投稿者「mayumi」のアーカイブ

2018年7月22日 主日礼拝メッセージ

「あなたの心の戸を叩くイエス」 黙示録3章20節  金田洋介牧師

CS サマーキャンプのテーマに合わせて本日のテキストを開いています。今年は①「気付いて!神様の愛」②「気付いて!十字架の意味」③「気付いて!イエス様のノック」の3回のメッセージ。合同礼拝では③を共に分かち合いたいと思います。

①では、群れからはぐれた一匹の羊を見捨てず探し出した羊飼いのたとえ話から、神は私たちを愛しておられることが語られました。羊飼いの話では、羊は遠目では綺麗に見えても、近づくととても汚れていて、他の羊の真似をして失敗することが多く、臆病なのに強がるそうです。人間も羊と同じで、表向きは綺麗に見えても、心の内は汚い思いで一杯になることがあります。無理やり周囲に合わせようとして空回りすることがあります。また、弱さや欠点を見せないように強がって見せることも。しかし神は、私たちのありのままを、存在そのものを尊び、最高の愛で愛してくださるのです。

②では、私たちはみな神の前に罪人であり、罪の結末は永遠の死と滅びであると語られました。ところが、罪の自覚は個人によって異なります。それは聖書を基準としていないからです。そして、罪があるにもかかわらず、「自分は神に『罪を許してください』と求めるほどではない」とさえ思うのです。しかし聖書は、人はみな罪人であり、イエスがその罪の身代わりとなって十字架にかかり死んでくださったことを教えています。この事実を信じ、自分の罪を認めて、罪を悔い改めましょう。

そして③のメッセージに入ります。私たちのために十字架に死んでくださったイエスは今も生きておられ、今も世界中の人々に語っておられます。見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中に入って彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。

イエスはあなたの心の戸を叩いておられます。もし、あなたが心を開いてイエスを迎えるなら、永遠の命と、神と共に生きる新しい人生が与えられるのです。

すでにイエスの前に心の戸を開かれたあなたの心は、常に開かれているでしょうか?一度開けた扉を、自分の都合の良し悪しで開け閉めしてはいけません。神はあなたの心が常にイエスの前に開かれているようにと願っておられます。御言葉と祈りの生活を通してイエスと交わり、信仰生活を豊かなものとしていただきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、グラジオラス、ひめヒマワリ、トラのオ、ゆきやなぎです!

本日は教会学校のサマーキャンプに合わせて、年に一度のそうめん流しの日でした。酷暑の一日も、美味しく楽しく!

2018年7月15日 主日礼拝メッセージ

「キリストが崇められるために 」ピリピ人への手紙1章12節~21節 金田洋介牧師

きよめ派連合聖会の3回のメッセージから語ってきました。本日で最後です。パウロはピリピ教会の信徒らに、獄中にある自分を支えてくれたことの感謝、彼らの成長に対する喜び、自らの証も加えてこの手紙を送りました。特に本日の箇所では、キリストを伝えたことによって捕らえられたことが福音の全身につながったこと、そして自分がどのような状況にあっても、この身によってキリストが崇められること(20節)を切に願っていると告白しています。「崇められる」とは、「拡大する」という意味もあります。私たちもパウロのように、キリストが崇められる(キリストを拡大する)ための使命が与えられていることを覚えたいのです。

御霊によってつくり変えられた品性を通して

聖会において「私たちはキリストの拡声器、そして拡大鏡です」と語られました。私たちの存在によってキリストが人々に伝えられ、キリストが現されるのです。しかし、私達がきよめられていなければ、すなわち御霊の介入を拒否し、御霊によらず、自分中心に生きるなら、歪んだキリストが伝わってしまい、キリストが崇められるどころの話ではなくなります。もし、これまで語られてきたように、私たちがきよめ(全領域に御霊の介入を受け入れること)を求め、肉の欲(御霊の思いに反抗し、自我のまま生きる欲求)に従って生きるのではなく、御霊によって生きるなら、御霊によってつくり変えられた私たちの品性(人柄)を通して、キリストの愛、親切、柔和(穏やかさ)、誠実さ、素晴らしさが現され、その結果、キリストが崇められるのです。

