投稿者「mayumi」のアーカイブ

2022年12月11日 第三アドベント礼拝メッセージ

「受胎告知-世界を変えたマリアの決断-」ルカの福音書1章26~38節 金田洋介牧師

 

本日の聖書箇所は、マリアへの受胎告知の場面です。御使いガブリエルによって、神様の驚くべき計画がマリアに告げられました。その計画とは、イザヤによって預言されていた救い主がマリアを通して誕生するという、驚くべき計画でした。さらに、イエスと名付けられるその子は「いと高き者の子、すなわち神の子呼ばれる」というのです(30-33節)。あまりにも壮大な神様の計画を聞いたマリアは驚き戸惑います。これは若いマリアにとってあまりにも責任の大きい決断を迫るものでした。婚約者のヨセフの事はもちろん、人々に姦淫の罪と誤解され、石打で処罰される恐れもありました。しかしガブリエルは、「主があなたとともにおられます。(28節)」、「いと高き方の力があなたをおおいます。(35節)」、「神にとって不可能なことは何もありません。(37節)」と全能の神様が直接働かれることを告げました。マリアは「わたしは主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」(38節)と、強い覚悟と献身を持って一切を神様に委ね、神様のご計画に従う決断をしたのです。イエス様の誕生から、世界は「キリスト以前(BC)」と「主の年(AD)」に分かれました。まさに世界を変えた決断でした。このマリアの決断によって誕生した救い主イエス様もまた、父なる神様の前に従順であられました(ルカ22章42節)。イエス様の従順と献身によって罪による死と滅びからの救いが私たちにもたらされたのです。

ルカや他の福音書の著者は、マリアだけでなく、夫ヨセフ、ゼカリア・エリサベツ夫妻、シメオン、女預言者のアンナ、名もなき羊飼いたち、東方の博士らといった、イエス様の誕生を取り巻く人々の姿を記しています。彼らもマリアと同様に、神様のご計画の中に生き、それぞれが信仰を持って決断し、神様の御言葉が真実であることを体験しました。彼らのように神様の御言葉を信じ、信頼し、全てを神様の御心にお任せする決断をするなら、あなたの中の世界は変わります。あなた見る世界も変わります。それは、あなたと共におられるイエス様があなたの思いを遥かに超えた素晴らしい御業を見せて下さるからです。実はそれはすでに始まっているのです。あなたが神様を礼拝しようと出席を決断した時から…、神様を信じようと決断した時から…、神様の御声を聞かせていただこうと決断した時から…、神様を信頼して祈ってみようと決断した時から…すべては始まっているのです。アドベントの期間、神様が自分に働きかけて下さったことを思い巡らす機会として過ごしてみてはいかがでしょうか。神様があなたの内に、あなたの周囲に起こしてくださった素晴らしい御業にきっと気付くことでしょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、グラジオラス、カーネーション、ユリ、バラです。

 

2022年クリスマス集会のお知らせ

熊本真愛教会では、今年も下記の通りクリスマス集会を開催します。詳しくはチラシをご覧ください。

🎄キッズクリスマスフェスタ

http://church.ne.jp/kumamoto-shinai/wp/wp-content/uploads/2022/12/2022クリスマスフェスタ表面.pdf

http://church.ne.jp/kumamoto-shinai/wp/wp-content/uploads/2022/12/2022クリスマスフェスタ裏面.pdf

🎄キャンドル・サービス、クリスマスファミリー礼拝

http://church.ne.jp/kumamoto-shinai/wp/wp-content/uploads/2022/12/2022クリスマス集会案内チラシ.pdf

コロナ禍は続いておりますが、感染予防に留意して行ないますので皆さまどうぞお越しください。

2022年12月4日 第二アドベント礼拝メッセージ

「主を待ち望もう」イザヤ書 40章27~31節 金田洋介牧師

 

