて従わない者、主を求めず、主を尋ねないもの(6節)たちです。神の民とされていながら神にそむき、他の神々を拝する二心を、神は見抜いておられるのです。

2章でゼパニヤは「共に集い、集まれ」と呼びかけ、「主を求めよ。正義を求めよ。謙遜を求めよ。(3節)」と、主の怒りの日が訪れる前に取るべき対応を語ります。さらに、ゼパニヤは イスラエルの民だけでなく周辺諸国についても警告しています(4~15節)。神を畏れず、偶像を拝み、高慢で、おごり高ぶる、ペリシテ人、モアブやアンモン、エチオピア人(クシュ人)、アッシリアといった諸国も例外ではなく、神の裁きの対象なのです。しかし神は、「もろもろの国の民は、おのおの自分の所から出て主を拝む。(11節 )」とありますように、やがて諸国民も真の神を礼拝する日をもたらされるのです。

3章に入り、エルサレムに対する裁きが描かれています(1から5節)。民が預言者の声に「耳を傾けず」、主の懲らしめを「受け入れず」、主に「寄り頼まず」、「神に近寄らない」からでした。神の民イスラエルも、周辺諸国もみな、神の激しい怒りを受けざるを得ないほど罪深く、堕落していたことがわかります。実は私たちも同じ過ちを犯しているのです。しかし義なる神は、罪深い民の国々の、あなたの「ただ中に(新改訳2017)」いて、罪を取り除かれるのです(11節)。 否、新約の時代に生きる私たちは、罪はイエスの十字架によって贖われているのです。

あなたの内にいます神は聖く、愛と力とに満ちておられるお方です。この一年、神の御声に聞き従う年となりますよう、祈り励んで参りましょう。

熊本真愛教会では毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、松、やなぎ、グロリオサ、葉ぼたん、アルストロメリア、トルコキキョウ、千両です。

礼拝の後、皆さんで愛餐会を持っています。楽しいランチタイムです。今週のメニューは、親子丼、ジャガイモと鮭フレークのサラダです。
料金は大人250円、中学生150円、小学生100円です。初めての方は無料です。(^O^)

2017年12月31日 主日礼拝メッセージ

「全ての恵みを心にとめよ」 詩篇103篇1節~5節 金田洋介牧師

詩篇103篇 2節 にありますように『わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。( 新改訳では 「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」)』と、神のめぐみを忘れることなく心に留めるべきことを教えています。今年最後の礼拝をささげるにあたり、神の恵みを覚えて心から感謝したいのです。

Ⅰ.心にとめるべき神のめぐみとは、神の御言葉

今日、私たちは礼拝や祈祷会といった集会以外にも、聖書やスマホのアプリ、ラジオやインターネットなどからも御言葉を聞くことができます。神の御言葉は 私たちの信仰生活の指針であり、私たちが悩み苦しむ時、力を与え、慰めと励ましをもたらします。一年を振り返ってみる時、神の御言葉の恵みや力を体験したことが、一度や二度ではなかったはずです。改めて御言葉の恵みを思い起こしましょう。

Ⅱ.心に留めるべき神の恵みとは、御子イエスによる救いと永遠の命

罪の赦しによる救いと永遠の命の希望です。私たちは主イエスによってもたらされた、罪の支配からの解放と永遠の命の希望に生きる恵みをいつもいただいています。この救いと永遠の命の希望という恵みは、ただイエスを信じ受け入れるだけで与えられるのです。感謝しつつ心にとめましょう。

Ⅲ. 心に留めるべき神の恵みとは、神が常に共におられること

神は一時もあなたから離れず、共にいてくださいました。あなたが悩む時も、苦しみ泣いていた時も共におられました。神は「決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」と言われたように、あなたを守ってくださいます。さらに神は、イザヤ58章11節にありますように 、「あなたを常に導き、良き物で満たし、あなたの骨を強くしてくださる」祝福の神です。溢れる神の恵みに 心から感謝しましょう。