罪へと誘う肉の欲(御霊に逆らう自我)に抵抗しなさい

神は御霊によって作り変えられた私たちの品性を通して、キリストが崇められるようになることを願っておられます。この神の御旨を全うするために、私たちは徹底して肉の欲に抵抗しなければなりません。『あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。』(へブル人への手紙12章4節)とあります。御霊に逆らう肉の欲に無抵抗のまま身を委ねてはいけません。御霊に逆らう自分と徹底的に向き合い、最後には御霊に全てを明け渡して(自我に死んで=自己中心から御霊中心にシフトして)、キリストが崇められる(拡大される)ために用いていただきましょう。

先週、召された方の記念会があり、その時に飾られたものを、今週そのまま講壇に飾らせていただきました。

メッセージする金田牧師

礼拝の後、毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、親子丼と豆腐サラダです。

2018年7月8日 主日礼拝メッセージ

「御霊によって歩きなさい」 ガラテヤ人への手紙 5章16節~26節 金田洋介牧師

熊本きよめ派連合聖会のメッセージから語っています。本日は2回目。ガラテヤ人への手紙からのメッセージ。パウロの伝道によって増え広がったガラテヤの諸教会は、違った福音(1章6節)によって正しいキリストの福音が曲げられ、惑わされていたのです。パウロは彼らを戒めるとともに、御霊によって信仰生活を歩んでいくことを勧めました。私は命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。5章16節

「肉の欲」とは、肉体に備わっている自然的な本能ではなく、御霊の働きや介入を拒絶する思いと、そこから生まれる自己中心に生きようとする欲求のことです。肉の欲は御霊と対立し(17節)、醜い罪となって現れ(19節~21節)、罪に囚われ続け、神の国を継ぐことができなくなってしまうのです。

御霊によって歩むとは

1)御霊を認識することです。御霊が共におられ、見ておられると認識するのです。

2)御霊を信頼することです。御霊は傍らに立ち、あなたを助けてくださるお方です。

3)御霊に相談する。どんなに易しいことも、難しいことも相談するのです。

4)御霊に従うことです。御霊は御言葉を通し、あらゆる人を通して教えてくださるお方であり、御霊自身が警告を与えられます。示されたのなら素直に従いましょう。

5)御霊に歩調を合わせて進むことです。自分のペースではなく、御霊のペースに合わせて信仰生活を歩むのです。時には待ち、考え、自らの歩みが神の御心にかなっているか吟味しながら、御霊と共に歩みましょう。

これらの歩みは、一朝一夕で身に着くものではありません。日ごとに神のみ前で静まり、祈り、御言葉に養われることが大切です。罪を示されたなら素直に罪を認めて悔い改め、イエスの十字架を仰いで行くのです。忘れていけないことは、御霊によって歩んでいても、誘惑がなくなるわけではありません。御霊に逆らう歩み、罪に誘う悪魔の試みは常にあります。しかし、恐れてはなりません。神の介入を受け入れ、御霊によって歩み続けるなら、肉の欲という御霊への反抗、自己中心な歩みへの欲求、罪の行いに身を委ねようとする欲求に打ち勝つことができるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ドラセナ、ゆり、ひまわり、ケイトウです!

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、カレーライス、大根、パプリカ、キュウリの浅漬け生姜風味です。新鮮なブルーベリーの差し入れもありました。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2018年7月1日 主日礼拝メッセージ

「責められるところのない者に」

テサロニケ人への第一の手紙 3章10節~13節、5章23節~24節 金田洋介牧師

先月行われた「熊本きよめ派教会連合聖会」のメッセージから、きよめの転機について学んで参ります。テキストは、パウロがテサロニケ教会に宛てた手紙です。パウロは教会が患難の中でも成長し、他の模範となっていることを喜んでいますが、その一方で幾つかの問題点を指摘しています。特に問題だったことは彼らのきよめのことでした。パウロが不品行を慎むように勧め、警告し(4章)、彼らの信仰の不足を補いたいと日夜祈っている(10節)ことからその深刻さが伺えます。偶像と罪が溢れていたテサロニケは、今日の私たちの環境とよく似ています。神はパウロの祈りの言葉を通して、私たちに語っておられるのです。

Ⅰ.きよめとは

「きよめ」は聖書にある「聖霊のバプテスマ」や「聖霊の満たし」のことです。以前、きよめとは神への完全な明け渡しであると語りました。自我を自らの中心に置くのではなく、聖霊なる神を中心にお迎えするのです。つまり、あなたの心の思いや意思、感情、価値観、行動、問題、罪、性質、性格といった、あなたの全領域に神が介入されることを受け入れるのです。あなたが神の介入を心から願い求めて明け渡すなら、神自ら働いて下さり、きよめの恵みに与ることができ、最後には神の御心と御言葉に従うことのできる者へと変えられるのです。

