投稿者「mayumi」のアーカイブ

2018年4月22日(日)イースターまつりのお知らせ

熊本真愛教会では、下記の日程でイースターまつりを行ないます。イースターのお話しはもちろん、教会の子どもたちによるミュージックベル演奏や、的あて、ビンゴゲーム、くじびき、手作りパフェやたこやきなど、たくさんのイベントやおやつを準備してお待ちしています。お子様向けのイベントですが、どなた様でもご参加いただけます。ご一緒にイースターをお祝いしませんか?すべて無料です。

※未就学児は保護者同伴でお願いします。

日時:4月22日(日) 午後1時30分より

場所:熊本真愛教会にて

http://church.ne.jp/kumamoto-shinai/wp/wp-content/uploads/2018/04/イースターまつり2018チラシ.pdf

何が当たるかな?
くじ引きコーナー

盛って、盛って…手作りパフェコーナー

大人気!ビンゴゲーム大会

2018年4月1日 主日礼拝メッセージ

「よみがえられたキリスト」  ルカによる福音書24章1節~12節  金田洋介牧師

イースターおめでとうございます。復活されたイエスの御名を賛美します。世界中で祝われるイエスの復活は、私たち一人一人に関わる大切な出来事です。

イエスが十字架の上で死なれてから三日目の朝、女弟子たちは香油を持って、イエスの納められた墓へとやってきました。この墓は、イエスの弟子であったアリマタヤのヨセフの所有する墓でした。ところが、墓の入り口を塞いでいた大岩が除けられ、中にあるはずのイエスの身体が無くなっていたのです。女たちが途方にくれていると、突然、神の御使いが現れて言いました。「あなた方は、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。」(5~6節) 女たちはかつてイエスが語られた言葉を思いだし、仲間たちの許へ帰り、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの人に報告…(9節 )しました。ところが、十一弟子や他の仲間や他の仲間たちは信じることができませんでした。これが、ルカが記したイースターの朝に起きた出来事です。

ここで注目すべきは、女弟子たちが「言葉を思い出し(8節)」、イエスの復活を信じたということです。そして、その信仰は彼女たちに喜びと希望をもたらしました。彼女たちの心を覆っていた悲しみは喜びに、絶望は希望に変えられたのです。後にも先にも、主の御言葉を信じることが大切であることを私たちに教えています。私たちはこの目で復活されたイエスを見ることはできませんが、聖書を通してイエスのご人格に触れ、お姿を見、イエスの御言葉を聞くことができます。イエスは言われました「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。」と。イエスを信じる者には罪の赦し、罪の裁きである永遠の滅びからの救い、そして永遠の命が与えられると約束下さいました。それこそが、よみがえられたイエスを信じる者に与えられる喜びと希望なのです。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来て下さった」という言葉は、確実で、そのまま受け入れるに足るものである。(テモテ第一の手紙 1章15節)

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、キイチゴ、ゆり(コンカドール)、デルフィニウム、ストックです。

今日はイースター礼拝でしたので、ちょっと豪華なお弁当でした。お吸い物、イースターエッグ、長崎のお土産のカステラもありました。

今日の午後は、熊本真愛教会納骨堂(桃尾墓園)にて、墓前礼拝でした。

2018年4月 背骨コンディショニング・健康体操教室のお知らせ

熊本真愛教会では、2018年4月の背骨コンディショニング・健康体操教室を下記の日程で行います。地震以降、からだの不調を訴える方々のために、教会を会場に行っています。腰、肩、首、ひざなどのからだの痛みや自律神経失調症などの様々な不調を、体操によって改善していきます。参加費は1000円です。先着10名となっておりますので、ご希望の方は教会までお電話でお申し込みください。096-389-4539

体操のできる服装でお越しください。

 

・4月7日(土) 午前10:30~12:00

・4月13日(金) 午後7:30~9:00

・4月21日(土) 午前10:30〜12:00

・4月28日(土) 午前10:30〜12:00

 