熊本真愛教会では毎週講壇にお花が活けられています。
このお花は元旦礼拝に活けられたものです。
松、やなぎ、千両、ゆり、ばら、グロリオサ、葉ボタンです。

2017年12月24日 主日礼拝メッセージ

「神はそのひとり子を賜ったほどに」 ヨハネによる福音書3章16節、ヨハネの黙示録3章12節 金田洋介牧師

ヨハネ3章16節はとても有名な御言葉で、神が私たち一人一人を愛しておられるという、聖書が最も語りたいことがこの一節に集約されているのです。

Ⅰ.ひとり子を与えられた神

「神はその独り子を賜ったほどに」の「ひとり子」とはイエスを指し、父なる神にとってイエスが唯一の御子であり、代わりとなる存在はいないという意味です。そして、神は唯一の御子を私たちのために与えてくださるほど、私たち一人一人を愛していると聖書は語っています。まず私たちは、私たちに対する神の愛の大きさと真実をイエスを通して知りましょう。

Ⅱ.ひとり子によってもたらされた救いと命

神がひとり子を世界に送られたのは、「信じるものがひとりも滅びない」ためです。聖書が語る「滅び」とは、私たちが犯した罪がもたらす、永遠の死と神の裁きのことです。しかし神は、唯一の御子を私たちの罪の身代わりとして十字架につけることを決断されたのです。何者にも代えることができないイエスを私たちのために犠牲にしてまで、私たちを滅びから救い、私たちに対するご自身の愛に偽りがないこと、全く妥協しないことを証明されたのです。

Ⅲ.あなたの心の戸を叩くイエス(黙示録 3章12節)

あなたに対する神の愛が如何に大きく、イエスを通してもたらされた救いと命を知った今、イエスはあなたの心の戸を叩いておられます。是非、あなたの心の戸を開いてイエスをお迎え頂きたいのです。すでにイエスを迎え入れられたあなたの心は、神の前に常に開かれているでしょうか?イエスとの日々の交わりは毎日欠かすことが できないものです。開けた扉を、自分の都合の良し悪しで 開け閉めしてはいけません。神はその独り子を賜ったほどに、あなたを愛してくださいました。神の大いなる愛と払われた犠牲の大きさを 知った今、イエスを心からお迎えしようではありませんか。

熊本真愛教会では毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、カーネーション、バラ、みつばつつじ(白い枝)、リューカデンドロンです。

本日の愛さん会は、クリスマス礼拝の祝会ということで、教会員の皆さんが持ち寄ったお料理となりました。
どれも美味しそう!

2017年12月17日 主日礼拝メッセージ

「ヨセフの決断」 マタイによる福音書 1章18~25節 金田洋介牧師

Ⅰ.ヨセフの人となり

聖霊によって イエスを身ごもったマリヤ。しかし、真実を知らない 婚約者のヨセフは悩み苦しみました。彼はさんざん悩んだ末、密かにマリアと離縁することを決断します(18節)。それは「ヨセフは正しい人であったので」(19節)そのように決断したというのです。しかし、この時ヨセフはマリアの懐妊が神の聖霊によるものであることを知りません。もし彼が本当に「正しい人」であるならば律法に則り、マリヤを姦淫の罪で訴え出るはずですが彼はそうしませんでした。実はこの決断こそが、彼が「正しい人」と呼ばれる理由なのです。ヨセフ自身も悩み苦しみましたがマリヤを責めることなく、憐れみの心で覆いました。彼が単に律法を守る人ではなく、深い憐れみの心を持ち、愛に生きる人だからこそ「正しい人」と呼ばれたのです。そして、彼の姿に聖書が語る愛の性質を見ることができます(第Ⅰコリント13章 4~7節 )。ヨセフの人となりは寛容で、情深く、全てを忍び、全てを耐える愛を持つ人でした。神が彼をイエスの父(養父)として選ばれた理由が、彼が単にダビデの家系だからではないことがわかります。

