良識に勝る愛~ローマ13:8-10

日本人だけに限らないかも知れませんが貸し借りの感覚で常に対等に保ちたいという真理が人には強く働くことがあります。自分が特に覚えがないのに多くの贈り物を受ける時に警戒したりすることもあるでしょう。また誰に対しても大きな借りがないというのが精神的な支えになったりすることもあるかも知れません。しかし私たちの人生には時として思いがけない自体が起り、借り貸し0なんて言っていられない状況になることがあります。ダビデやモーセ、サムソン、サムエル、エリヤなど推挙の暇がないほどです。そしてイエス様の人生に起った出来事は多くの弟子達や当時の人々にとって衝撃だったはずです。私たちが返すあてもなく助けを受ける時に見えるものがあります。それは貸し借りを超えた愛がそこにあることを発見した時により豊かな人生観を持つことが出来るというものです。ローマ13章には誰に対しても、何の貸し借りがあってはいけないことを教えると同時に、互いに愛し合うことについては別とあります。そして隣人を自分のように愛することへと繋がっていきます。そこには打算や虚栄心はありません。ただ純粋な愛とみことばによる保証があるのです。無償の愛を見て売名行為とか偽善とか言う方がおられますがそういったことを言う心の根底にはなにがあるでしょうか?妬みがあるかも知れません。また愛を受けたことがないから分からないということもあるかも知れません。もちろん自分の行いをひけらかす必要はありません。良い行いは良い心の連鎖を産むのでいずれ明らかになることも多いからです。その時に人の評価を気にするのではなく、みことばに忠実であることが出来るよう備えていきましょう。 [Read more...]

善を持って悪に打ち勝つ~ローマ12:16-21

ローマ12章はその1章の中に多くの重要なことが凝縮されています。人間関係において難しい事柄について実にわかりやすく書かれています。「復讐は神のすることである」と聞いたことがある方もおられるかも知れませんがそのことばのエッセンスの元はローマ12章後半に書かれていることです。しかしそこだけ見るととても怖く思いますがその前後を見ると明確に愛が書かれています。敵が飢えているなら食べさせ、飲ませなさいとあります。戦国時代において武田信玄と上杉謙信の関係を表すことばとして「敵に塩を送る」ということばがありますが単なる敵対関係ではなく、お互いをリスペクトする姿に多くの方が感銘を受ける出来事です。私たちはそのように相手を尊敬しあう関係を本来望んでいるのです。聖書には私たちが互いに平和を保つことについて記していると同時に一方的に我慢を強いられるのではなく、その報いは神様がして下さるという慰めがあり、またお互いに足りないものであることを知ることで一方的に相手を責める自己中心から守られることを教えています。神様の前に立つ時に完全な人はひとりもいません。しかしそれぞれに正義があり、通したい筋があるわけです。そのような問題に対して聖書は愛を土台とすることで繋がっていくことを教えています。日々の生活の中でこのみことばを土台とし、みことばのうちに留まる者となりましょう。 [Read more...]

喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣く~ローマ12:9-15

聖書の中には私たちが生きる上で大きな指針となることが色々と書かれています。律法のような一見難しそうなことから喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣くというような感情的にも繋がりが強い人同士であればとても共感しやすい事柄も書かれています。このみことばのポイントはこの関係性を内輪だけのもの、仲良しグループの中だけでするものではなく、神様が愛してやまないお互い、つまり私たちが他人と思っている方に対してもそのような心を持つことが出来るかどうか?という大きな課題があります。それは神様が私たちを祝福されることの意味を知ることが大きな鍵になります。神様はアブラハムを祝福されました。しかしその祝福はアブラハムだけに与えられたものではなく、アブラハムが祝福を受け、アブラハムが多くの人々にとって祝福となるということを神様は明確に語っておられます。湖が水を川を通して海に注がないと死海のようになるように、祝福を循環させることは神様の御心です。私たちがなんでも一人占め、自己責任という風潮に流されるのではなく、祝福を流し出し合うことができればお互いの短所によってなにかを建て上げるのではなく、お互いの長所、強みで建て上げることが可能になります。そして主にある喜びを共に喜ぶ者となりましょう! [Read more...]