主の思いと私たちの思い~使徒1:4-8

同じ物事を見ていても感じ方、受け止め方などの反応はひとりひとりで違うことがあります。主の思いと私たちの思いもまさにそのような違いがあることがあります。
 聖書を見ていくとイエス様と弟子達のやりとりが多く出て来ます。その中でイエス様は霊的な救いについて、それも世界中の人々が福音を聞き、主の弟子となることを望んでおられるのに弟子達はイエス様がもっと政治的意味合いでの改革を進めてくださることを期待しているかのような会話があります。ローマの支配を受けていた当時の背景を考えるとそのことも多くの人々にとって大切な関心事であったことは考えるのに難しくありません。しかし、人々の期待にそのままイエス様は応えられませんでした。イザヤ書に天が地よりも高いように主の思いは高くとあります。あさに神様の思いやご計画は私たちの想像の遙か上をいくものです。
 主の不思議な導きに従って歩むには信仰が必要です。信仰を言い換えるならば信頼とも表現出来るでしょう。主を信頼するならばたとえ先が見えないところを歩むとしてもその手をしっかりと握り、その声に従っていくならば大丈夫です。主が私たちの導き手であり、助け主であることをいつも覚えて祈り、主の御声に従順していく者となりましょう。

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