聖書個所:マタイの福音書1章1-3節
説教題:『マタイの福音書(緒論)』
旧約聖書の最後の預言者であるマラキが語った後、およそ400年の間、神は預言者を通して語られることをやめられました。これを「中間時代」と呼びますが、この時代に書かれた書物の中に、第一マカバイ記などの外典と呼ばれる文書があります。しかし、これらは「神の霊感」によるものではなく、正典には含まれません(参照:第一マカバイ記4:45–46)。そこには、イスラエルに預言者がいないことが記されています。
このような霊的沈黙の中、イスラエルでは会堂が生まれ、律法を重んじる宗教指導者たちが立ちました。しかし、形式的な信仰と人々の作り出した戒めが広がる中で、人々は不当な重荷に苦しめられていました。そんなときに現れたのが、バプテスマのヨハネと、イエス・キリストです。マタイはこのお方こそ、旧約が待ち望んできた「約束の救い主(メシア)」であると力強く証ししています。
マタイの福音書は特にユダヤ人に向けて書かれており、「成就した」という言葉が繰り返されます。これは、イエスの生涯が旧約の預言の実現であることを示すものです。また、マタイ1章では、イエスがアブラハムの子、ダビデの子として正当な系図を持つ方であることが示されます。
イエスは単に一人の偉大な教師ではなく、神の約束されたキリスト、すなわち油注がれた王・祭司・預言者であり、ご自身が律法と預言を「完成する」ために来られました(マタイ5:17)。
(また、マタイは「天の御国」という表現を通して、イエスがもたらす神の国の支配が、霊的にも実際的にも現れることを語っています。)
この福音書の目的は、私たちがイエスを「救い主」として信じるだけでなく、「弟子」として従って生きることを教えることにあります。マタイ自身も取税人という罪深い職業から、主によって呼び出され、弟子となった者でした。彼が経験した恵みと変化は、私たちにも与えられるものです。
マタイ11章28–30節で、イエスはこう言われました。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」
これは、単に楽になるという約束ではなく、主のくびきを共に負う弟子としての生き方への招きです。真の休みは、主イエスに従い、主の教えに生きるときに与えられます。
【適用】
今日のクリスチャン生活において、信仰が自己中心的な安心感や感情的満足に留まってしまうことがあります。しかし、マタイの福音書は私たちに問いかけます。「あなたは、真の弟子として主の道を歩もうとしているか?」
マタイの福音書を通して示されている、「わたしのもとに来なさい。わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」という主イエスの招きに応えてまいりましょう。このメッセージを通じて、主の御言葉に従う「弟子としての歩み」を共に学んでいけますように。
