投稿者「mayumi」のアーカイブ

2020年5月24日 主日礼拝メッセージ

「神の御心にかなわぬ行い~神から離れたソロモン~」 列王記第一 11章1~13節 金田洋介牧師

優れた知恵、名声、権力、財産が与えられたばかりか、長寿までも約束されたソロモンでしたが、この11章では晩年の彼の悲しい姿が記されています。

ソロモンは神様の命令を破り、多くの外国人を妻として迎えました。神様がイスラエル人以外との婚姻を禁じられたのは、偶像崇拝とそれに伴う悪しき習わしが入り込むことを防ぐためでした。案の定、妻たちはソロモンの心を迷わせ、彼は偶像礼拝に囚われてしまいます。彼の心は神様から離れてしまったのです。神様はイスラエルの国を分裂させることをソロモンに告げられました。罪は当事者だけに止まらず、周囲をも巻き込む程の恐ろしい力があるのです。

ソロモン王の過ちからの教訓は、①神様から引き離す誘惑があるということです。ソロモンは偶像礼拝を持ち込んだ妻たちに誘惑され、彼自身も偶像礼拝に陥ってしまいました。外側からの誘惑です。次に、ソロモンは妻たちが偶像礼拝の罪を招くと分かっていながら、『彼らを愛して離れなかった』(2節)。内側からの誘惑です。言葉も行動も、全ては私たちの内側、思いから始まります。心を守らなければなりません。②罪は神様を悲しませるということです。ソロモンの行いを嘆かれたのは他でもなく神様ご自身でした。私たちは自分や、自分以外の人の痛み、悲しみには敏感でも、神様の痛み、悲しみにはとことん鈍感です。私たちの罪が神様を悲しませていることに無関心ではいけません。③神様はどこまでも憐み深いということです。神様はソロモンの為にユダ族を残すこと、そして、国の分裂は彼の存命中には起こらないと告げられました。神様はどこまでも憐み深いお方です。このユダ族から救い主イエス様が誕生しました。

神様の御心にかなわぬ行いをしていた者から、神様の御心にかなう行いをする者、神様から離れていた者から、神様から離れない者となるために、神様はイエス様を通して救って下さいました。主イエス様は言われました。「わたしにつながっていなさい」と。主イエス様に繋がり続けること、それが神様の御心です!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ウツギ、ユリ、オンシジュームです。

2020年5月17日 主日礼拝メッセージ

「神の御心にかなう願い~神の知恵を求めたソロモン~」列王記第一3章3~15節

 ある夜、神はソロモンの夢に現れ、「何でも求めるものを与えよう」と語られました。ソロモンは謙遜な心と態度で、「善悪を判断して神の民を裁くために、聞き分ける心」を求めました。この願いは神の御心にかない、知恵と判断の心が与えられたばかりか、求めなかった富や名声、そして父ダビデのように神の言葉と掟を守るなら長寿も与えるとの約束を得たのです。この後、ソロモンの知恵を求めて国内外から人々が集まって来ることになりますが、彼が与えられた知恵の要は神の御心を聞き分けて判断する心です。聖書は、私たちが「神の御心は何か、何が良いことで、神に喜ばれるか」を見分ける者となるように求めています。神の知恵は必要ないという傲慢、神を信じながら他のものを頼ろうとする二心、神の知恵や力を都合の良い時だけ求める自己中心の動機を捨てて、素晴らしい神の知恵に与る者となりましょう。

