聖書箇所:マタイの福音書3章13-17節

説教題:『正しいことを実現する』

皆さんは、日本の時代劇『水戸黄門』をご存知でしょうか。身分を隠して庶民の姿で旅をする徳川光圀公が、悪人の不正を正し、最後に身分を明かしてみながひれ伏すという物語です。なぜこれほど高い身分の人が、あえてその身分を隠して民と同じように振る舞ったのか。それは、民と同じ生活をし、その苦しみを間近で知ることに、大きな意味があったのでしょう。

この水戸黄門の姿は、私たちの主イエス・キリストにも重なる部分があるのではないかと思います。最高の神という身分を隠し、私たちと同じ人間の姿をとられたイエス様は、罪を持たない神の子でありながら、罪を悔い改める人々の列に加わり、私たちと同じようにバプテスマを受けられたのです。

イエス様がバプテスマを受けようとされたとき、バプテスマのヨハネは、あまりのことに戸惑いました。そのヨハネに対して、イエス様は「正しいことをすべて実現することが、私たちには、ふさわしいのです」と答えられました。

この言葉には、深い意味が込められています。一つは、真のイスラエル人としての従順です。イエス様は、律法を完全に守る模範としてバプテスマを受けられました。これは、ご自身の身分からすれば必要のない行為を、謙って行われたのです。もう一つは、私たちとの深い一体化です。イエス様は、私たちの罪を身代わりに背負う代表者として、罪人の列に並んでくださいました。この行為は、イエス様が教師としてではなく、私たちの罪を負う救い主として来られた覚悟を雄弁に物語っています。

このバプテスマは、イエス様がご自身の生涯が十字架へと続く苦難の道であることを受け入れ、神の御心に徹底的に従う意志を公に示された瞬間でもありました。

さらに、この場面は、三位一体の神が同時に現れた、最も明確な啓示の一つです。イエス様が水から上がると、天が開け、聖霊が鳩のように降りてこられ、天からは父なる神様の声が響きました。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

この三位一体の神の共同作業は、私たちの救いが、父の計画、子の実行、聖霊の証しと力添えという、完全な調和の中で成し遂げられたことを示しています。

私たちは、このイエス様の謙遜と従順に倣うべきです。それは、愛をもって、正しいことを実現する強い意志を持つことです。そして、三位一体の神による確かな御業の上に、信仰を置くことができます。イエス様が、ご自身のバプテスマを通して教えてくださった大切なことを心に留めましょう。

【適用】

1.イエス様は、最高の神でありながら、ご自身を低くし、罪人の列に加わってくださいました。これは、私たちが日々の生活の中で、自分の立場や能力を誇るのではなく、謙遜な心で他者に仕えることの大切さを教えています。私たちも、自分のプライドを捨ててでも、キリストが私たちに示された愛と謙遜を模範として行動しましょう。

2.イエス様のバプテスマは、父なる神、子なる神、聖霊なる神という三位一体の神が、私たちの救いのために一致して働かれた、揺るぎない事実を示しています。私たちの信仰は、単なる感情や気分に左右されるものではなく、この確かな御業の上に築かれています。この信仰の確かさが、私たちに安心と希望を与えてくれます。