なぜなら、神から生まれた人は皆世に勝つことができます、そして、この世に勝たしめてくれるものは、私たちの信仰なのです。即ち、イエスは神の子であると信じる人以外に世に勝てる人はいません。(ヨハネの第一の手紙5章4節、5節)
しかし、愛する皆さん。あなたがたは聖霊によって祈りつつ、あなたがたの最も聖なる信仰の上に、あなたがたを築きあげて下さい。永遠の命へと導いて下さるあなたがたの主、イエス・キリストの憐れみを求めつつ、あなたがた自身を神の中にしっかり置くように努めなさい。(ユダの手紙20節、21節)「以上福田私訳」
聖書はなお未完の書
その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。 わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。(コロサイ1:26~28節)
聖書は大なり、されども生けるキリストは聖書よりも大なり。われらもし聖書を学んで彼に接せざれば、われらの目的を達せりというあたわず。聖書は過去における生けるキリストの行動の記録なり。しかしてわれらは今日彼の霊を受けて、新たに聖書を作らざるべからず。古き聖書を読んで新しき聖書を作らざる者は、聖書を正当に解釈せし者にあらず。聖書はなお未完の書なり。しかしてわれらはこれにその末章を作るの材料を供せざるべからず。今より100年以上も前、内村鑑三先生の「一日一生」より