もしもキリストが、見守って下さらなかったら

私も守って下さらなかった、私は罪の深みに溺れて死んでしまっていたことであろう。キリストは過ぎ
し30年を私を守りただしました。主は私の良い羊飼いでです私も主牧場の中で一頭の小さき羊であることを許されたのである。私は主羊飼いの御声を知り、その御声だけにしたきた(ヨハネ
私も私の家族も共にサタン(悪魔)の餌食となってしまっていた10:1〜18、特に4節と11節参照)。でも良い羊飼いが私を見守って下さらなかったならば、あろう。そうしてとうの昔に、滅びてるしまってるいかたことかで
あろう。私は、主と主の御名とは限らないほめたてる。アーメン。
(これは今から40年前、私が月刊「聖書の友」に載せたものである。今日はばしば色々な誘惑に負けてしまった人の見聞きするとき、キリスト によって生きる人生を送るならサタンの餌食にならないでむむのに思って得ることなく)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です