Ⅱ.責められるところのない者に

さらにパウロは、私たちが責められるところのない者として、神ご自身がきよめを保ち続けて下さると伝えています。きよめられた後も、私たちは生来持つ弱さや、性質、性格の故に、罪の誘惑に襲われることがあります。しかし、きよめに与る者は神の介入を心から受け入れることができ、誘惑があっても罪に支配されず、たとえ過ちを犯してしまっても、常にイエスの十字架の贖いの恵みによって悔い改め、歩み直すのです。そして、責められるところのない者として保ち続けて下さるのです。 きよめの恵みに与らせて下さる神は真実なお方です。真実な信仰をもって神を信じ、全生涯、全領域を神に明け渡し、神に介入していただき、神の御旨に生きるきよめの日々を歩ませていただこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ヘリコニア、スカシユリ、グロリオーサ、アレカヤシです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、炊き込みご飯、ウインナー、かきたま汁です。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2018年7月 背骨コンディショニング・健康体操教室のお知らせ

熊本真愛教会では、2018年7月の背骨コンディショニング・健康体操教室を下記の日程で行ないます。地震以降、からだの不調を訴える方々のために、教会を会場に行っています。腰、肩、首、ひざなど、からだの痛みや自律神経失調症などの様々な不調を、体操によって改善していきます。

参加費は1000円です。先着10名となっておりますので、ご希望の方は教会までお電話でお申し込みください。☎096-389-4539

体操のできる服装でお越しください。

・7月7日(土)午前10:30~

・7月20日(金) 午後7:30~

・7月28日(土) 午前10:30~

インストラクターの指導のもと、体操を教えていただきます。自宅でもできると好評です。

2018年6月24日 主日礼拝メッセージ

「限りない神の愛」

ヨナ書4章1節~11節、エペソ人への手紙3章16節~19節 金田洋介牧師

神はニネベの悔い改めをご覧になり、彼らに対する裁きを思い直されました(3章)。神がヨナに託された預言は成就しませんでしたが、ニネベの人々が神の裁きを免れたことは幸いなことです。ところがヨナは、この結果に不満を爆発させました。ヨナは神が恵み深く憐れみ深いお方であること(2節)を知っていましたが、イスラエルの敵であり、罪深いニネベに神の憐れみが臨んだことに納得がいかず怒ったのです。神は「あなたの怒りは正当なのか」とヨナに問いますが、彼は何も言えず黙っていました。ヨナの複雑な気持ちが伺えます。ヨナは神が何事かをニネベの町に行われるのではないかと期待し、町の様子を眺めていました。すると神は、ヨナを厳しい陽射しから守るために唐胡麻を備えてくださいました。彼はこれを非常に喜びました。ところが、神が備えた虫によって唐胡麻は枯れてしまったのです。唐胡麻を惜しんだヨナはまたもや怒りますが、神はこの怒りに対しても「あなたの怒りは正当なのか」と問われます。さらに神は、ヨナが「労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びた(10節)」唐胡麻でさえ惜しんだように、たとえ善悪の判断がつかないようなニネベの人々であっても、彼らに対する愛と憐みを惜しむことはできないと語られたのです。

ヨナの書は神の問いかけで終わっていますが、限りない神の愛を知ったヨナは、神の内に満ちている憐れみと愛に満たされて、その生涯を全うしたのではないでしょうか。なぜなら、本日ヨナ書とともに開いたエペソ3章16節~19節で、パウロは祈りの中で「神の愛に根ざし、この愛を基として生活することによって(17節)、その神の愛の広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ(18節)、神に満ちているものの全てを守って満たされる(19節)と告白しています。ヨナのように狭く(限定された人だけ)、短く(長続きしない)、低く(神の高い御思いに全く及ばない)、浅い(上辺だけ)かもしれません。イエスの十字架に現された限りない神の愛を知り、その愛に根差し、 愛を基として生きていくなら、神の愛の性質を知ることができるばかりか、その愛に私たちも満たされていくのです。

神の御言葉の約束を信じ、限りない神の愛によって愛の実を広く、長く、高く、深く結ばせていただこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アレカヤシ、カサブランカ、ひまわり、グラジオラスです!