インストラクターの指導のもと、体操を教えていただきます。自宅でもできると好評です。

2018年3月25日 主日礼拝メッセージ

「十字架の上のイエス」  ルカによる福音書23章32節~49節   金田洋介牧師

今年も受難週を迎えました。受難週は私たち一人一人の罪の為に十字架へと向かわれたイエスの受難を深くを覚える大切な時です。本日は特に十字架の上のイエスの姿から学んで参りましょう。

第一に、十字架の上で祈られたイエスの姿です。イエスは十字架の上で七つの言葉を語りました。その最初の言葉は「父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。(34節) これは神への祈り、しかもイエスを十字架へと追いやり、イエスの心と体を痛めつけた者たちの為のとりなしの祈りでした。さらにこの祈りは、神に、イエスに、周囲の人々に罪を犯していながら「わからずにいる」私たちに対する祈りでもあるのです。

第二に、神の御心に従順であられたイエスの姿です。十字架の上のイエスに向かい「自分を救ってみよ」と罵る者たちがいました。この言葉はイエスにとって大きな誘惑でした。何故なら、神の御子イエスにはそれが容易にできたからです。しかし、十字架から降りるということは、全人類の罪の身代わりになるという神の御心に背くことになってしまいます。イエスは愛する神の御心に従い、また、愛する私たちのために十字架の上で苦しまれたのです。

第三に、罪を許す権威を持つイエスの姿です。十字架の上のイエスの姿を見た犯罪人の一人は、イエスの正しさと自分の犯した罪を認め、イエスこそ来るべき救い主であることを告白しました。イエスは彼の信仰告白を聞かれ、罪の赦しと救いを宣言されました。イエスこそが罪を許す権威を持っておられる神の御子であり、神ご自身です。

十字架の上でイエスは、私たちの罪の為に苦しみ、悶えられ、神に捨てられるという絶望を味わわれました。神の御子イエスを十字架につける程に私たちが罪深いこと、このイエスの犠牲によって私たちが救われたことを心に深く覚え、心から感謝しましょう。『神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。』

3月18日と25日の講壇のお花、愛さん会メニューの写真をお載せします。

3月18日のお花はゆり、レンギョウ、アルストロメリアでした。

3月25日のお花は、やまぶき、きく、アルストロメリアでした。

3月18日の愛さん会メニューは、シチューオンライスでした。東京から帰省した大学生のお土産もありました。

3月25日の愛さん会は、進学・進級バーベキュー会でした。3月とは思えない暖かい(暑い?)日差しの中での、楽しいランチタイムでした。

2018年3月11日 主日礼拝メッセージ

「恐れることはない、ただ信じなさい」 マルコによる福音書5章21節~24節、35節~43節

ヤイロという会堂管理人が助けを求めてイエスの許にやって来ました。彼には病で死にかけている娘がいました。ヤイロは「娘に手を置いてくださればいやされる」と半ば強引にイエスを連れ出します。彼の必死な思いは理解できます。しかし、イエスの力を信じつつも、「イエスが来てくださらなければダメだ」と彼自身の中で無意識にイエスの力を制限してしまっています。福音書に出てくるある信仰者は、「イエスの言葉だけいただければそれで十分です」と告白し、その信仰の通りになったことが記されています。ともすれば、私たちの信仰もヤイロのようにイエスの御心を無視して、自分の思いや都合ばかりをぶつけているような信仰かもしれません。問題が大きければ大きいほど、切羽詰まった状況に追い込まれれば追い込まれるほど、神がどのように思い、どのような計画を持っておられるのかなど、考えられないのが私たちの姿ではないでしょうか。しかし、ヤイロの精一杯の信仰と、必死な叫びにイエスは応えてくださったのです。イエスは憐れみ深いお方です。

