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祈祷会メッセージとお祈りの課題

神様の知恵と力によって

今こそ、私は知る。主は、油をそそがれた者を、お救いになる。主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。(詩篇20:6-7)

詩篇20篇は「あなた」と呼ばれている人のために祈っている詩篇です。「苦難の日に主があなたにお答えになりますように(1節)。」のように「あなた」のために祈っています。この「あなた」とは誰なのか?「主があなたに…」と言われていますので、「あなた」は神様の事を指してはいないですね。9節になって、「主よ。王をお救いください。」と出てきますので、ああ。王様のために祈っていたのかと分かります。

イスラエルは王国でしたから、王様がイスラエルの国を統治していました。イスラエルの国の政治は王様が行います。良い、賢い王様であればイスラエルの人々は安心して暮らせます。4節で、王様の政治、はかりごとのために祈っています。また戦の時には、王様が軍隊を率いて戦いに出ていきます。王様の勝利は、イスラエルの国が守られてことを意味します。逆に王様が負けると、イスラエルに住んでいる人々みんなが苦しむことになるのです。5節では「神様。王様に勝利を与えてください」と祈っています。

イスラエルの国は、真の神様を信じる国でした。ですから王様のために祈るときにも、ただ王様が強められるようにとか、王様が賢くなるようにとは祈りませんでした。6節で、「主は、油注がれた者を、お救いになる。」と言っています。油注がれた者とは、神様から特別選ばれた人、王様の事を指します。神様が王様をお救いになると祈っているのです。これは王様が強いから国を守ってくれるということではなく、神様が強いから国を守ってくださるということです。神様が強いので、王様に勝利を与えてくださるのです。他の諸外国は、王の力=国の力でしたが、イスラエルでは、神様の力=国の力なのです。イスラエルの国の真の支配者は神様であり、神様が特別に国をまとめる役目として選び、油を注いだのが王様なのです。ですから諸外国では、戦いに勝てば、いくさ車、戦車の性能がよかったとか、馬がいい馬だったとか誇るかもしれません。あるいは王様の采配が良かったというかもしれません。しかしイスラエルは、イスラエルの神様、真の神様を誇るのです。

現代に生きる私たちは、王国で生活していないので、王様のために祈るということはしないかもしれません。単純に私たちの生活をお守りくださいと祈ると思います。その時には、「神様、私の体力を増してください。私の知恵を増してください。」と祈るかもしれません。しかし本当に私たちの生活を支えているのは、私たちの体力や、私たちの知恵ではなく、神様の力です。ですから神様の力を誇りたいと思います。神様が私たちに力と知恵を下さったので守られたという表現も使いますが、注意が必要だなと思います。それは「神様が私たちに力と知恵を与えて下さったので、その私たちの力と知恵で生活を守っている」という意味ではありません。「私たちには力と知恵がないですが、神様が神様の力と知恵をもって助けて下さったので、守られています」という意味です。

今日は、教団の交換祈祷会です。教団の各教会のために祈ります。各教会のこれからクリスマスに向けての歩みを、神様が力と知恵をもって助けて下さるように祈ります。

お祈りの課題

  • 川越教会の新会堂の導きのために
  • 川越教会のクリスマス、新年のために
  • 昭島教会の方々のために
  • 南平教会、教団の各教会のために

*今日は、教団のFM祈祷協力日、交換祈祷会でした。昭島教会には、川越教会の大澤先生が来てくださいました。川越教会、教団の各教会のために覚えてお祈りしましょう。

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クリスマス飾り

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ちょっと早いですが、13日の日曜日にクリスマスの飾りつけをしました。

一部分だけご紹介。

クリスマスを待つアドベント(待降節)は11月27日からです。ご一緒に救い主の誕生を待つ礼拝を持ちませんか。

もう少ししましたら、クリスマスの集会案内も掲載します。お待ちください。

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祈祷会メッセージとお祈りの課題

心の中の真実を語る

主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。(詩篇15:1-2)

注解書によると、この詩篇は、ユダヤの人々にとって理想の人とはどんな人かということを表す詩篇として、23篇についで愛されている詩篇だそうです。特にタルムードでは、モーセ五書にある律法がこの詩篇の中に要約されているとまで言われているそうです。確かにこの詩篇は、人の生き方について簡潔に奥深く表されています。

