旧約聖書は私の愛読書‼ あなたは?

1.聖書、特に旧約聖書をあなたは楽しく読めますか。実は私は神学校に入った時も、まだ旧約聖書を通読していませんでした。読む力がなかったのです。それは私が、旧約聖書の時代背景や聖書の中で活躍した人達の地域がどんな所であったのかを、全く学んでいなかったからです。

2.一冊の本が、私のその後の人生を変えました。それは1934年発行された「ダビデ伝」(山本泰次郎著)です。それによって私は、
a. 旧約聖書の背景にある当時の歴史を知った事
b.旧約聖書の舞台となった地理を知った事
c.更に、最も大切な事は旧約聖書の読み方、即ちその精神を教えられた事。

3.これによって旧約聖書は本当に楽しい書となりました。更に私は一人でも多くの方にこの大きな喜びを知って欲しいとの思いが強くなり、前記の書からどんな参考書があるかを知って、イギリスやアメリカの古本屋さんに10通以上の航空便を送って探してもらいました。一冊はイギリスで、他はアメリカで探して送ってきてくれました。それはとても貴重な本です。今ではほとんど手に入らないと思います。私は夢中で読みました。そしてこれらを参考にして私の処女作となった「神の摂理より見た聖書の歴史・地理」を世に送りました。実はこのためにそれまで勤めていたところを退職して、アルバいてをしながら、仕上げるのに6年ほどかかりました。

クリスマス、同信の友に送る

クリスマス、同信の友に送る
クリスマスに際して、死と死者とについて語るは縁起わるしという者があるか。それは不信者のいうことであって信者のいうことではない。クリスマスはことに友人を思うの時である。そしてわれらの友人の内で多くはすでに主にありて眠ったのである。われらは地上に残されてクリスマスを守るも、彼らがわれらと共におらざるがゆえに堪えがたき歎きを感ずるのである。われらと共に楽しきクリスマスを守りし者は、今はその愛する姿をわれらの間に見せないのである。そのことを思うて、楽しきクリスマスは楽しくなくなるのである。そして、かかる時にパウロのことばが一層強くわれらの心に響きわたるのである。
兄弟よ、なんじらの嘆きは他の人(世人)のごとくならざらんことを願う(テサロニケI 4:13以下参照)
と。われらは愛する者に別れて地上に淋しきクリスマスを守るといえども、それはいつまでも続くことではない。「イエスによれるところのすでに眠れる者を、神、彼と共に携え来たりたまわん」と。なんと大なる慰めではないか。われらは再び彼らと共に楽しきクリスマスを守ることができるのであるという。天国におけるクリスマス、それがほんとうのクリスマスである。
神、彼らの涙をことごとくぬぐい取り、また死あらず、かなしみ悩みあることなし(黙示録21・4参照)
という状態の下に守らるるクリスマス、それとくらべて今日のクリスマスは、楽しとも喜ばしとも称するに足りないのである。しかしてまたほんとうのクリスマスのわれらを待つあるを知るがゆえに、仮りのクリスマスが楽しくあるのである。ハバガル夫人の歌にいわく
ああクリスマスよ、なんじ再び来たりしか
 なんじのすべての喜びと、またすべての悲しみをもって
と。そしてそのすべての悲しみを打ち消すものはテサロニヶ前書におけるパウロの慰めのことばである。げに待たるるは逝(さ)りにし愛する者との再会の日である。(内村鑑三、新約聖書注解全集13 頁225ff参照)

今日の聖句

In the LASTDAYS
Remember that there will be difficult times in the last days. People will be selfish, greedy, boastful, and conceited; they will be insulting, disobedient to their parents, ungrateful, and irreligious; they will be unkind, merciless, slanderers, violent, and fierce; they will hate the good; they will be treacherous, reckless, and swollen with pride; they will love pleasure rather than God; they will hold to the outward form of our religion, but reject its real power. Keep away from such people. (TEV 2Ti 3:1-5)

終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい
そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。(新共同訳二テモ3:1-5)

あなたの若いき日に

 

