聖書箇所:テサロニケ人への手紙第一 2章14-16節
説教題:『迫害の中で主を証しする』
かつてアメリカには「ジム・クロウ法」という法律がありました。黒人は憲法で保障された平等な権利を持ちながら、「分けてはいるが平等だ」とされ、不当な差別を受けていたのです。バプテスト派の牧師であったマーティン・ルーサー・キング牧師は、非暴力で正義を求め、公民権運動を導きましたが、多くの迫害を受け、最後には命を奪われました。信仰の道は決して楽なものではありません。主イエス様も「この世には苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝ちました」と語り(ヨハネ16:33)、また「義のために迫害される者は幸いです」と教えられました(マタイ5:10)。
パウロは第一テサロニケ2章14節で、迫害を受けているテサロニケ教会の兄弟姉妹たちに、「あなたがたはユダヤの教会に倣う者となりました」と励まします。ここで特に注目すべきは、彼らが異民族ではなく、同じ国や民族の同胞から迫害を受けたことです。これはとても辛いことで、テサロニケの人々も同胞であるマケドニア人から迫害されました。
パウロはさらに、当時のユダヤ人たちが主イエスと預言者たちを殺し、キリスト者たちを迫害し、神に喜ばれず、多くの人と敵対していたことを語ります(15節)。パウロはローマ9章3節で「兄弟のためなら自分が呪われてもよい」とさえ言うほど、同胞の救いを願っていました。しかし、それでも真理を拒み続ける者には、神の怒りが臨むという現実を伝えずにはいられませんでした(16節)。「罪が満ちる」という言葉は、彼らの罪が許容量を超えて溢れ出していることを表しています。彼らは異邦人の救いを妨げ、神に敵対していたのです。
現代の私たちも、迫害や摩擦から逃れられません。特に日本社会は「出る杭は打たれる」という言葉が示すように、調和を乱す者に対する同調圧力が強い社会です。キリスト者として信仰を告白し、清く歩む者が摩擦や反発を全く経験しないのは、むしろ珍しいことなのです。もし、まったく何の衝突も、迫害も、摩擦もないとしたら、それはまだ「出る杭」になれていないだけかもしれません。
私たちは「地の塩、世の光」として、勇気を持って御言葉を証ししなければなりません。塩が塩気を失い、土に埋もれてしまえば意味がないからです。使徒たちは御名のために辱められても喜び、迫害の中でも宣教をやめませんでした(使徒5:41-42)。私たちも御名のために辱められることを喜びとすべきなのではないでしょうか。
「使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。」
使徒の働き5章41-42節
これから私たちは、イエス様を知らない家庭や職場へ遣わされていきます。すぐにすべてを伝えられなくても、このような祈りを忘れずに続けたいと思います。「主よ、どうか私たちに勇気と知恵を与え、御言葉を大胆に証しさせてください。たとえ迫害や摩擦があっても、大きな喜びと慰めで報いてください」と。
テサロニケ教会の兄弟姉妹たちのように、私たちも信仰の先輩に倣う者となれますように。
【適用】
1.迫害や摩擦を恐れず、信仰に立ち続けること
私たちは「地の塩、世の光」として、時に社会の圧力や反発を受けることがあります。しかしそれは信仰の歩みの一部であり、恐れず御言葉に忠実に生きることが求められています。
2.勇気と知恵を主に求め、御言葉を大胆に伝えること
イエス様を知らない人々に遣わされるとき、すぐに全てを語れなくても、主に祈り、勇気と知恵を求めて祈っていくことができます。御言葉を大胆に伝えることができるように、まずは祈り求めることから始めていきましょう。
