絶対的希望~使徒3:25

十字架のアクセサリーやデザインが至るところにあるのがふつうに感じる状況が日本を見るとありますが本来の十字架とは救いのシンボルではなく死刑の道具でした。 どうしてこれだけ十字架デザインが普及したかと考える時にイエス・キリストの十字架と復活の出来事を除外して考えることは出来ないと思います。その一度の出来事が2000年以上経っている今も影響を与えていることは本当にすごいことだと思います。 そしてこの十字架とは完全な死、しかも苦痛を伴った死を意味しました。現代における死刑制度というのは多くの国において苦しみや恐怖を出来るだけ感じないように短時間で終わるようになっていることが多いと思いますが十字架刑はそうではありませんでした。そこには深い恐怖の対象として当時扱われていたような側面もあります。 しかし、イエス・キリストがその死から復活されたことによって救いのシンボルのように扱われるように変化しました。イエス・キリストを信じるのであれば死や痛みも終わりではなく、そこから永遠に続く天国への希望を見いだすことが出来るのです。 聖書に記されている預言の完成であり、神様の愛の現れです。そこには絶対的な救いと希望があります。また私たちが主にあって歩む時そこから多くのものを見いだしていくことが出来ます。主にあってどんな時も絶対的な希望を抱いて歩んでいきましょう。 [Read more...]

望みを抱く~ローマ12:12

ローマ12:12には、望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みんさい、と書いてあります。患難のなかにあるとき、希望が見えない時に望みを抱くことも、喜ぶこともなかなか難しいことです。心が塞ぎ、暗闇のようになり、そのようなときに人からのマイナスな意見や嫌なこと、疲れることなどいろいろな事が重なったりすることも、多々ありますね。自分の力でプラスに考えよう、がんばろうと思って努力しても、喜ぶまではいきません。望みを抱いて喜ぶ、なんて、無理です!と叫んでしまいます。ですが、望みってなんでしょうか。私たちに誰にも解決出来ない問題が出て来たら、望みは主が働かれたときしか存在しません。神様に望みを抱くしかないその時、私たちは望みを抱き、主が解決して下さり導いて下さることを皆で喜びましょう!そして、今私たちが出来ることは、患難があっても希望の中で信仰を持ち、絶えず祈ることです。主に大胆に祈り求めていきましょう!いつも主を思い、祈り、聖霊様とともにいると、私たちは霊により力づけられ、内側からも変えられ、状況も変わっていくことも見ることが出来ます。いま、皆さんがどんな状況であっても、望みが沸き上がってくるように祈ります。そして希望を両手で抱いて下さい。望みが喜びとなり、力となり、絶えず沸き上がる祈りとなりますように。 [Read more...]

道に迷った時~ガラテヤ2:11-16

私たちは時に悩み、決断し、またその決断が間違っていたと気がつくこともあります。そういったことを繰り返しながら成長し、また多様性を身につけ、時として固定概念を持ってしまったりもします。 その過程の中で周囲のアドバイスや風潮によって左右されることもあると思います。宣伝文句として○○さん愛用とかいうのを見るとなんとなく引っ張られるような心理です。  あとから必要なかったと思ったり、やっぱり良かったと思うのはある程度時間が経過して結果を冷静に見ることが出来た時ですがその頃に習慣化していたら取捨選択をすることなくつけなくてもいいオプションを付け続けることになります。 私たちが身につけるべきものはみことばに従う心です。イエス様は隣人として人々を助けること、そしてイエス様のことばに耳を傾けることをルカ10章で教えられました。後から振り返って「あの時もっとこうしていれば」と後悔することもあるでしょう。しかしそれは成長している証拠です。大切なのは最もきよい信仰のうえに自分自身を築き上げていく事です。その結果過去の自分の改善点を見いだして未来の自分に生かせるようになります。その過程の中で自分や他人も傷つけるようなこともあるかも知れません。しかし人と関わり、支え合うこともそれ以上に出来るはずです。主に期待し、過去の失敗に捕われず期待していきましょう。 [Read more...]