1節ではまず、主よ。と呼びかけて、だれがあなたの幕屋に宿るでしょうか?と投げかけています。あなたの幕屋に宿るという言葉は、あまり日本では使われない表現かもしれません。これは神様との交わりのことを指しています。幕屋というのは、ユダヤの人々にとって神様と出会う神殿のことです。その幕屋に宿るということは神様との交わりを持つということです。ダビデも他の詩篇で、「私は一つのことを主に願った。…私のいのちの日の限り、主の家に住むことを(27:4)。」と言っています。これもダビデは神様との永遠の交わりを求めているのです。神様の家というなんだかとても豪華そうな建物を求めているのではなくて、神様ご自身を求めているのです。

15:2で、神様の幕屋に宿るのは、このような人だということを述べています。それは正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人であると述べています。正しく歩むという言葉は、聖書の元々の言語ヘブル語は「全き」とも訳せる言葉を使っています。創世記17:1で神様はアブラハムに「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と言われました。同じ言葉が詩篇15:2で「正しく歩み」と使われています。詩篇には「神様の前に」という言葉はありませんが、神様の前に正しく歩むということを意味しています。

正しく歩む、全き歩みとは、完全無欠であるという事ではありません。神様の前に完全無欠な人間は一人もいないからです。私たちは十字架の神様の赦しのゆえに義とされている者です。正しく行おうと努めるのはもちろん良い事です。しかし間違った時にはしっかりと間違いを認めへりくだる事も大事です。神様の前に正しく歩むとは、神様の前に誠実に歩むという事だと思います。このことは心の中の真実を語る人ともつながると思います。神様に対して、包み隠さず自分の心を打ち明ける事ができるということです。罪は、神様の前から隠れよう、逃げようとする性質があります。しかし誰との関係においてもそうですが、自分の心を隠せば隠すほど、関係はぎくしゃくします。良い関係、良い交わりを保つことはできません。罪が神様との関係を壊す、滅びに至るという原因は、たいていの場合、神様のさばきの故というよりも、神様から隠れようという罪の性質に大きな原因があります。神様はむしろ私たちを救おうと、手を伸べて近づこうとしておられるからです。罪を隠そうという誘惑に負けず、神様の前に告白し、赦しを頂きましょう。そのようにして神様との関係、交わりを保っていきたいと思います。

お祈りの課題

  • 11/13クリスマス飾りつけのために
  • 11/16交換祈祷会のために
  • 11/20の聖餐礼拝、役員会のために
  • クリスマスの諸集会のために
  • 昭島教会のみなさんのために
  • 青梅教会のために
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祈祷会メッセージとお祈りの課題

悪者が見ているもの、神様が見ているもの

あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました。不幸な人は、あなたに身をゆだねます。あなたはみなしごを助ける方でした。(詩篇10:14)

この詩篇は、苦しみの中にある人が神様に祈っている詩篇です。悪者について書かれていて、おそらくこの悪者によって虐げられている人が書いた詩篇なのでしょう。詩篇は、詩なので人それぞれ味わって頂ければいいと思うのですが、今日私がこの詩篇を読んでいて特に目に留まったのは、「見る」ということについてでした。「彼の目に、入らない(5節)」、「彼の目は不幸な人を狙っている(8節)」、「彼は決して見はしないのだ(11節)」、「あなたは見ておられました…じっと見つめておられました(14節)」とあります。悪者の視線と、神様の視線について書かれているのです。

悪者は、こう考えています。4節にあるように、彼は神を尋ね求めません。「神はいない」と言っていると書かれていますが、これは原文では、「自分を裁く神などいない」という意味の言葉だそうです。神の存在を否定しているのではなくて、神は自分を裁こうとしないのだと言っているのだそうです。確かに続く詩篇の言葉を見ますと、悪者は神の存在を否定しているというよりは、神様は私の事など見ていないと言っています(11節等)。自分を裁くことができる存在はない。そう考えているからこそ、彼は堂々と悪事を働くことができます。悪者はいつも弱い存在、不幸な人を狙って、そういう人を食い物にして、自分を高めようとしています。こういったことをこの詩篇は、悪者が見ているものは何かということで表現しています。「彼の目は不幸な人を狙っている(8節)。」

さらにこの詩篇ではもう一つ悪者が見ていない物を挙げています。それは神様の存在です。悪者は神様を見ていないのです。「あなたのさばきは高くて、彼の目に、入らない(5節)。」悪者は自分を裁く神などいないと言って、神は自分を見ていないと言っていますが、神が自分を見ているか見ていないかの前に、自分が神を見ていないんですね。これが面白いなと思います。自分が神様の事を見ていないのに、あたかも「神というのはこういう存在だ」と分かったような口ぶりをしているのです。そして神様は悪者を見ていないと決めつけてせっせと悪事を働いています。