さらにソロモンの言葉からこの出来事の理解を深めていきましょう。彼は知恵を求める際に、「…出入りする術を知りません」(7節)と告白しました。この「出入りする」という言葉を、モーセは「自分に与えられた使命」、カレブは「日常の務め」を指して言っています(申命記31:2、ヨシュア14:11)。ソロモンの言う「出入り」とは「王としての使命と働き」はもとより、彼の全ての営みを意味しているのです。つまり、ソロモン、モーセやカレブのように、あなたの全生活の中に神の知恵、すなわち「神の御心を聞き分ける力(何が神様の前に正しくて、何が神様に喜ばれるのかを悟る力)」を求めることを、神は願っておられるということです。それこそが、「神の御心にかなう願い」なのです。あなたの限定された場所、限定された問題や課題の解決や導きの為だけに、神の知恵を求めるのではなく、全てのことにおいて、神の知恵を求めるのです。この後、ソロモンは晩年に神と偶像との間で揺さぶられます。ソロモンの姿から、神の知恵を求めること、そして、一生涯従い続けることの大切さを教えられます。

熊本真愛教会では、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、インターネット礼拝をしています。
そのような中、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ミズキ、ユリ、トルコキキョウ、バラ、アリウム、カーネーションです。

 

 

2020年5月10日 主日礼拝メッセージ

「すべてのことを愛をもって行いなさい」Ⅰコリント16 章 14節

16章は第一の手紙の締めくくりです。パウロの勧め「一切のことを愛を持って行いなさい」に注目し、「一切のこと」と「愛を持って行う」を学びます。

①あらゆる活動の一切

「一切のこと」とは、私たちのあらゆる活動が含まれているということです。教会における活動だけが、愛を行う場所ではありません。むしろ、教会を出た日常生活の全てが愛を行う場だということです。

②あらゆる人間関係の一切

「一切のこと」とは、私たちのあらゆる人間関係が含まれるということです。教会の中の関係(牧師と兄弟姉妹、兄弟姉妹同士における人間関係)はもとより、ノンクリスチャンとの人間関係など、あらゆる人間関係が含まれているのです。

③愛を持って行うとは

「愛をもって行ないなさい」とは、愛を動機として行いなさいということです。この愛は神の愛を土台とします。すなわち、見返りを求めない与え尽くす愛のことですが、「報われたい」と思いやすい私たちには容易なことでありません。いざ行動に移しても、自分の思い通りにならないと怒りや不満を爆発させてしまうこともしばしば…、それが人間の愛の限界なのです。しかし、神の愛に限界はありません。神の愛はあなたの一切の活動、一切の人間関係の限界を超えて現れる力があるのです。信じる者は誰でも、この神の愛に満たしていただけるのです。

新型コロナによって、人間の愛の限界が露わになってきました。互いに愛し、助け合わなければならいないのに、あらゆる関係が破壊されています。疫病ではなく、自己中心という病によってです。このような状況、このような世界に、真の愛を輝かせることができるのは、神の愛に満たされたあなたです。あらゆる活動、関係において、神の愛を原動力として行動しましょう。神の愛の業はあなたの愛の行動から始まるのです。その第一歩として、家庭の中から始めましょう。

新型コロナウィルス感染拡大防止のため、熊本真愛教会ではインターネット礼拝を続けています。
そのような中でも、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ユリ、バラです。バラはとても美しい青いバラです。

 

2020年5月3日 主日礼拝メッセージ

「Pray! Pray!! Pray!!!  祈りの手をあげよう」 コリント人への手紙第二 10章4節

本日の10章から、パウロを批判する反抗勢力に対する彼の弁明が記されています。コリント教会をかき乱し、自分を敵視する勢力の背後に悪魔の力が働いていることを見抜いていたパウロは、神の働きを妨げる悪魔の要塞を打ち破る力を持っていると宣言しています(4節)。その力の一つに「祈り」が挙げられるでしょう。今、新型コロナの影響によって教会生活が妨げられ、不健康になりつつある私たちの信仰。このような時こそ、「祈り」の力を体験したいのです。

①Pray!~一人で祈る~ マタイ6章6節

イエスはいつも祈っておられました。祈りの時間と場所を備えましょう。そして、共におられる神の前に祈りましょう。神はあなたの祈りを聞いておられます。

②Pray !!~二人で祈る~ マタイ18章19節

あなたには祈りの友がいますか?イエスは共に祈る大切さを教えています。夫婦で、親子で、兄弟で祈るのです。ここで大切なことは、「心を合わせて祈る」ということ。祈りを共有することで信仰も励まされ、強められていくのです。

