失望することがない神からの希望と計画

学校や会社において、何かを企画したり、イベント等を実施をする際には、そのビジョン、すなわち、目的や目標、将来の展望等を考えて、計画するのではないかと思います。 同じように私たちの歩みにおいても、その年代や様々な出来事について、計画を立てて、実現することに希望を持って頑張っているのではないでしょうか。 しかしながら、実際には上手くいかず、悩み苦しんで、結果としてあきらめて失望してしまいます。仮に達成や実現ができたとしても、周囲に迷惑かけていたり、傷つけていたり、また達成後、冷めて、虚しさから継続できなかったりすることも多くあると思います。これらの原因は、計画やそのビジョンが、自分本位や自己中心等からのものだからです。 ですが、聖書には失望することのない計画があり、私たちにとって最善かつ最高の人生計画を神さまが立てておられると語っています。さらに、この計画は、平安を与え、将来と希望を与えるものなのです。 なぜでしょうか?それは、聖書の神さまは天地万物、すべてを造られ、それぞれ目的をもって造られているからです。私たち一人一人の人間もその人にしかできない目的をもって、神さまがあらかじめ人生を計画し、創造されているからです。 ですから、私たちが創造者である神さまに呼び求めるならば、また祈るならば、人生における計画はもちろんですが、日常の様々な事についても、神さまはその計画とビジョン、これらにおける希望を与えてくださることができます。 私たちは、この方にいつも希望をおいて信頼して歩んでいきましょう。 [Read more...]

宣教に伴うちから~マルコ16:15-20

イエス・キリストの復活を通して弟子達は改めて整えられ世界宣教の使命を受け取りました。そしてペンテコステ以降初代教会が建てあげられて迫害の中で世界へと弟子たちは遣わされていくようになりました。その中でイエス様が約束されたような悪霊追い出し、異言、奇蹟、いやしが伴っていきました。現代においてもこういった不思議な業は伴っていくケースがあります。私たちが主の御心に従い、忍耐を持って歩む時に主は道を開いて下さいます。現代の日本においてこのようないやしや奇蹟を信じるということはある意味難しいかも知れません。しかし、聖書に私たちが立っていく時に信じるということは奇蹟を受け入れる信仰の備え、そして奇蹟を求める備えをしていくことがとても大切です。なぜなら不信仰のうえには主に対する期待も願いも情熱もないからです。すべてが癒されるわけではないかも知れません。しかし癒しを求めて祈ることを聖書は記しています。癒されないとしてもそれは神様の栄光が現わされるためであるとイエス様ご自身が教えておられたり、またパウロが自分のいやしを三度求めたけどもそのとげは取り除かれなかったり、ある種のものに対して断食によらなければならないと記されていたり、いやしひとつとっても実に様々な背景と解釈があります。その中で私たちは主に信頼して祈り、主に委ね、主に従っていく者でありたいと心から願います。信仰の火を消すことがないように、主の愛のうちにとどまり、主のことばにとどまり、従う者となりましょう。 [Read more...]

復活の主に出会う~ヨハネ20:11-23

復活祭おめでとうございます。主が私たちひとりひとりと出会い、励まし、遣わしてくださることを喜びたいと思います。 主が復活してくださったことは罪からの報酬は死ですという霊的死からの勝利と解放を知らせるものです。イエス様を信じることは罪が赦され、神の子とされ、天国へはいることが出来るようになるだけではなく、聖霊を受けること、罪の赦しを宣言していくこと、宣教と弟子とされていき、キリストの弟子を育てていくことが含まれています。そしてこの働きを教会、ギリシャ語ではエクレーシア(集められた者達)ということばで表現されています。主に集められた者達が熱心に愛し合い、仕え合い、主の御心を現わしていくのです。愛し易い人を愛することは誰でも出来ますが主にあって愛するという過程に入っていく時に聖霊による助け、また私たちひとりひとりの成熟というものが必要です。復活の出来事を見る時に、最初にそこにいなかったトマスはすぐに信じることが出来ずに証拠を求めました。しかしイエス様がそれに応えようとされる時にその心はすでに変えられていました。ここに刷新があります。疑いという肉の弱さを心の刷新によって強めること、聖霊を待ち望む忍耐から謙遜を伴う成熟した心が備わり、そして聖霊の力によっていやしと奇蹟と宣教が進んでいきます。そしてその土台はイエス様の復活から見る私たちとイエス様との関係です。復活の主に出会い、刷新され、備えるものとなりましょう。 [Read more...]