1960年筆者が開始した聖書塾
1960年筆者が開始した聖書塾
開塾当時の筆者

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ
悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、(伝道の書、または「コヘレトの言葉」12:1)
So remember your Creator while you are still young, before those dismal days and years come when you will say, “I don’t enjoy life.”Ecc12:1

台風19号が与えた苦しみ

テレビをつけると毎日、毎日台風19号が与えたニュースが報道されています。その災害の大きさに驚きますが、被災された方々の気持を思うと・・・・・本当に、どのように同情してよいのかわかりません。
今から数千年も前に、ノアの大洪水がありました。洪水が終わった後、神はノアに約束されました。

二度と洪水を起こさない
「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」(創9:9-11)

私はこの聖句を思いながら、神よ、なぜなのですか、と心に問いかけるのです。神の御心は人の思いとは異なるのです。


ノアの箱舟

 

I would never be able to tell all you have done.

You bless all of those
Who trust you, Lord,
and refuse to worship idols
or follow false gods.
You, Lord God, have done
Many wonderful things,
and you have planned
marvelous things for us.
No one is like you!
I would never be able to tell
all you have done. (Psalms 40:4,5)
(CEV Children’s Illustrated Edition)

ガリラヤ湖の日の出、マタイ4:15,16参照

「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、
暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。(マタイ4:15、16)or (イザヤ書8:23、9:1)

朝早くゲネサレ(ギノサル)湖岸に行ったとき、ガリラヤ湖の東側山脈が白み始めました、間もなく美しい朝日の姿を現してくれました。その時、私の頭に浮かんだのはイザヤ書の言葉でした。

数ヶ月の後で

この夏は老人には厳しい暑さでした。今になってやっとホームページに触ってみる気になりました。今日朝の聖句次のものでした。

わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。
彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。(ピリピ3:18~21)

9月21日の朝

夫あり、妻あり、しかしてその間にひとりの子あり、秋の宵静かなる所、彼ら3人、灯火(ともしび)を囲んでこうべを垂れて神に祈る。これ幸福なる家庭なり。その時、主は彼らの中に現れて言いたもう。「二人三人、わが名によりて集まれる所には、われも必ずその中にあるべし」と。神聖なにものかこれに若(し)かん。これありて、王侯の宮殿もうらやむ足らざるなり。(続1日一生より)

国民の聖書

ホームページずっと触ることができませんでした。いろいろアップロードしたいことは山ほどあるのですが、90歳の孤独老人には物理的に難しいのです。この二ヶ月何もかも放り出して「国民の聖書(下)の編集に取り組んできました。目の疲れがひどいですが、自分の日々の生活をすべて自力で出来ることを感謝しつつ、本当にわずかずつでもこのようなことが出来る事を感謝せずにはいられません。

二種の宗教

宗教に二種ある。ただ二種あるのみである。すなわち自力宗と他力宗と、これである。儒教、神道、回教、ユダヤ教、みな自力宗である。そうして浄土門の仏教は他力宗であるが、絶対的他力宗でない。信仰を救いの条件として要求する宗教は、いまだ絶対的他力宗と称することはできない。信仰そのものまでを神のたまものとして見るに至って、宗教は絶対的他力宗となるのである。そうしてキリストの福音はかかる宗教である。すなわち絶対的他力宗である。いわく、「なんじらの信ずるは、神の大能の感動によるなり」(エペソ書1・19)と。信者の信仰そのものが神のたまものである。ゆえに誇るの余地が寸筆(すんごう)ないのである。ただ祈るのである。祈り求むるのである。そうして、その祈る心をさえ祈り求めて、これを与えられて、神に感謝するのである。造られし人は、造りし神に対して、絶対的服従に出づるよりほかに、取るべき態度はないのである。信仰の道はつまるところ、祈り求むろの道にほかならないのである。(内村鑑三聖書注解全集14巻 66頁より)

私はキリストを知るまでは、すべて自力でした。しかし、今は私のすべて(健康、知識、仕事)が神から与えられたものであることを信じて感謝と心の平安、それは人の思いを遥かに超えた安らぎを日々経験しているのです。