ところが、家に向かう途中で娘の死を知らされ、ヤイロは絶望へと追いやられます。しかし、イエスは「恐れることはない。ただ信じなさい。(今、恐れるのを止めて、信じ続けるのです)」とヤイロの信仰を励まされました。イエスは信仰を励まして下さるお方です。

すでに死んでしまったヤイロの娘。泣き悲しむ人々の姿がヤイロの信仰を再度揺さぶります。 しかし、イエスは彼女を眠りから起こすように生き返らされたのです。イエスにできないことはありません、イエスは全能のお方なのです。

イエスはヤイロに寄り添い、深く憐み、信仰をを励まし続け、その全能の力をもって彼の娘を甦らせて(救って)下さいました。ここにイエスを信じることの素晴らしさを思わされるのです。すぐに疑い、呟き、諦め、信じることを 放棄してしまう私たちにイエスは「恐れることはない、ただ信じていなさい」と言って下さいます。このイエスの言葉を信じ抜いた先に、神が私たちの現実に生きて働いておられることをハッキリと体験できるのです。恐れずに信じ続けましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、啓翁桜(けいおうさくら)、金魚草、カサブランカです。

 

2018年3月4日 主日礼拝メッセージ

「ルツの生涯~ 呪われた民から救い主の系図へ~」 ルツ記4章13節~17 節 金田洋介牧師

Ⅰ.ルツの婚活 ~ナオミに従うルツ~(3章)
ナオミはイスラエルの神を信頼し、また自らを慕ってついて来たモアブ出身の嫁ルツの幸せを願い、ボアズとの結婚を勧めます。彼女がそう考えたのは、ボアズが夫エリメレクの土地を「買い戻す権利」を持つ、有力な親戚の一人だったからでした。「買い戻す」とは、神がイスラエルの民それぞれに割り当てられた土地が持ち主の手から離れ、さらに持ち主が買い戻せない場合、持ち主に一番近い親戚が代わりに犠牲を払って(贖って)買い戻さなければならないという神の命令です(レビ記25章23節~25節)。ルツはナオミの指示に忠実に従い、ボアズに「買い戻しの権利」があることを伝え、ルツ自身も含め、全てを神の判断に委ねました。

Ⅱ.ボアズの買い戻し(贖い)
ボアズは自分よりもエリメレクに近い親戚に「買い戻し」の責任を果たすかどうかを確かめます。その親戚は買い戻す意思を見せますが、モアブの女ルツを妻として迎え、彼女の夫マロンの名とその土地を残すまでの責任を負うことはできませんでした。一方ボアズは、大きな犠牲が伴いつつも親戚としての義務を果たすことと、ルツを妻として迎えることを宣言したのです。ルツはイスラエルの民として生き、割り当て地をその子孫に継承できる身分をいただいたのです。

Ⅲ.呪われた民から救い主の系図へ
ルツの先祖モアブの民はイスラエルを呪う事により、神の民の集会や関わりから断絶されました(申命記23章3節~4節、民数記22章~24章、創世記12章3節 )しかし神は、ボアズを通してモアブ人ルツを贖い、彼女は呪われた民から神の民とされ、さらには救い主の系図に加えられます(マタイ1章)。そして、彼らの子孫からダビデが生まれ、救い主イエスが誕生するのです。

神はルツの生涯を通してどのような人でも救われる望み、神の民となる恵みが与えられることを教えています。神は、今を生きるあなたのために、神の御子イエスの命を犠牲としてあなたを贖い、罪と滅びから救い、神の国の民としてくださいます。『主イエスを信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われます。』

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、コデマリ、スターチス、オリエンタルゆり、カーネーションです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ごはん、ふりかけです。料金は大人250円、中学生150円、小学生100円です。初めての方は無料です。(^_-)-☆

 