イザヤの時代、南ユダが置かれていた状況は本当に困難な状況下にありました。国内外の問題のみならず、イザヤを通して告げられた彼らの未来は、国の滅亡とバビロンによる支配という絶望的な状況でした。神様はイザヤにイスラエルの民に慰めを告げるよう命じ(1節)、憐み深い神様の言葉を伝えます。ところが、「私の訴えは私の神に見過ごされている(28節)」と民は嘆いています。神様の愛と憐みを見失った民の哀れな姿です。イザヤは、『【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。(31節)』と、神様の御言葉の約束をもって民を励まします。「待ち望む」とは、「実現することを期待して待つ」という意味。ですから、「【主】を待ち望む」とは、「神様の御言葉の約束を信じ続ける」ことであり、「常に真実であられる神様を信じ、神様のご計画に信頼して、その過程も結末も全てお任せする」ということです。結果的に、イスラエルの民は国の滅亡と捕囚という痛みを通ります。しかし、それで終わりではありませんでした。神様が定められた約束の年月を経て、民は捕囚から解放され、帰還の時を迎えます。神様の言葉は実現したのです!彼らは【主】なる神様と共に国の再建へと進んで行きます。ところが、その後も何度も神様に逆らい、神様から見捨てられてもおかしくない程に罪を犯し、罪の闇に支配され続けます。しかし、罪の支配から解放され、罪の縛りが断ち切られる日がやって来ました。イスラエルが犯した罪、人間が犯した罪、そして現代を生きる私たちが犯した罪がもたらす、永遠の死と滅びから救われる日がやって来たのです。それがクリスマス。救い主イエス様が私たちのために生まれてくださったのです!待ちに待った救い主が誕生された。だからこそ、2000年経った今も、世界中でイエス様の誕生を祝うのです。

イエス様は私たちの罪の身代わりとして十字架にかかり死なれましたが、三日目によみがえり、天にのぼられました。しかし、それで終わりではなく、再び、世界が終わりを迎える時、イエス様は再び地上に来られます。イエス様の誕生と昇天から2000年が経った今、私たちもまた、イエス様を待ち望む者として、今を生きているのです。では、私たちはどのように主を待ち望むべきでしょうか。私たちは、自分の人生の全てで主を待ち望む者でありたいのです。神様の全能を信じ信頼して、愛と哀れにみに富んでおられる神様に飛び込む者でありたいのです。神様はご自身を信じて待ち望む者に、余すところなく御力を現して下さいます。その御力で私たちの信仰を日々強めて下さいます。その神体験の積み重ねが、私たちキリスト者の新しい力、つまり、神様を信じる信仰と神様への信頼が以前よりも増していき、私たちのクリスチャン人生を揺るぎないものとする力となって現れるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、モンステラ、バラ、カーネーション、スターチス、スカシユリです。

 

2022年11月27日 第一アドベント礼拝メッセージ

「暗闇を照らす大きな光」イザヤ書  9章 1~7節 金田洋介牧師

 

今日からアドベントに入りました。救い主イエスの降誕を祝うクリスマスを心から待ち望む大切な期間として過ごします。イザヤ書から救い主イエス誕生の預言について学びましょう。

預言者イザヤが活動した時代、彼が遣わされた南ユダは周辺諸国の脅威に脅かされていました。時の王アハズは、『その父祖ダビデとは違って、彼の神、【主】の目にかなうことを行わない(Ⅱ列王16章)』王で、神様を信頼せず、大国アッシリアを頼ってしまいます。そればかりか、偶像崇拝にのめり込み、異国の神の祭壇を祭司に再現させたばかりか、それを神殿に置き、礼拝したのです。これらの罪が起因となり、自らの国を窮地に追いやります。全知全能の真の神様を信じ信頼しないで他国の軍事力を頼り、神様に警告されていながら異教の習わしを止めなかった為です。民は神様の祝福を失い、国は罪と絶望の暗闇に覆われてしまいました。しかし、神様はイザヤを通して救い主誕生の約束を与えて下さいました。「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。(2節)暗闇を照らす大きな光である救い主が与えられるというのです。

さらにイザヤは、救い主がどのようなお方かを語ります。①不思議な助言者(ワンダフルカウンセラー)。救い主は何でも知っておられ、最善最良の助言者として立ってくださるのです。②力ある神。救い主は何でもできる全能の神ご自身で、力強く私たち守り、御言葉を行う力も与えて下さるのです。③永遠の父。時にも場所に縛られず、いつもどこにでもおられるお方。救い主はどんな場所にも、どんな時にも共にいて下さる神ご自身なのです。④平和の君。救い主は、罪によって破壊された神様と人間との関係を回復し、神様との和解と平和を与えて下さり、さらには人間と人間との間にも平和を与えて下さるというのです。

