聖書箇所:ネヘミヤ記9章6-38節

説教題:『神の真実と祈り』

説教者:堀浩史牧師(北国分キリスト教会牧師)

ネヘミヤ記第9章6節から37節に記されたイスラエルの民の祈りは、神の真実を土台とする悔い改めの模範を示しています。

この祈りは、まず天地創造から始まります。彼らは、救いの歴史以前に、神が天地と万物を創造された絶対的な主権者であることを賛美するのです(6-7節)。この無限なる神が、アブラハムを選び、約束を与えられたという前提(8節)を確立することで、その後のすべての歴史と約束が、宇宙的な権威を持つ神の計画に基づいていることを宣言しています。これが、祈りの土台です。

続く歴史の回顧(9-32節)は、出エジプトからカナン定住、士師、王政、そしてアッシリア・バビロンによる捕囚と、エルサレムへの帰還に至るまで、イスラエルの道のりを包括的に捉えています。この長い歴史において、民は絶えず神に背き、不従順であり続けました。しかし、その不従順の時代においてさえ、神は一貫して約束に忠実な方であり続けられました。

祈りの要点を象徴するのが、この部分で繰り返し告白されている神の御性質です。特に17節の「あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かであられ、彼らをお捨てになりませんでした」という言葉は、アブラハムに与えた約束(契約)を守り続ける神の「真実さ」の具体的な現れです。

そして、祈りの主題は33節に集約されます。それは、「あなたは真実を行われましたが、私たちは悪を行った」という、神と民との決定的な対比です。イスラエルの民は、今の自分たちが苦難の中にいる状況を、神の不誠実や無力によるものと捉えません。そうではなく、「神は常に義と真実を行われた。私たちが悪を行い、不従順であったからこそ、この状態にある。これは神の正しい裁きである」と受け入れているのです。

この祈りの特徴は、人間の「反省文」で終わっていない点です。「これからは従順になります」という人間の決意を最終的な結論とせず、「あなたは真実、私たちは不従順」という告白で留めている点です。このように、神の真実さに目を留め、私たち自身の不従順さを思い起こして祈ることが、悔い改めの祈りには不可欠なのです。

私たちの日常生活も、神の約束を忘れ、不従順であったイスラエルの民の歴史と何ら変わりません。だからこそ、私たちは、イエス・キリストにおいて全ての約束が「はい」となったという神の究極的な真実(第二コリント1:20)に信頼し、神の素晴らしさを賛美する礼拝へと導かれるのです。私たちも神の御前に悔い改めて祈り、神の真実さを賛美し、御前に礼拝をおささげしてまいりましょう。