③Pray!!! ~皆で祈る~ 使徒1章14節

初代教会はいつも共に祈っていました。仲間の危機の時、交わりの時、いつでも、どんな時でも彼らは祈りました。もちろん、心ひとつにして。皆で心合わせて祈る祈りに、神は御手を動かして下さるのです。

新型ウイルスの影響で教会の働きが制限されるている今、しっかりと自分自身の信仰の健康状態に気を配っていきたいのです。私たちの信仰が弱体化していくことを喜ぶのは悪魔です。この様な時こそ、一人で祈り、二人で祈り、皆で祈るのです。祈りには、悪魔の要塞を打ち砕く力があります。不信仰や恐れを抱かせようとする悪魔の策略に、祈りの手をあげて立ち向かいましょう。

Pray! Pray!! Pray!!! 祈りのムーブメントが起こる時、私たちの現実の中に生きて働かれる神の御力を必ず体験するのです。

熊本真愛教会では、現在新型コロナウィルス感染拡大防止のため、インターネット礼拝を行なっています。
このような状況であっても、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、カスミソウ、胡蝶蘭です。

 

2020年5月10日 インターネット礼拝のお知らせ

熊本真愛教会では新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、5月10日の礼拝をインターネット礼拝のみといたします。

尚、現在全ての教会集会、行事を中止しております。再開につきましては、目途が立ち次第お知らせいたします。

一日も早い新型コロナウィルスの終息を、心よりお祈り申し上げます。

2020年4月26日 主日礼拝メッセージ

「信じる者になりなさい」ヨハネの福音書 20章24~29節  金田洋介牧師

 

本日の箇所にはイエスの十一弟子の中でただ一人、復活されたイエスに会うことができなかったトマスの事が記されています。トマスは、弟子たちの証言を信じることができなかったばかりか、イエスの「手や脇腹の傷に触れて確認するまで、決して信じない」と言うのです。弟子となって日が浅い人であれば、まだ理解できますが、十二弟子の一人としてイエスの御業を間近で見、命がけで従っていたトマスがここまで疑うには、彼なりの理由があったように思うのです。

ある説教家はこう語っています。「人を疑わせ、信じなくさせる原因となるのは、人生の中に起こって来る様々な経験だ」と。トマスはイエスを心から愛し、信頼し、望みを置いてきました。しかし、望みを置いたお方の最後は、惨たらしい十字架の死でした。これは僅か三日前の出来事です。ですから、トマスがイエス復活の事実を信じるために、「傷痕に触れ、自分の指で確認しなければ…」と言ったのは、彼が経験した絶望と挫折を考えれば当然の話だと思うのです。…八日後、トマスの心を表すかのような堅く閉じられた家の扉を、イエスはすり抜けるように入って来られました。「平安があなたがにあるように」イエスがそう言われると、トマスに傷痕を示し、触れて確認するよう言いました。そして最後に「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と。この言葉がトマスの心に入った瞬間、彼は信じる者に変えられ、私の主、私の神よ。」と告白したのです。

私たちは多くの困難を経験します。災害やトラブル、望まぬ病、経済的困窮、信仰生活の行き詰まり等、様々です。さらに、今は新型コロナの影響があらゆるところに及び、私たちの心に恐れと、神に対する不安や疑いを抱かせます。しかし、そんな私たちの心の不安や恐れの中に、そして疑いを生じさせる人生の現実のただ中に、復活のイエスは立ち、「平安があるように」と優しく励ましてくださいます。「信じない者にならないで信じる者になりなさい」復活のイエスは、今日もあなたを招いておられます。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、オオデマリ、トルコキキョウ、ジンジャーです。
新型コロナウィルスの影響で、教会に集まることはできませんが、インターネットを用いて礼拝が続けてられていて感謝です。

 