神様は約束を実現して下さいました。この預言の700年後、暗闇を照らす大きな光、まこと光としてイエス様は誕生され、私たちを罪の死と滅びから救って下さいました。救い主であり、光であられるイエス様は今も生きておられ、いつも私たちと共にいて、全能の力で守り導いて下さいます。そして、私たちの心の闇、罪の闇を照らし、光の下へと導き出して下さるのです。私たちの救い主としてお生まれ下さったイエス様に心から感謝し、心から祝いましょう。また、光であられるイエス様をお伝えしましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、杉、ジンジャー、ユリ、ユーカリです。

 

2022年11月20日 主日礼拝メッセージ

全能者の愛の御手の中で」ヨブ記 41章1~11節  金田ゆり牧師

 

ヨブ記の4回目のメッセージです。ヨブがすべての言葉を語り終えた時、若者エリフがヨブに意見します。ヨブは高慢だ。神を待とう。自分を正しいとせず、神を畏れてみわざを考えよう。友人達との論戦で苦しみに追いやられたヨブに、考えさせる役割を果たしました。そしてついに、嵐の中から神はヨブにお答えになるのです。

  • 人は神の摂理を理解することはできない

38~39章までぜひお読みください。何と美しく壮大な神の言葉でしょう。創られた方だからこその言葉。神は、ヨブの訴えに直接のお答えはされず、創られた壮大な自然の質問をされました。そのうちのたった一つの質問にも、ヨブは答えられません。自然の法則一つですら説明できないのに、それらすべて創られた神の考えを理解することなどできません。ヨブの人生、あなたの人生は、この壮大な自然の如く複雑で、美しい。あなたを創られたお方にしか、すべてを理解できない。それがあなたの人生なのです。

  • ヨブの高慢を指摘される神

40章1~8節までお読みください。ヨブは神の御心がわかって、何てことを言ってしまったのかと悔い改めます。しかし、神は、話はまだ終わっていないと更に質問されます。全身全霊で神にぶつかって行ったヨブに、ご自身をもってぶつかって行かれたのです。神は、ヨブが神より自分が正しいとした高慢を指摘されました。創られた人間に、見えることでしか判断できない人間に、すべてを創られすべてを知る全能者を罪に定める権限はありません。ヨブはここから、静かに神の御声を聞きます。

③全能者の愛の御手の中にいるヨブ

41章に戻りましょう。神は、創られたもので最強、どう猛なレビヤタンを例に挙げ、これを意のままにできるかとヨブに言われます。できるわけがありません。10~11節、神様の本音が、ヨブにぶつけられています。それならいったい誰が、わたしの前に立てるのか?誰がまずわたしに与えてくれたのか?わたしが報いなければならないほどに?天の下にあるものは、わたしのもの。ヨブ、あなたもわたしのものだよ!…この全宇宙の摂理の中、私たちの目の前で理解不能なことが起ころうとも、ヨブもあなたも、全能者の御手の中で守られ、ここまで来たのです。神のお答えは、たとえすべてを理解できなくても、全能者の愛の御手の中に生かされていることを信頼する、ということでした。ヨブが、ただこのお方の愛の御手に信頼すると決めた時、彼は驚くべき祝福の回復を体験することになるのです。次回に続きます。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユーカリ、グロリオサ、ユリ、菊です。

この日、アドベントを前に大掃除とクリスマスの準備が行われ、会堂内もきれいに飾りつけがされました。

2022年11月13日 主日礼拝メッセージ

You are Special~たいせつなきみ~」イザヤ書43章4節 金田洋介牧師

 

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」この言葉は、神様の目には、全ての人が愛すべき尊い(大切)存在であるということを意味しています。全ての人ですから、誰でも、どんな人でも、神様の愛の対象であるということです。また、聖書は「神様はえこひいきしない(公平なお方だ)」と語っています。神様の言葉は、口先だけの言葉ではなく、真実だということです。聖書が語るメッセージは私たちが、何ができてもできなくても、たとえ欠点だらけであっても、そして、これまでどんな人生を送ってきたとしても、神様の目には「あなたは高価で尊い」存在、Specialな存在であるというのです。