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ご飯、お漬物でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

2018年6月17日 主日礼拝メッセージ

「キリストに仕える者として 」コロサイ人への手紙 3章18節~25節  金田洋介牧師

コロサイ3章には、エペソ人への手紙5章や、ペテロ第一の手紙2、3章でも語られているように、妻、父、子、僕(誰かのもとで働く人)についての勧めの言葉が綴られています。本日はこれらの勧めの言葉とともに、中心聖句の「あなたがたは、キリストに支えているのである」(24節)という言葉に注目したいと思います。

Ⅰ.主に仕えるとは、主と共に生き、主の御言葉に従うこと

主に仕える者とは、主イエスと共に生きる者、主イエスの御言葉に生きる者のことです。それまでは、自分の価値観によるところの人生を歩み、神を無視して自己中心に生きてきました。しかし、私たちはイエス・キリストを自分の救い主と信じる信仰によって主に仕える者、イエスの御言葉、聖書の言葉を土台として、神の御心に従って生きる者にされたのです。パウロは、「妻たる者よ、夫たる者よ、子たる者よ、父たる者よ、僕たる者よ」と呼びかけ、イエスに仕える者に相応しい生き方を教えています。神は私たちが必ず直面する夫婦間、親子間に代表される人間関係に平和をもたらせたいと願っておられるのです。まず、御言葉に対して、普段自分がどのように生き、どのような態度をとってきたかを顧みるところから始めましょう。

Ⅱ.主に仕える者が受ける報い

パウロは主に仕える者が受ける報いを語ります。主に仕える者(イエスと共に生き、イエスの御言葉に生きる者)は「御国をつぐ」(24節)というのです。御国をつぐとは、神の国で永遠に生きる命のことです。さらに、この報いの素晴らしいところは、神の御国が私たちの現実の生活にも現れるということです。御言葉にありますように、あなたの夫婦の間、親子の間、家庭や職場の中に、神の支配による平和と喜びに満ちていくのです。主に仕えることによってもたらされる報いは、生きている間も死んだ後も与ることができる神の祝福です。その一方で、パウロは不正を行う者はその不正に対して報いを受ける(25節)と注意します。不正とは不義とも訳される言葉で、神の前、人の前の正しくない行動や思い、すなわち罪を指します。聖書は、神は善悪ともに裁かれると語り、そこに差別扱いはない(25節)と語っています。

主に仕える者としての日々を歩み、現実と将来にももたらされる報いを頂きましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、カサブランカ、リアトリス、ミニバラ、カラーです!

 

2018年6月10日 主日礼拝メッセージ

「悔い改めたニネベ ~憐み深い神~」 ヨナ書 3章1節~10節  金田洋介牧師

魚の腹から吐き出されたヨナは、神から再び召命を受けます(2節)。以前は神の御顔を避けたヨナでしたが、「主の言葉に従い、立って、ニネベに」かいます(3節)。

Ⅰ.すべてを裁かれる神

ヨナは、ニネベへの神の裁きを叫びました。ニネベの人々からすれば、ヨナを遣わされたイスラエルの神と自分たちとは無関係のように思えるでしょう。これは今日の日本にも通ずることで、「キリスト教は外国の神で、日本には日本の神がいる」との言葉をよく聞きます。しかし、真の神の御前にそれらの理屈は通じません。聖書の神は「人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばく」(Ⅰペテロ 1章17節) 唯一のお方です。聖書は、善悪共に裁かれる神を恐れ(認め、信じ)、その御言葉を守ることこそが人間の本分であることを教えています(伝道の書 12章13節 )。

Ⅱ.悔い改めの姿を見ておられる神

神の御言葉にはたましいを救う力があります。(ヤコブ 1章21節)。ヨナの言葉を聞いた人々は、身分の高い低い関係なく、全ての人が罪を悔い改めたのです。その悔い改めは、行動の伴うものでした。彼らは悪い道から離れ、暴虐と横暴なふるまいを止めたのです。「神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ」(10節)とありますように、神はその悔い改めが真実であるかを見ておられます。神の御前にごまかしは通用しないということです。どうか、私たちの悔い改めが神の御前に真実で、実際の行動の伴うものでありますように。

