聖書箇所:マタイの福音書1章18-25節

説教題:『主イエスの誕生』

マタイ1章18–25節は、イエス・キリストの誕生を、単なる神話ではなく、旧約の預言に基づく神の約束の成就として記しています。

マリアは婚約中に聖霊によって身ごもりました。当時のユダヤ社会では、婚約はすでに法的拘束力をもち、不貞は姦淫とされ、最も重い罪に当たりました。ヨセフは「正しい人」として律法に忠実でしたが、マリアをさらし者にせず、ひそかに離縁しようと決意します。ところが夢の中で御使いが現れ、「ダビデの子ヨセフ。恐れずにマリアを妻として迎えなさい。胎の子は聖霊による。この子をイエス(『主は救い』)と名づけなさい。この方がご自分の民をその罪から救われるのです」と告げます。

ここで示される救いは、当時多くの人が望んでいたローマからの政治的解放ではなく、より深い「罪からの救い」でした。これは、イザヤ7:14の「インマヌエル(神が私たちと共におられる)」という預言の成就でもあります。インマヌエルは単なる名前ではなく、神が人となって私たちと共に歩まれることを示す称号です。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」

ヘブル人への手紙4章15節

ヘブル4:15は、主が人として私たちと同じように試みにあわれ、弱さをご存じであると告げています。主は遠くから命令する神ではなく、苦しみや孤独のただ中に共にいてくださるお方です。そして今も「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28:20)と約束しておられます。

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

マタイの福音書28章20節

私たちは、どんな孤独や不安の中でも、このインマヌエルなる主イエスがおられるゆえに、倒れずに歩み続けることができます。罪から救い、共にいてくださるお方に信頼し、日々の歩みを続けていくことができるのです。

【適用】


主イエス様の誕生は、私たち一人ひとりにとって深い意味を持っています。私たちも時に、ヨセフのように困難や誤解、孤独に直面し、不安や悩みに押しつぶされそうになることがあります。しかし、ヨセフが御使いの言葉を信じ、マリアを受け入れたように、私たちも神の計画と導きを信頼し、歩み続けることが求められています。

さらに、イエス様が「インマヌエル(神が共におられる)」と呼ばれるお方であることは、どんなに孤独や苦しみがあっても、決して一人ではないという確かな慰めと力になります。困難の中でも主が共にいてくださることを思い起こし、祈りをもって神に頼る生活を続けましょう。