2020年4月19日 主日礼拝メッセージ

エマオの途上~あなたと共に歩まれるイエス~」 ルカの福音書 24章13~35節 金田洋介牧師

 

二人の弟子がエマオへの途上で復活されたイエスと出会いました。この出来事は、教会活動の自粛を余儀なくされた私たちが、今、どう過ごすべきかを示しています。

Ⅰ.心の内を打ち明ける ~二人に尋ねられたイエス~ 

イエスは彼らが道すがら論じ合っていた事について尋ねられました。イエスは彼らの話題の当事者ですから知らないはずがありません。これは、二人が顔を曇らせている心の痛みと疑問に、耳を傾けておられるのです。イエスは、あなたの心の奥底にある思いに耳を傾けて下さるお方です。特に今は新型コロナの脅威が迫っています。あなたの顔を暗くさせる不安や恐れの思いを、日々主の御前に打ち明けて過ごしましょう。

Ⅱ.日々、御言葉に与る ~御言葉を解き明かされたイエス~

イエスの十字架と復活の出来事に頭の整理がつかない弟子たちに、イエスはご自身について書かれている聖書の言葉を教え始められました。彼らがイエスの解き明かしを聞いていくうちに、暗く沈んでいた彼らの心は燃やされていったのです(32節)。御言葉にはあなたの魂を救う力があります。暗いニュースばかり聞こえてくる今こそ、主の御言葉を求め、聖霊を通して語られる御言葉に与ろうではありませんか。

Ⅲ.交わりの日を待ち望む ~二人の目を開かれたイエス~

エマオに到着した一行。心燃やされた二人はイエスと共に食卓の席に着きます。そして、イエスからパンを彼らが受け取った瞬間、彼らの目が開かれ、最後の晩餐の席で語られたイエスの十字架の死と復活の約束の言葉と、イエスが道々解き明かされた御言葉が繋がり、自分たちと共にいた人物がイエスであることが分かったのです。

イエスが共におられることを実感できる場は交わりです。罪の贖い、十字架と復活を記念する礼拝と聖餐式。神の家族としての交わりを通して、共におられる主を知るのです。教会生活が制限されている今こそ、私たちは主の御前に心を開き、心の思いを打ち明け、御言葉によって心燃やされる時を過ごしたいのです。やがて礼拝が再開された時、確信するでしょう。私たちたちの真ん中に復活の主が共におられることを。

熊本真愛教会では、現在新型コロナウィルス感染拡大防止のため、インターネット礼拝のみです。
そのような中でも、今週も変わらず講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、アンスリューム、アルストロメリア、ゆり、トルコキキョウです。

2020年4月12日 イースター礼拝メッセージ

喜びの朝がやって来る」マタイの福音書28章1~10節 金田洋介牧師

 

イースターおめでとうございます。世界中で祝われるイエスの復活は、私たち一人一人に関わる大切な事実です。今年は新型コロナによる混乱の中でのイースターですが、全ての人に与えられている復活の恵みを味わいましょう。

イエスが十字架の上で死なれてから三日目の朝、女弟子たちは悲しみと喪失感の中、イエスの納められた墓へと向かいます。途中、大きな地震が起こりました。天から降って来た主の使いが、イエスの墓を塞いでいた大きな石を動かしたからです(2節)。主の使いは彼女たちに空の墓を見るように促します。墓の中にあるはずのイエスの亡骸は、どこにも見当たりません。主の使いは、イエスが復活された事実を告げました(6節)。彼女たちは戸惑いながらも大喜びで、弟子たちのもとに走って行きました。この空の墓から、キリスト教会、そして、私たちの信仰は始まったのです!イエスは死を打ち破り、よみがえられた!この事実が私たちの信仰の原点です。この事実を信じる者がクリスチャンなのです。