Ⅱ.ヨセフの決断

ある時、マリヤのことを思い巡らしていたヨセフの夢に御使いが現れ、マリアの懐妊が精霊の力によるものであり、人々を罪から救う神の御子であることが明かされました。御使いはマリヤの時と同様、ヨセフにも「心配しないで(恐れるな)」と言葉をかけたのでした。夢から覚めたヨセフに迷いはありません。彼はマリアを妻として迎え、生まれた子に「イエス」と名付け、救い主の父となったのです。

神のご計画に従った ヨセフとマリヤは、イエスの父母となりました。彼らの決断の背後には、共にいてくださる神(インマヌエル)への信仰と信頼によるものでした。彼らと共にいてくださった神は今も生きておられ、あなたと共にいてくださる神です。クリスマスは、いつも共にいてくださる神を覚える日でもあるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、杉、雲龍やなぎ、ゆり、ガーベラです。

2017年12月10日 主日礼拝メッセージ

「受胎告知~マリヤの決断~」 ルカによる福音書1章26~38節 金田洋介牧師

第二アドベントを過ごしています。救い主の誕生の恵みを深く思い、クリスマスを心から待ち望みましょう。

テキストは、マリヤへの受胎告知の場面です。御使いガブリエルによって、神の驚くべき計画がマリヤに告げられました。その計画とは、処女の身でありながら子を産むという、とても信じ難いものでした。さらに、イエスと名付けられるその子は、やがて大いなる者となり、いと高き者の子、すなわち神の子呼ばれるというのです。神の壮大な計画を聞いたマリヤは驚き戸惑いました。10代前半の若いマリヤにとってあまりにも重く責任の大きい決断を迫るものです。しかしガブリエルは、「恐れてはならない」と励まし、「全ては聖霊と神ご自身の力によってなされる」と、全能の神が直接働かれることを告げました。マリヤは「わたしは主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」と、強い覚悟と献身を持って神のご命令に従う決断をしたのです。この命令に従うことで彼女が被る苦悩は計り知れません。婚約者のヨセフの事はもちろん、人々に姦淫の罪と誤解され、石打の刑で殺される恐れもありました。しかし、マリヤは一切を神に委ね、全生涯を神に明け渡し切ったのです。神の命令の前に従順にひれ伏すマリヤの姿に、神への絶対的な信頼を見ることができます。このマリヤの決断によって救い主イエスが誕生し、このイエスによって、罪による死と永遠の滅びからの救いが私たちにもたらされたのです。

神はマリヤと同様に、私たち一人一人に恵みの計画を用意しておられます。その計画は私たちにとって驚き戸惑うようなものかもしれませんし、大きな決断を迫るものかもしれません。しかし、マリヤの如く神の御前にひれ伏し、最善以外なされない神だけを信頼し全てを神の御心にお任せするなら、あなたを通して素晴らしい神の御業が起こるのです。インマヌエルの神があなたの神です。心から神を信じようではありませんか。

熊本真愛教会教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、綿、ゆり、スターチス、ストックです!

2017年12月3日 主日礼拝メッセージ

「その名はインマヌエル」 イザヤ書7章1~17節  金田ゆり牧師

 イエス・キリストの誕生の預言が多く記されているのがイザヤ書です。7章の預言がなされたのは、BC734頃。南ユダのアハズ王の世に、スリヤと北イスラエルが攻めてくるという緊迫した状況で預言されたのです。

1.恐れてはならない―揺れ動くアハズ王

 アハズと民は不安に襲われていました。しかし主は「気をつけて、静かにし、恐れてはならない」と言われました。恐れてはならない。私たちが不安に陥る時、まず神が言いたいことは、これです。聖書全体が語る神のメッセージです。アハズは悪王で有名ですが、神は彼に「信じないならば、立つことはできない」と強く決断を迫られました。私たちが揺れ動く時、神は情熱をもって「恐れるな、信じよ」と強く迫られるお方です。

