真理に立ち続けるためには~Iテモテ6:11-12

イエス・キリストを信じてみことばに従って歩もうとする時にそこには信仰の戦いがあります。もちろんその戦いをする自由もあればしない自由もあります。まず自己中心的な思いと戦うことから始まり、真理からそらそうとする様々な誘惑や時としてその文化圏においての問題と直面することもあるでしょう。 そういった戦いにおいて知恵を持って避けることが出来るものは避けること、そして正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めていくようにとパウロはテモテに対する手紙の中で教えています。これらの要素は密接に関わり合い、相互のバランスがとても重要な要素としてあります。正しさを追求することと敬虔さは時として反発することもあります。また柔和と忍耐もバランス感覚が求められる要素です。そして土台として愛、信仰がありますがこの愛は神様の愛です。人間的な愛には条件がつきまとうからです。しかし人間の限界があるため信仰がそこに加わらないと自分を責めてばかりになってしまうでしょう。みことばに立つ、とか主に従うと一言でいってもこれらの中で私たちは日々練られます。その過程の中で大切なのは継続していくこと、諦めないこと、主に信頼することです。自分にはできなくても聖霊様には出来ることを知り、体験していく時にみことばがさらに糧として私たちの中にはいってきます。信仰の戦いを共に祈り合い、支え合いつつ歩んでいきましょう。 [Read more...]

 道・真理・いのち~ヨハネ14;6

イエス・キリストがご自身を指して言われていることばの中に道であり、真理であり、いのちです。という有名はことばがあります。これは多くある道ののひとつの道という意味や沢山ある真理の中のひとつという意味ではありません。救いに至る唯一の道であり、絶対的、普遍的な真理であり、永遠に続くいのちをその歩み、死、復活を通して与えることが出来ることを知ることはとても大切です。 様々な文化の中で多様な価値観があります。しかしイエス・キリストによる救いは人の考えたものではなく、神様が旧約聖書を通して罪や救いの必要なことを示し、その預言の成就としてイエス・キリストの誕生、十字架、復活、そしてそこから始まった教会の歩み、弟子達の宣教の歴史を見るときにそこに神様の思いを見ることが出来ます。そこに真理による自由があります。この自由はなんでも自由に振る舞っていいという自由ではなく、罪からの解放、つまり罪の奴隷となっている私たちがそこから解き放たれるということです。 神様の恵みを受け、罪から解放された人生を、イエス・キリストの語られたみことばに従い、その道に従っていく者とされていきましょう。 [Read more...]

真理が自由にする~ヨハネ8:31-32

イエス・キリストを信じ、そのことばにとどまるなら真理を知り、真理が私たちを自由にすることについてヨハネの福音書8章に記されています。  このことばの言う自由の定義は罪からの解放です。私たちが罪、神様の思いと離れた的外れな思いや行いから自由にされるということです。罪というとそれぞれの文化や国の法律に触れることであったりしますが聖書の教えている罪とは表面に見えるものだけではなく神様は思いの中も知っておられること、また生まれながらに罪人であるという原罪についても教えています。その中には自己中心というものも入ってきます。ただこの自己中心というものがないと私たちは何かを求めたりして生存することが難しくなるでしょう。また神様は私たちに自由意志を与えてくださっています。この自由意志によって信じるという決断をし、神様の思いに従うというところに価値があるのです。  ここをクリアにしていくためにも私たちは神様に聞き従う心を持つ必要があります。もし罪の結果を除くために神様が私たちに間違った決断や行動をしないようにされたらそこには自由意志による愛の交わりはありません。つまりそこには自由はないのです。神様を自由意志を持って信じ、従っていく歩みにはこの真理を理解していくことがとても大切です。みことばによりさらに成熟した者とされていきましょう。 [Read more...]