2018年2月25日 主日礼拝メッセージ

「ルツの生涯~ 御翼の下に身を寄せて~」 ルツ記2章1~13節 金田洋介牧師

1.愛を動機として生きたルツ
ルツは姑ナオミと共にナオミの故郷へとやってきましたが、二人の現実はとても厳しいものでした。ルツは糧を得るために、畑に落穂拾いに出かけます。一人分を拾うだけでも大変な上、彼女はモアブから来た身ですから不安もあったでしょう。しかし彼女は、愛する姑ナオミの為に立ち上がったのです。この愛を動機とした彼女の行動に神は報いられ、ナオミの夫エリメレクの親戚であるボアズの畑へとルツを導かれます。神の深いご計画の始まりでした。

2.今できることに忠実に生きたルツ
辛く地道な労働にもかかわらず、ルツは朝から少しも休まず懸命に仕事に励みました。すると、畑の主人ボアズの目に留まります。ボアズはルツが置かれている状況を知りました。また、彼女の忠実な姿勢に心を打たれ、彼はルツに親切を尽くしたのです。誰が見ていなくても、忠実に生き、誠実に歩み、精一杯の努力を尽くす行いを神は見ておられるのです。

3.周囲に対して謙遜と感謝を持って生きたルツ
ルツはボアズの親切に対して心からの感謝を表しました。彼女は自分の身をわきまえつつ、受けた親切と与えられた行為に対する感謝の思いでいっぱいだったのです。ボアズは神の御翼のもとに身を寄せたルツの祝福を祈りました。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを用意しておられる方です。

4.神を信じ信頼して行きたルツ
神は愛を動機とし、忠実に、謙遜と感謝に生きたルツを祝福されました。しかし彼女の祝福は、ナオミが信じた唯一真の神を「私の神」と告白し、信頼する決断をした瞬間から始まっていたのです。
神の御翼のもとに身を寄せた(神を信頼して全てを任せた)ルツのように、あなたもあなたの人生の全てを唯一の神にお任せしませんか?神はあなたを愛を動機に生きる者、どんなことにも忠実に、謙遜と感謝の心で生きる者にしてくださるばかりか、あなたの思いを超える恵みと祝福に与らせてくださるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、桃、ゆり、ストックです。

2018年2月18日 主日礼拝メッセージ

「神を捨てる民、民を捨てない神」 士師記2章6節~23節  金田洋介牧師

ヨシュアの次の時代は、さばきづかさと呼ばれる士師たちの時代です。カナンの地へと踏み入れたイスラエルは相続地を得ますが、攻め取る地はまだ残っており、戦い続けなければなりません。ところが、ヨシュアや彼と共に神のみわざを見てきた長老たちが召されると、民は神の命令に背き、その地に住む人々と共存するという誤った選択をしてしまいます。かつて神がヨシュアを通して警告していたように(ヨシュア記23章13節)、これがイスラエルにとって「罠」となります。

Ⅰ.神を捨てる民

イスラエルの人々は主の前に悪を行い、もろもろのバアルに仕え、かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、他の神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りをひき起こした(11~12節)。神の命令に従わず、そして、かつて申命記(6章4~9節)において与えられた戒めや教えに対する不徹底が苦境を招き、民は「その敵に立ち向かうことができず…ひどく悩まされ」てしまいます 。(14~15節)

Ⅱ.民を捨てない神

 自業自得のイスラエル。しかし、神は民を見捨てません。その時主はさばきづかさを起こして、彼らをかすめ奪う者の手から救い出された(16節)。 神は士師を遣わし、民を救ってくださったのです。ところが民は、他の神々を慕い偶像礼拝を止めません。士師がいる間は神に仕え、士師が死ぬと再び神に背くのです。この神のみことばとご命令に対する妥協と曖昧な生き方が、民を苦悩と苦境へと追い詰める結果になるのです。しかし神の愛は、イスラエルの民がどんなに背いても見捨てず、憐み、やがて御子イエスの血で贖い救ってくださったのです。