2.神が共におられるしるしを求めよ

揺れ動くアハズに、神は「主に一つのしるしを求めよ。陰府のように深い所、天のように高い所に」と言われました。神が共におられることを知るために、人の考えでは及ばないしるしを求めてよいというのです。信仰的な危機の時、共にいますお方を信じることができるように、神はしるしを見せて下さるお方です。小さなしるしであっても、それは神が介入されなければ決して起こり得ない確かなしるしを、あなたは見ることができます。

3.インマヌエルの約束

アハズは、最後まで神を信じませんでした。そのような不信仰が満ちた時に、「見よ、おとめがみごもって男の子を生む。その名はインマヌエルととなえられる」と神は一方的に救い主誕生の約束をされたのです。インマヌエル、それは「神われらと共にいます」という意味です。イエス・キリストは、罪からの解放と同時に、私たちと共に歩むために生まれて下さったのです。あなたがこの地上での生涯で、主と共に歩む素晴らしさを味わい知るために。あなたが心から願い信じるなら、あなたもインマヌエルのしるしを見るのです。それが、神の御心であり、約束なのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ゆり、カーネーション、オンシジューム、ドラセナです。

礼拝の後は、ほぼ毎週愛さん会(楽しいおいしいランチタイム)があります。
今週のメニューは、あつあつキツネうどん、ごはん、みかんです。
料金は大人250円、中学生150円、小学生以下100円。初めての方は無料です(^▽^)/。

2017年11月26日 主日礼拝メッセージ

◇「恵み深き神をおぼえて」詩篇65:1~13 金田洋介牧師

詩篇65篇はダビデの時代に起った飢饉(サムエル記下21章1節以降)が背景にあったのではないかと言われています。イスラエルに3年の飢饉が襲いました。その原因が前王サウルの罪にあることが分かり、ダビデは罪の悔い改め、とりなし祈ります。神は祈りに応えられ、飢饉は止み、土地は回復したのです。ダビデの詩から、私たちが神の御前にどのようにあるべきかを学びましょう。

1. 礼拝の民として下さった神に感謝する(1~4節)

ダビデは神が賛美されるべき(礼拝されるべき)お方であると歌っています。なぜなら、神は祈りを聞かれるお方、罪咎(つみ・とが)を赦されるお方だからだと告白しています(2~3節)。この詩の背景にある飢饉という困難について、ダビデが祈り尋ねると、神はイスラエルの罪を示し、罪を取り扱われ、罪を赦し救って下さいました。ダビデは神に近付くことが許され、神と共に生き、神を礼拝できる民とされたことを感謝したのです。私たちも、イエスの十字架を通して罪が赦され、神を礼拝する民とされていることを感謝したいのです。

2. 大能の神様を信頼する(5~8節)

神は大能(6節、新改訳:力、新共同:雄々しさ)の神、すなわち、全ての創造主であり、支配者、全能の神です。「海の響き、大波の響き、民の騒ぎ」と表現されている、「この世のあらゆる波風、人生に起る嵐」をも神は静めて下さるのです。大能の神を畏れつつ、私たちの人生に、そして日常生活にまで介入して下さる神を心から信頼し、お任せする者となりたいのです。

3. 良き物を豊かに恵んで下さる神を喜ぶ(9~13節)

9節「地に臨んで(新改訳:訪れて)」は「顧みて(心にとめる)」とも訳せる言葉が用いられています。神はイスラエルを顧みられ、土地は豊かに潤されたのです。同様に、神は私たちをも顧みて下さるばかりか、豊かに恵み、祝福して下さるお方です。あなたは神に祝福される喜びを味わっていますか。神はいつも、どんな時も私たちを心にとめておられるお方です。イエスを犠牲にしてまで愛し、赦して下さった恵み深い神をおぼえ、心から応答しましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ゆり、カーネーション、スターチスです。