では、私たちが神の前にSpecialである理由とは何なのでしょうか。それは、①私たちは神様によって、神様に似せて造られ、②世界にたった一人の存在(一人一人が違う)であり③神様に愛されているからSpecialなのです。今回は特に③を覚えましょう。神様は「わたしはあなたを愛している」と言われました。神様は、私たちを愛すべき存在として見ておられるというのです。神様の愛は無条件の愛です。何か特別なことができても、できなくても、神様は等しく愛して下さるのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。Ⅰヨハネ4:10

聖書は全ての人間が罪人であり、罪の結末は死と永遠の滅びであると断言しています。しかし、私たちを造り、愛しておられる神様は、私たちを罪の滅びから救うために、イエス・キリストを全人類の罪の身代わりとして十字架につけ、裁いて下さいました。そのことによって、私たちの罪は赦され、罪の滅びから救われたのです。ここに神様の愛があるのです。掛け替えのないイエス様の命を犠牲にしてまでも救いたかったあなただからこそ尊く、素晴らしいという神様のメッセージを信じ、受け止めていただきたいのです。もしかしたら、神様の愛の大きさに圧倒されるかもしれませんし、自分を知れば知る程、自分が神様にとってスペシャルな存在であることが信じられないかもしれません。受け止め切れないかもしれません。しかし、あなたがどう思おうとも、神様の目にあなたが高価で尊いと言う事実は決して変わりませんし、神様があなたを愛しておられるという事実はどんなことがあっても覆ることはありません。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と言って下さる神様は、あなたの人生を豊かにし、素晴らしい計画を用意しておられます。神様の愛と言葉を共に信じようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ダリア、アルストロメリア、ユリ、ブルーベリーです。

この日、子ども祝福式が行われ、教会に集う子どもたち一人一人に、祝福のお祈りがなされました。県外から帰省したお子さんや、オンラインで参加したお子さんもおられました。

中高生も祝福を受けました。

 

2022年11月6日 主日礼拝メッセージ

主イエスの第一声~天の御国の到来~マタイの福音書 4章12~17節 金田洋介牧師

 

バプテスマのヨハネが捕えられたことにより、宣教のバトンがイエス様へと渡ります。

・イエス様の宣教の始まり

イエス様による宣教はガリラヤから始まりますが、この場所がとても重要でした。それは、イザヤによる預言が成就した瞬間でもあったのです。『闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。』(16節)。暗黒の中にいる人々を照らす「大いなる光」として、イエス・キリストが立ち上がられたのです。

もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。Ⅰヨハネ1章7節。あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。エペソ人への手紙5章8節。

イエス・キリストという「大きな光」に照らすことができない闇はありません。これは昔の話ではなく、今を生きる私たちにも与えられた事実であり真実です。罪の赦しに与り、光の中を歩む者とならせていただこうではありませんか。

・イエス様の第一声

イエス様の宣教の第一声は「悔い改めなさい。天の御国は近づいた」でした。「天の御国は近づいた」とは、神様の支配がイエス様を通して到来したという事です。すなわち、神様の恵みの支配があなたがたの心の中に臨み、満たすという意味なのです。もし、神様の支配があなたの心の中に起こるなら、神様のご性質(愛やきよさ)が、私たちの実際の行動や言動に現れます。なぜなら、天の御国の王であるイエス様が私たちの心の中に住んで下さるから事です。私たちは、地上で生きている時から、いつもイエス様に導かれて、天の御国の人として生きることができるのです。ですから、「悔い改めなさい。天の御国は近づいた」とは、「あなたの心の中に天の御国が来るために、あなたの心の中に神様に支配が及ぶように、イエス様で一杯になるように、罪の闇の中から光の中を歩くために、罪を悔い改めなさい。」という事なのです。

天の御国は神様が王であり、神様の御心だけが行われるところ、それが天の御国です。あなたの心に天の御国の支配の臨み、神様が喜ばれる歩みができますように。そして、あなたの周りの人々に天の御国の恵みが宣べ伝えられますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、アレカヤシ、八重ユリ、バラ、トルコキキョウ、ハイビスカスです。

