聖書箇所:マタイによる福音書7章24節から29節

説教題:『岩の上に建てる』

御言葉を行うことの重要性と審判の真実

イエス様は山上の説教の締めくくりとして、岩の上に家を建てた賢い人と、砂の上に家を建てた愚かな人のたとえを語られました。岩の上に建てられた家は、雨や洪水、嵐に見舞われても倒れません。一方、砂の上に建てられた家は激しい攻撃に耐えかね、ひどい倒れ方を期してしまいます。この二つの家を分けた決定的な違いは、家を建てる土台の選定と構築にあります。

イエス様の御言葉を聞いてそれを行う人は、岩の上に土台を据えた賢い人です。逆に、御言葉を聞いてもそれを行わない人は、砂の上に家を建てた愚かな人と言えます。つまり、説教の核心は「神の御心を聞くだけでなく、実際に行うことの大切さ」にあります。

見た目の安易さと隠された真価

イスラエルには「ワジ」と呼ばれる干上がった川底が存在します。乾季のワジは平坦で扱いやすく、骨を折らずに家を建てるには都合が良い場所に見えます。労力や時間を節約し、目先の楽や効率を優先する人間心理からすれば、砂の上(ワジ)に建築することは魅力的かもしれません。しかし、雨季が訪れて激しい洪水が襲うとき、その真価が突然明らかにされます。

イエス様が求める生き方は、敵を愛し、侮辱されても赦し、相手のために祈るという、非常に高い水準のものです。それは暑い日に汗を流して岩に穴をあけ、深く杭を打ち込むような大変な労苦と忍耐を伴います。表面的な取り繕いや口先だけの信仰は、平時には問題ないように見えても、最後の審判という試みの日に崩壊を免れません。

審判への備えと主の真実な愛

私たちが楽を求め、自ら変わることを避けたがる罪深い性質を持っていることを、イエス様は深く知っておられます。だからこそ、破滅に至る危険な場所をあらかじめ警告し、最後の審判の日に滅びることがないよう真剣に語りかけておられるのです。

この厳しさを含む教えの裏には、私たちの救いを心から願うイエス様の真実な愛と権威が存在します。見た目を取り繕う生き方を捨てる必要があります。完璧にはできなくとも、神の御心を行おうと歩み出す姿勢こそが、岩の上に家を建てる生き方です。神の恵みと清さ、そして裁きの厳粛さを心に留め、御言葉を信仰によって自らの生き方に結びつけていくことが求められています。