聖書箇所:テサロニケ人への手紙第一2章17節~20節
説教題:『望み・喜び・誇りの冠』
おはようございます。本日は、テサロニケ人への手紙第一2章17節から、パウロが愛するテサロニケの信徒たちに抱いた熱い思いについて、共に見ていきたいと思います。この箇所は、人生における別れと再会の希望について教えてくれます。
1. 「孤児にされる」ほどの深い愛
まず、第一テサロニケ2章17節をお開きください。
「兄弟たち。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されていました。といっても、顔を見ないだけで、心が離れていたわけではありません。そのため、あなたがたの顔を見たいと、なおいっそう切望しました。」
ここで「引き離された」と訳されているギリシア語の原語は、απορφανισθέντες(アポルファニスゼンテス)です。これは「孤児にされる」という意味を持つ、非常に強い感情的な言葉です。
パウロがこの言葉を選んだのは、テサロニケの信徒たちとの別れが、彼にとって、まるで愛する我が子を奪われた親のような、深い喪失感と悲しみであったからです。テサロニケでの伝道はわずか三週間でしたが、聖霊の働きを通して、彼らとの間に親子のようにも思える深い絆が築かれました。
しかし、パウロは悲しみに沈んだのではありませんでした。彼は「顔を見ないだけで、心が離れていたわけではありません」と語り、物理的な距離を超えた、心と心の深い絆があることを力強く告白しています。真の愛の絆は、距離によって断ち切られるものではないことを、私たちは改めて教えられます。
2. 諦めない愛とサタンの妨害
次に、2章17節後半から18節を見ていきましょう。
「…あなたがたの顔を見たいと、なおいっそう切望しました。それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。私パウロは何度も行こうとしました。しかし、サタンが私たちを妨げたのです。」
パウロは、何とかして彼らに再会しようと繰り返し努力しました。しかし、その都度、迫害や旅の困難が立ちはだかり、願いは叶いませんでした。パウロはこれらの困難を「サタンの妨害」と表現しています。これは、福音の働きには常に、神の力と、それに敵対する霊的な力が存在するという、彼の信仰的な認識を示しています。
しかし、パウロは諦めませんでした。真の愛は、多少の困難が重なったくらいで、簡単に諦めるものではないことを、私たちは彼から学ぶことができます。
3. 永遠の再会と「望み・喜び・誇りの冠」
最後に、2章19節の御言葉です。
「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったい誰でしょうか。あなたがたではありませんか。」
パウロは、この地上での再会を超えた、永遠の再会の希望を語っています。主イエス様の再臨の時、愛するテサロニケの信徒たちと、神様の御前で再会できる。この時こそが、真の再会の時なのだと、彼は確信を込めて語っています。
ここで「冠」と訳されるギリシア語は、στέφανος(ステファノス)で、競技の勝利者に与えられる栄冠を意味します。それは、長年の訓練と努力、そして卓越した成果を認める最高の栄誉の象徴でした。
パウロは、自分の使徒としての労苦が、この愛する兄弟姉妹たちによって報われると語っているのです。彼らが信仰に堅く立ち続けることこそが、パウロにとって最高の勝利であり、望み・喜び・誇りの冠だったのです。
2章20節で、パウロは次のように締めくくっています。「あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。」
私たちも、この永遠の希望を胸に、私たちを愛し、祈り続けてくれた人々にとっての「望み・喜び・誇りの冠」となることを目指して、信仰に堅く歩み続けていきたいと願います。
お祈りをいたします。