この日、一人の姉妹が洗礼を受けられました。ハレルヤ!姉妹のこれからの歩みに、主の祝福が豊かにありますように。

2022年10月30日 主日礼拝メッセージ

「罪を赦すことのできるお方」マタイの福音書 9章1~8節  金田洋介牧師

 

中風の人の救いと癒しの出来事はマタイだけでなく、マルコ、ルカにも記されています。特にマルコは詳しく記していますので、読み比べるとより良く理解することができます。

・カペナウムでの出来事

イエス様がカペナウムに来られた知らせはあっという間に町中に広がり、イエス様が滞在されていた家に大勢の人が押し寄せます。すると4人の男(共同訳より)が中風を患った病人を運んで来ました。イエス様に助けを(癒し)求めてやって来たのです。ところが、マタイには記されていませんが、大勢の人々が溢れていたために、イエス様に会わせるどころか、近付く事さえできないでいました。しかし、4人は諦めません。彼らは屋根に上ると穴をあけ、そこからイエス様のもとに病人を吊り下ろしたのです。「何としてもイエス様のもとに連れて行く」という強い思いと信仰が彼らを大胆な行動へと駆り立てたのでしょう。ところが、イエス様は中風の人に向かって一言、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された(2節)」と言うのです。すると、この言葉に律法学者たちが敏感に反応し、心の中でイエス様を非難しました(3節)。しかし、イエス様は彼らの心を見抜いて言いました。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、それから中風の人に「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。すると彼は起き上がり、家に帰った。(4-7節)その一部始終を見ていた人々はみな神様を崇めました(8節)。

・マタイの強調点

マタイとマルコを比べるとマタイは簡潔に、マルコは詳細にこの出来事を記しています。なぜ違うのか。それは強調したいことが違うからです。マタイが詳細を省いて伝えたかったこととは、イエス様が癒しではなく罪の赦しを宣言されたことから分かるように①『目に見えない罪の赦しが本当にあり、何よりも最優先されるべきである』こと、イエス様は罪を赦す権威を持っておられるお方である』ということです。しかし、目に見える現実にばかり心が一杯になり、目に見えない罪の赦しが必要であることに心を向けることができません。どうか、イエス様が宣言された言葉を心に留めましょう。私たちには罪があり、罪の赦しが必要であることに気付き、罪を赦すことができるイエス様を求めて生きたいのです。

最後に、あなたの愛する方々をイエス様の許にお連れしましょう。とりなし祈りましょう。イエス様は中風の人を運んでいた彼ら(中風の人本人も含まれていたかもしれない)の信仰を見て罪の赦しを宣言されました。ここはとても大切なポイントです。神様は私たちの信仰を見ておられます。大胆に宣べ伝えると共に、信仰によるとりなしの祈りをささげ続けましょう!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、赤ドラセナ、ユリ、トルコキキョウです。

 

2022年10月23日 主日礼拝メッセージ

「神への訴え」ヨブ記 30章16~31節  エレミヤ書 33章2~3節  金田ゆり牧師

 

ヨブのシリーズ三回目です。三人の友人達との論戦を繰り広げた末に、ヨブがしたことは、神に胸の内を訴えることでした。人生で起こる疑問に答えを得られない彼は、ひたすら自分の思いをぶつけ、訴えることでした。どんなことを彼は訴えたのでしょうか。

  • ヨブの神への訴え 16~31節

神のほうが間違っておられるという訴え16~19節、参照ヨブ28:23~28、29:1~5

神が私に苦しみを与え、離れないようにしておられる!苦しむ私を、泥の中に投げ込まれ、私はちりや灰のようになってしまった、とヨブは言います。自分は主を恐れて、悪から遠ざかって来たのに。これまで、神と親しい交わりを持ってきたのに、神様のほうが何か間違っておられるのでは?と訴えたのです。

自分の正しさの訴え 24~26節

私は、苦しんでいる人を助けて、涙し、心を痛めて来たのに。いつだって正しく生き、正しく生きたいと思ってきた。私は善を、光を待ち望んでいるのに、悪と暗闇で返されるのですか。ヨブは、自分の正しさを訴えます。苦しみのあまり、神より自分のほうが正しい、こんなことが起こるのはおかしいと訴えたのです。