イスラエルの民の姿は他人事ではありません。私たちも自らの信仰生活を顧みたいのです。 悪魔は私たちを神の許から引き離そうと試みてきます。御言葉に対する不信仰、不徹底、妥協へと誘うのです。しかし、どんなに悪しき力が働いても、キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことはできません。御言葉を信じ、神の愛に、イエスご自身に、御霊の助けによって留まり続けましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、コデマリ、アマリリス(シンコーレッド)、ストックです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(楽しく美味しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、カレーライスとお漬物です。
料金は大人250円、中学生150円、小学生100円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

2018年3月 背骨コンディショニング・健康体操教室のお知らせ

熊本真愛教会では、2018年3月の背骨コンディショニング・健康体操教室を下記の日程で行います。地震以降、からだの不調を訴える方々のために、教会を会場に行っています。腰、肩、首、ひざなどのからだの痛みや自律神経失調症などの様々な不調を、体操によって改善していきます。参加費は1000円です。先着10名となっておりますので、ご希望の方は教会までお電話でお申し込みください。(096-389-4539)。体操のできる服装でお越しください。

・3月1日(木) 午後7:30~9:00

・3月24日(土) 午前10:30~12:00

・3月31日(土) 午前10:30〜12:00

※3月11日(日)午後1:30〜3:00 無料の背骨矯正ボランティアがあります。詳しくは↓をご参照ください。
http://church.ne.jp/kumamoto-shinai/wp/?p=515

インストラクターの指導のもと、体操を教えていただきます。自宅でもできると好評です。

2018年2月11日 主日礼拝メッセージ

「我が家と我は主に仕える」  ヨシュア記24章1~24節  金田洋介牧師
モーセの後継者としてイスラエルを導いてきたヨシュアも老人になりました。彼の人生はまさに戦いの人生でしたが、神が彼と共におられたゆえに勝利することができました。部族ごとに相続地を割り当てたヨシュアは、自分の使命が終わりに近づいていることを悟り、全イスラエルを呼び集めて神の言葉を告げました。神はヨシュアを通して、イスラエルの歴史においてなされた神のみわざを振り返らせます。アブラハムをその父テラのもとから連れ出し、真の神に仕える者としてくださり、彼の子孫を増し加え(2~4節)モーセとアロンを遣わし、数々の奇跡の業でエジプトを脱出させ(5~7節)ヨルダン川東岸における戦いに勝利を与え(8~10節)ヨルダン川を渡らせ(11節 )約束の地征服について(11~13節)語られました。イスラエルの歴史から、彼らの勝利と成功が一つとして彼ら自身の力によってもたらされたものではないことがわかります。ヨシュアはこれらのことを踏まえ、イスラエルの民に決断を迫ります。『いま、あなた方は主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって主に仕え、 他の神々を除き去って、主に仕えなさい。もしあなたがたが主に仕えることをこころよしとしないならば、… あなた方の仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、私と私の家とは共に主に仕えます。』(14~15節 )ヨシュアは誠実の限りを尽くしてくださった神への真摯な応答を民自身の選択と決断に委ねつつ、彼自身の決断を明確にしました。神は「きょう、何に仕えるか」を私たちに迫っているのです。

すでに私たちもアブラハムのように偶像礼拝の中から救い出され、真の神を礼拝する者とされましたが、神がヨシュアを通して「きょう」仕える方を決断するよう迫られたように、私たちも常に「きょう」という日に、信じ仕えるべき方を告白し続けるように迫っておられます。神の御力を目の当たりにしながら神に背き続けたイスラエル、イエスの御側にいながら彼を裏切ってしまった12弟子の姿を私たちは知っています。「自分は大丈夫」ではなく、主にあってこそ「我が家と我は主に仕えます」と日々新たな思い出告白し続ける者とならせていただきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、キイチゴ、テッポウユリ、ストック、スプレー菊、金魚草です。

礼拝後には、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週は礼拝後に教会総会があり、時間短縮のためお弁当を注文しました。たまにこういう日があります。