雨を祝福につなぐ信仰

梅雨のシーズンが各地に訪れています。体がしんどいとか雨だから嫌とかいろんな気持ちがあるでしょう。しかし作物を育てる上でこの季節はとても大切です。また雨が降らなければ

聖霊を欺かない生き方

生活する上で経済的な必要はそれぞれあります。生活するのに必要なギリギリの線の時もあればより豊かに満たされている時もあるでしょう。また必要が足りず困窮する時も人生の中にはあるかも知れません。この経済に対する考え方、また扱いについて旧約聖書、また新約聖書から私たちがどのように理解していくかはとても大切な事柄です。ユダヤ文化において富は神の特別な好意のしるし、また貧しさは不信仰や神に喜ばれていないしるしとして考えられていました。しかしイエス様はそうとはお考えになりませんでした。貧しい人たちのために助けるようにという事柄は実際律法の中にも多くあり、7年ごとの借金の免除や 貧しい人から保証の品を預かっても日暮れまでには返還するように記されていたりと律法自体は貧しい人を如何にしてなくすか、そしてそのために富んでいる人が富を分配していくかたちがそこにはありますが実際そうはなっておらず、現代社会の構図と似ている富んでいる人が貧しい人たちを犠牲にしてより裕福になっていく構図が当時のユダヤ社会にもありました。イエス様はそれらのことに関して富に仕えるのではなく神に仕えること、また神の国は貧しい人たちのものであることを教えられました。これらの深い意味を考え祈りつつ、私たちは心遜った者となっていき、そして自分こそは富んでいるという高ぶった思いや、また富んでいる人を妬むような思いに陥るのではなく、神様の財産の管理者としての心で神様に聞き、そして従う心で富を正しく扱うことが出来るように変えられていきましょう! [Read more...]

世代と場所を越えて

聖霊のバプテスマによって初代教会が私たちの想像を遙かに超えるかたちで始まり、そしてその事の聖書的な解き明かしによってこの賜物としての聖霊がどのように与えられるか、そして誰に与えられるものなのかということが示されました。ペテロはすべての信仰者に与えられるということをあなたがたとその子どもたちという表現で初代教会におけるペンテコステに遭遇した人たちだけではなく、その次の世代、そしてすべての遠くにいる人々という表現を用いて地域的に遠いエリアにおいても、私たちの神である主がお召しになる人々ということばを持ってすべてのクリスチャンに与えられるものであることを伝えました。そして新約聖書を読み解いていく中で意識して求めなくても自動的に与えられるようなものではないということも理解することが出来ます。特にこの世代、地域を見る時に世代が続く時に時代が形成され地域が広がっていく時に全世界に広がっていくことを見いだすことが出来ます。つまり、今生かされている私たち、特にこの初代教会のペンテコステの起こったエルサレムから最も遠い国のひとつである日本においても私たちが悔い改め、切に求め続ける中で同じように聖霊のバプテスマは注がれ、私たちも力を帯びて遣わされていくということを知ることが出来ます。私たちがそのことを理解にとどめるか、信仰を持って信じるか、さらに信じて求めるかいろんな選択肢があります。それぞれが最もきよい信仰のうえに自分自身を築き上げていくことが出来るよう日々祈り、悔い改めに導かれると共に、主の約束を信じ、求める大胆な信仰に生かされる者として整えられていきましょう! [Read more...]