二種の宗教

宗教に二種ある。ただ二種あるのみである。すなわち自力宗と他力宗と、これである。儒教、神道、回教、ユダヤ教、みな自力宗である。そうして浄土門の仏教は他力宗であるが、絶対的他力宗でない。信仰を救いの条件として要求する宗教は、いまだ絶対的他力宗と称することはできない。信仰そのものまでを神のたまものとして見るに至って、宗教は絶対的他力宗となるのである。そうしてキリストの福音はかかる宗教である。すなわち絶対的他力宗である。いわく、「なんじらの信ずるは、神の大能の感動によるなり」(エペソ書1・19)と。信者の信仰そのものが神のたまものである。ゆえに誇るの余地が寸筆(すんごう)ないのである。ただ祈るのである。祈り求むるのである。そうして、その祈る心をさえ祈り求めて、これを与えられて、神に感謝するのである。造られし人は、造りし神に対して、絶対的服従に出づるよりほかに、取るべき態度はないのである。信仰の道はつまるところ、祈り求むろの道にほかならないのである。(内村鑑三聖書注解全集14巻 66頁より)

私はキリストを知るまでは、すべて自力でした。しかし、今は私のすべて(健康、知識、仕事)が神から与えられたものであることを信じて感謝と心の平安、それは人の思いを遥かに超えた安らぎを日々経験しているのです。

キリスト教はいわゆる宗教ではない。

キリスト教というからとて、これを、他のいわゆる宗教と同一列に置くは誤っている。キリスト教はいわゆる宗教ではない。神より人への啓示である。宗教は人が神を求めるものであるが、キリスト教は神が人を求めるものである。ゆえに前者は、人の努力、工夫、攻究、修養、論理、修道に重きを置くに反し、後者はただ神の恩恵の受納を主眼とするものである。自己が種々の方法をめぐらして神に近寄り行くのが普通の宗教であって、ただ恩恵を受け感謝喜悦に入るのがキリスト教である。(内村鑑三聖書注解全集17、245頁)より