Ⅲ.ニネベの罪を赦された憐れみ深い神

ニネベの人々の悔い改めをご覧になられた神は、「彼らの上に下そうと言われた災いを思いかえして、これをおやめになった」(10節)。ニネベの悪が大きいことは神ご自身が認めるところでした。(1章)。真の神を恐れず、その行いは強暴に満ちていました。しかし、愛なる神は深い憐みをもってニネベを赦して下さったのです。神は「あわれみと恵みに富み、怒りをおそくし、いつくしみと、まこととに豊かな」(詩篇 86篇15節)お方です。神は聖書の御言葉を通して、常に私たちに語っておられます。日々、御言葉に生き、もしも罪が示されたなら、神の憐れみを求めて御前に悔い改めましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ゆり、トルコキキョウ、ベニバナ、アルストロメリア、あじさいです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、シチュー・オン・コーンライス、きゅうりと昆布の漬物です。このコーンは缶詰でなく、生コーンをご飯と一緒に炊いたものです。お当番さんの「本気」が表れています。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2018年6月3日主日礼拝メッセージ

「主の御前に悔い改めたヨナ」 ヨナ書1章17節~2章10節  金田洋介牧師

預言者ヨナは神からニネベ宣教を命じられますが、神の命令に逆らい、タルシシ行きの船に乗って全く正反対の方向へと逃げてしまいました。しかし、神は大風を起こされ、彼が乗った船は難破しそうになります。この事態を招いたヨナは、自らを海に投げ込ませました。すると大風は止み、海は静かになりました。

海の底に沈んでいくヨナ。その時、「神は大いなる魚を備えて(1章17節)」、ヨナをのませられ、彼は間一髪で神の助けを得たのです。何とか溺れ死ぬことは免れたもののその身は大魚の腹の中、ピンチであることには変わりはありません。その時ヨナは神に祈りました。船が難破しそうになっても、全く祈ろうとしなかったヨナも、神の御前にひれ伏すしかありませんでした。2節以降、ヨナの祈りが詩のように著されていますが、彼が絶望の底に追いやられ、苦しんでいる事が分かります。襲い掛かる大波、光の届かない海の底、そして命は取り留めたものの、魚の腹の中にいる恐怖と孤独。これはヨナ自信が招いたことですが、彼は「再び聖なる宮に上って、主なる神を礼拝したい(4節)」と、神に救いを求めます。心身共に疲れ果てたヨナ。ところがヨナの祈りは一転して、神への賛美へと変わります。それは、彼が主の御前に悔い改めた時、「主をおぼえた(思い出した:新改訳)」からでした。神の何を思い出したのか。それは、神がどのようなお方であり、また、これまで語られてきた、神の御言葉を思い出したのです。ニネベはイスラエルにとっての敵であり、神の御前にも罪深い町でした。神に裁かれて滅びてほしい、それがヨナの本心でした。しかしヨナは、神が悪人の死を喜ばず、むしろ悪人がその道を離れて生きることを喜ぶ(エゼキエル23章11節)、愛と憐みに満ちたお方であることを悟ったのでした。ヨナが神に与えられた使命を思い起こして立ち上がった時、神は魚に命じて彼を陸へと吐き出させたのです(10節)。

私たちもヨナのように、自分が神の御前に不従順であると気付いていながら、「あの人こそ悔い改めるべきだ」と裁き、また、そのような罪深い自分に何度も失望し、遂には悔い改めることをさえ躊躇してしまうことがあります。その時は心を鎮め、主なる神を覚える(思い出す)のです。神の御言葉の光に自らを照らし、悔い改めるべきは神の御前に告白し、神の御心にかなう日々を歩ませていただきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アナベル(西洋あじさい)、ゆり、モナルダ、ソリダコです!

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週はカレーライス、高菜漬、お土産のうなぎパイでした。料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2018年6月 背骨コンディショニング・健康体操教室のお知らせ

熊本真愛教会では、2018年6月の背骨コンディショニング・健康体操教室を下記の日程で行ないます。地震以降、からだの不調を訴える方々のために、教会を会場に行っています。腰、肩、首、ひざなど、からだの痛みや自律神経失調症などの様々な不調を、体操によって改善していきます。

参加費は1000円です。先着10名となっておりますので、ご希望の方は教会までお電話でお申し込みください。☎096-389-4539

体操のできる服装でお越しください。

 

・6月15日(金) 午後7:30~

・6月30日(土) 午前10:30~

インストラクターの指導のもと、体操を教えていただきます。自宅でもできると好評です。