神は答えてくれないという訴え 20~21節

ヨブのもう一つの訴えは、神は私に答えてくれないというものでした。こんなに訴えているのに、どうして答えて下さらないのですか。目にも留めてくださらない。あなたは、私にとって残酷な方に変わってしまいました!何という悲しみ、苦しみ。人生に絶望したヨブの、神への悲痛な訴えでした。

  • 神に訴えることをやめなかったヨブ

ここで注目すべきことは、ヨブが神に訴えることを止めなかったということです。彼はすでに神が理解できず、見えなくなっているのに、なお神に訴え続けているのです。彼の訴えは、神の目には的外れな訴えでした。しかし、神とヨブ、人格と人格、真正面からぶつかる姿勢には学びたいものです。絶望してなお、彼は神に訴えることはやめなかったのです。

  • 訴えを静かに聞かれる神 エレミヤ書33:2~3

神は静かにヨブの訴えを聞き続けられます。的外れな訴えであっても、自分の全てをぶつけて来た彼を受け止められます。こののち、神は、神ご自身をもって本気の答えをヨブにぶつけられることになるのです。神はあなたの訴えを聞かれます。的外れであろうと、あなたが心注いで訴えることを、神は喜んで聞かれ、本気のお答えをあなたに与えてくださるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、アレカヤシ、カーネーション、スプレー菊、テッポウユリです。

2022年10月16日 創立40周年記念礼拝式メッセージ

「恵みの神に導かれて」エペソ人への手紙 2章11~22節  金田洋介牧師

 

聖書が語る「恵み」とは、「受ける資格のない者に与えられる神様の驚くべき祝福」あるいは「神様からの身に余るほどの良き取り計らい」とも表現できます。熊本真愛教会が設立されて40年周年を迎えました。恵みの神様に導かれ今日在ることを感謝しつつ、イエス様を通して与えられた神様の恵みをエペソ書から学びましょう。

Ⅰ.キリストにあって神様に近い者とされた

エペソ教会に集う人々のかつての姿は、「この世にあって望みもなく、神もない者たち(12節)」でした。ところが、キリストの血によって「神様に近い者」にされたとパウロは語ります。それはすなわち、神様と正しい関係が結ばれたということです。それは「私の人生に神様は必要ありません。」と言っていた者が「私の人生は、神様なしに成り立ちません。神様こそ私の全てです。」と言う者へと変化したということです。自己中心に生きる人生から、神中心に生きる人生へと変えられたのです。そして、それは「キリストの血」、すなわち「イエス様がご自身の命を犠牲にしてくださったことによって」起こったのです。それはまさしく、神様の恵みによるもの、「受ける資格のない者に与えられる神様の驚くべき祝福」でした。神様の素晴らしい恵みによって、エペソの人々に、さらに素晴らしいことが起こります。

Ⅱ.キリストにあって一つとされた

続いてパウロは、互いに敵意を持って拒絶し合っていたユダヤ人と異邦人とがキリストにあって一つにされたと教えました。彼らは互いに敵意を持って拒絶し合っていたましたが、同じ神様を信じ、同じ神様と共に生きる者、同じ神様を信じる信仰を持つ者として一つとされたのです。この「一つとされた」とは、互いに愛し合う愛。愛による一致が生まれたということです。ですから、イエス様によって一つとされたお互いの間に、もはや敵意はありません。それどころか、敵意の代わりにイエス様で愛し合う「神の家族」という新しい関係が生まれたのです。これも神様の素晴らしい恵みです。「神様からの身に余るほどの良き取り計らい」によって、エペソの人々の間に「神の家族としての集まり」、すなわちイエス様を中心とする「教会」が生み出されたのです。

教会は、イエス様を信じる信仰によって救われた人たちの集まりです。熊本真愛教会は、恵みの神様に導かれ、イエス様を信じて救いに与った方々によって築き上げられ、私たち一人一人の今があるのです。真愛教会の40年の歩み、私たちそれぞれの歩みの守りと祝福を、神様に感謝し、これからも神様を礼拝し続けましょう。そして、神様の恵みを携え、全世界に出て行って、イエス様を通して与えられた恵みを宣べ伝えようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、リンドウ、アンスリューム、メラレウカ、ユリです。