拗れた道をも益と変えられる御方~ローマ8:25-28
神様の導きを感じる時、私たちの人生は守られていると実感することが出来ます。しかし、なにか逆境が訪れた時にもしかして御心ではなかったのかな?と疑問を感じてしまうこともあるかも知れません。
主に召された、導かれていると確信を持っていればいるほど多少のことでは動じませんが厳しい状況に直面する時に自分で決めたつもりだけど勢いで決めてしまったかとか、まだあまり知らなかったからとか、自分の決定自体に疑問を持つことも起こります。
しかし、そのような時にアブラハムをはじめ、多くの信仰によって歩んだ人々の人生を見て行くと信仰によって明確に踏み出している時と状況によって押し出されるように動くしかない時、忍耐しないといけない時を通っていることが分かります。自分の決断でどうしようもない問題に直面する時、限界を感じてしまう時、人は時として無力さを痛感し、絶望する事すら出て来ます。ですが神様はそのような拗れた道をも益と変えることがお出来になる御方であると知っていきましょう。
その時には疑問や葛藤があったとしてもその嵐のようなただ中にあっても見えないところでも私たちのために働いてくださる主に期待していきましょう。主に召された者、つまり主に呼ばれた者たちのために主はすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。とパウロがローマ人への手紙で言っているように私たちも信仰の確信を握っていきましょう。

