69回目の記念日!

7月10日は私の69回目のバプテスマ記念日!
今かから69年前の今日、私は生涯を主に捧げる思いを抱いてバプテスマを受けたのです。私が20歳の時でした。それからほとんど70年、私は変わることなくキリストの愛と、十字架の福音とを伝えることにすべての犠牲を惜しみませんでした。そのためには家族に多くの犠牲を強いえてきたことも知ります。時にはそれは失敗ではなかったかとの思いを抱くこともありました。しかし、すべてをみそなわし、ご存知の主は御心に留めてお許しくださると思います。残された日々、主が許して下さる日まで、同じことを続けます。なぜならば、

 わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだか らです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。(コリント第一9章16節)

ヨルダン川ヤルダニッド洗礼所
ヨルダン川ヤルダニッド洗礼所

もしもキリストが、見守って下さらなかったら

私も守って下さらなかった、私は罪の深みに溺れて死んでしまっていたことであろう。キリストは過ぎ
し30年を私を守りただしました。主は私の良い羊飼いでです私も主牧場の中で一頭の小さき羊であることを許されたのである。私は主羊飼いの御声を知り、その御声だけにしたきた(ヨハネ
私も私の家族も共にサタン(悪魔)の餌食となってしまっていた10:1〜18、特に4節と11節参照)。でも良い羊飼いが私を見守って下さらなかったならば、あろう。そうしてとうの昔に、滅びてるしまってるいかたことかで
あろう。私は、主と主の御名とは限らないほめたてる。アーメン。
(これは今から40年前、私が月刊「聖書の友」に載せたものである。今日はばしば色々な誘惑に負けてしまった人の見聞きするとき、キリスト によって生きる人生を送るならサタンの餌食にならないでむむのに思って得ることなく)。

If Christ Had Not Rescued Me

If Christ had not rescued me, I would have drowned in the depth of sins.
He has guided and led me for these thirty years. He has been my good shepherd and I have been His little sheep in His pasture. I have heard His voice and I have followed Him (John 10:1~18 specially vv.4,11).
If the Good Shepherd had not watched over me, I and my family would have been a prey to Satan and perished long ago. I praise the Lord. (from my monthly book・let ‘Friend of the Bible’(Nov. 1978)
(I wrote this 40 yewars ago, I am still in His pasture, so I am safe.)