しかし実際は、神様は全てをご覧になっています。「あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました(14節)」あなたは、見ておられました。じっと見つめておられました。と2回繰り返して神様が見ておられるということを強調しています。悪者は「神は自分の事など見ていない」と思っていましたけれど、自分が神様の顔を見ていないので、神様の目を見ていないので、神様が何に目を向けているのか分かっていないのです。神様は全てを見ておられます。詩篇の作者は神様を見ていました。神様は全てを見ておられると信じていました。だから神様に祈ることができます。あなたは正義のお方です。愛のお方です。みなしごを、悪者が付け狙っている不幸な人を助けて下さる方です。どうか救いの御手をのばしてくださいと祈っています。

日本にいると、神様を信じている人が少ないので、とてもみじめに感じることもありますが、ぜひ神様は全てをじっと見つめておられることを信じて私たちも祈りたいと思います。

お祈りの課題

  • クリスマスの準備のために
  • クリスマスの諸集会のために
  • 11月の役員会のために(新年度計画を話し合います)
  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 八王子教会のために
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祈祷会メッセージとお祈りの課題

あなたの道をまっすぐにしてください

主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。(詩篇5:8)

詩篇に入りました。詩篇はその名前の通り、たくさんの詩が納められています。多くはダビデ王が書かれた詩篇と言われています。今日の詩篇5篇も表題に「ダビデの賛歌」と書かれています。「フルートに合わせて。」とも書かれていますが、おそらく曲になっていたのでしょう。楽譜が無いのでどんな曲だったのかは分かりません。ダビデ自身も竪琴の奏者でしたので、作詞作曲をしたのかもしれません。

このような歌の形式をとっていますが、内容は祈りです。ダビデの心からの祈りが歌になっています。今日の詩篇は、苦しみの中で、悩みの中で神様を求める内容の祈りになっています。具体的にどんな状況であったのかは分かりませんが、不当な扱いを受けていたのだろうということはなんとなく分かります。ダビデの人生は戦いの人生でした。国内外の戦争に翻弄され続けた人生でした。多くの敵がいたことです。ダビデはその時々において、このような祈りを捧げていたと思われます。

ダビデはまず神様に自分の祈りを聞いてくださいと訴えて、次に神様の正義について歌っています。神様は不正を許される神様ではなく、公正に裁かれる神様であると歌っています。悪を喜ぶ神様ではないと歌っています。だから悪を行う者は自然と神様を避けます。裁かれることを恐れているからです。ですが今回、ダビデは自分は悪を行っていない、悪を行っていないのに悪を行っているかのように不当に扱われているので、神様の前に来て、祈っていますと歌っています。

不当に扱われている時の悩みは本当に辛いものです。今まで誠実に行ってきたはずなのに、なぜ周りから非難されるんだろうか?いったい何が間違っていたんだろうか?と考えます。そして神様の御心が本当に分からなくなります。神様はどこへ私を導きたいんだろうか?それとも神様は私の事を忘れてしまったんじゃないだろうかと思います。ダビデはそのような時に、神様にこの祈りを祈ったのだと思います。ダビデは神様から忘れられてしまったかもと思った時に、神様から離れていかないで、むしろ神様に近づこうとしました。「あなたの家に行き、あなたを恐れつつ、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します(7節)」と歌っています。そして「あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください(8節)。」と祈っています。導きが分からなくなるくらい混乱している状況の中で、あなたの道をまっすぐにしてください。そして私がその道を歩めるようにと祈っています。

ダビデは困難な時にこそ、神様が見えなくなるような時にこそ、神様を求めました。私たちも神様に祈ることができます。ダビデのように辛い時にこそ祈りたいと思います。なんとなく辛いことがあるとふさぎ込んでしまいがちですが、神様は私たちの悩みを理解してくださるお方ですから、神様に近づいて祈りたいと思います。そしてどうぞあなたの道がはっきりと見えるようにまっすぐにしてくださいと祈りましょう。

お祈りの課題

  • 10/30(日)宣教礼拝、宣教フェスティバルのために
  • クリスマスの準備のために
  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 桜ヶ丘教会のために