信仰の刈り取り~ガラテヤ6:1-10

収穫の秋がやってきました。私たちも人生においていろんな種を撒きます。それは自分のために撒いたり、また家族のために撒いたり、そして神様のために撒いたりすることもあるでしょう。  聖書には自分の肉のために撒くと滅びを刈り取り御霊のために撒くと御霊から永遠のいのちを刈り取るとあります。これは大局的なことが書かれていますが自己中心的な思いからすることと、信仰によってすることとの違いです。自分を愛するように隣人を愛するようにとイエス様も教えられていますから、すべて自分に属することが悪いという意味ではなく、我欲のために、また自己中心的な動機でするという意味での肉です。そして罪から来る報酬は死であるともありますが自分=罪=滅びという図式が見えてきますがここも注意深くバランス良く理解する必要があります。そしてそのうえで聖霊様からの助けによって神様に従っていくということです。  この道のりにはチャレンジも伴うでしょう。しかしそこに神様の守りと成長を見いだすことが出来ます。ポイントは聖霊によって進めているかどうかということです。表面上の事柄だけでは私たちは間違った判断をしてしまうこともあります。そうならないために祈りつつ、先走った裁きをしないようにしながら歩むことが大切です。聖書に記されていることは実に幅が広く多岐に及びます。その中で私たちは優れた品性を求め、優れたバランス感覚を養い、主に従順することを身につけていけるよう励まし合っていきましょう。 [Read more...]

神にある希望~ローマ5:2-5

希望の基はなんでしょうか?力でしょうか?知恵でしょうか?権力でしょうか?お金でしょうか?情熱でしょうか?それとも人間関係でしょうか?力であれば年齢と共に衰えます。知恵もすべてのことに対して最善の結果を出せる保証はありません。お金があっても正しく使うことが出来なければ意味がありませんし、何かのきっかけで失ったり、価値がなくなることもあります。情熱があっても方向性が間違っていては意味がなく、人間関係は時にもろいものです。 私たちの希望の基が神様の愛から来るものであればその希望は状況が良くても悪くても、また試練や困難の中からでも忍耐から品性、品性から希望へとつながっていきます。その行程の中で金から純金に変えられるように練られていくのです。 私たちの信仰が目覚めるのはどのような時でしょうか?喜びの時に感謝を献げ、苦しみの時に神を見上げているでしょうか?困難を覚える時に「なぜこんなことが?」と戸惑っていないでしょうか?神様の御手の中にあって感謝して受ける時に主が必ず益としてくださることを見いだします。また困難を通ったからこそ人の痛みも分かる者へと変えられます。その道は私たちの信じる主イエス・キリストが通られた道です。因果応報の考えと聖書の教えは異なります。主が私たちに状況によらない希望を与えてくださり、主の平安で満たし、そして解決の道を備えてくださることを期待していきましょう。 [Read more...]

新しく仕える資格~IIコリント3:4-6

資格というものにはリスクが伴うことがあります。例えば車の免許を持っているからこそ事故の危険性やそれに伴う責任の問題があります。その結果を避けるために安全運転をしたり、交通ルールを守るということがありますがそれでももらい事故に遭う可能性はなくなりません。その確率は宝くじを買って当たるよりも遥かに高く現実的です。そのリスクを回避出来る手段がひとつあります。それは車を運転しないという選択をすることです。しかしリスクを負ったとしてもそれ以上の価値があるからこそその資格を多くの方は用いていると思います。  そういったリスクを恐れるあまり人間関係すら深い関係を築くことを恐れたりすることはないでしょうか?過去人間関係で傷ついたから人に期待しない。深い関係になろうとしないという心理状態です。  聖書は人間関係において選ぶこと、避けることも教えてますが信じること、期待すること、祈ること、助けることそして生かすことについて教えています。否定的な内容に比べると肯定的な内容のほうが圧倒的に多いのです。そしてその道に私たちがはいるために必要なのは神様にある価値観です。決まりという枠を相手に当てはめていくことよりも聖霊によって導かれて自分が生かされるように他の人をも生かしていく価値観です。マイナス面を意識しすぎるのではなく、霊によってイエス様がペテロを見たように主にあって生かすことば、祈りを重ねて関係を築いていきましょう。それはイエス様の中に見る品性であり、私たちが目指すべき価値観あり福音です。神様は愛であり、それが私たちにも注がれているからです。主の愛に応える者となり、主の愛に生かされ、主の愛を伝える者となりましょう。 [Read more...]