彼女たちが弟子たちのもとへと向かう途中、今度はよみがえられたイエスが現れ、「おはよう」と声を掛けられました(9節)。これは「喜びなさい」という意味を持つ、当時の挨拶の言葉です。彼女たちを覆っていた絶望と暗闇の夜は明けたのだ!喜びなさい!というメッセージでした。さらにイエスは、ご自分を裏切った弟子たちを責めもせず、咎めもせず、「わたしの兄弟たち」と呼ばれました。イエスの十字架は弟子たちはもちろん、あなたの罪も過ちも、赦して救うのです。

世の中の状況はあなたを揺さぶって苦しめるでしょう。しかし、世が動こうともイエスの言葉は永遠に変わりませんし、決して滅びません。御言葉に留まるなら、揺さぶられることはありません。たとえ、暗闇と絶望が襲ってきたとしても、喜びの朝が、復活の日曜日が必ずやって来るのです。死と罪の問題を打ち破り、よみがえられたイエスが、解決出来ない問題は何一つありません。復活の主が、あなたの絶望を希望に、悲しみを喜びに変えて下さるのです!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、オオデマリ、ダリア、アルストロメリア、トルコキキョウ、アスターです。
現在、新型コロナウィルス感染拡大防止のため教会に集まることは中止していますが、毎週変わらずこの奉仕は続けられています。

4月19日 インターネット礼拝のお知らせ

熊本真愛教会では新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、4月19日の礼拝をインターネット礼拝のみといたします。

尚、現在全ての教会集会、行事を中止しております。再開につきましては、目途が立ち次第お知らせいたします。

一日も早い新型コロナウィルスの終息を、心よりお祈り申し上げます。

2020年4月5日 主日礼拝メッセージ

父よ、彼らをお赦しください」ルカの福音書23章31~38節 金田洋介牧師

 受難週は私たち一人一人の罪の為に十字架へと向かわれたイエスの受難を深く覚える大切な時です。今年の受難週は新型コロナの影響で落ち着かない中にありますが、心を静めて十字架の上のイエスの苦しみを覚えましょう。

イエスは十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(34節)と祈られました。これは、イエスを十字架へと追いやった祭司や律法学者たち、態度を一変させたユダヤ人たち、必要以上にイエスを痛めつけ、罵った兵士たち、イエスを銀貨30枚で売り渡したユダや、イエスを裏切った他の使徒たち、そして、神と人とに罪を犯していながら「自分で何をしているの分かっていない」私たちに対する祈りでもあります。受難週を迎えるにあたり、自分の罪深さを見つめる時としたいのです。何をしているのかわかっていない自分を。神の御前に赦しを乞うべきは自分なのだということを。私たちは自分で思う以上に罪深い存在であることを。そこに気気付かなくては、イエスのこの祈り、愛の深さを理解することはできないのですから。

次に、十字架の上のイエスに向かい「自分を救ってみろ」と罵る者たちがいました。この言葉はイエスにとって大きな誘惑でした。何故なら、神の御子イエスにとって、それは容易にできることだからでした。しかし、イエスがそうしなかったのは、御子イエスを通して全人類の罪を贖うという神の救いのご計画を全うするためだったのです。イエスの十字架の死によって私たちは救われたのです。

また、イエスは恨み言も、反論もしませんでした。イエスから出てきたものは、彼ら(私たち)に対する愛と憐れみでした。身体も心も引き裂かれ、痛めつけられながらも、最後まで彼ら(私たち)を愛し、赦し、憐れんで下さったのです。

イエスの十字架によって、あなたの罪は赦されました。それは、あなたが罪が赦された者として他者を赦す者、イエスから受けた愛と憐れみに満ちる者となって、天の御国に入るためなのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。コロナウィルスの影響で、現在教会に集まっていないのですが、変わらずこの奉仕が続けられています。
今週のお花は、ユリ、かすみ草、アルストロメリア、カーネーションです。

熊本真愛教会では3月29日の礼拝より、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、教会に集まることを中止し、インターネットを用いて礼拝の中継を配信しています。中継のスタッフは牧師家庭のお子さんたちです。