説教箇所:ヘブル人への手紙2章14−18節
説教題:『試みを受けた大祭司』
1. はじめに:クリスマスの真の意味
通常のクリスマス礼拝では、マリアへの受胎告知や東方の博士の来訪など、誕生の情景が語られます。しかし、本日はヘブル人への手紙2章14節〜18節を通し、神の独り子であるイエス・キリストが「なぜ」肉体を持ってこの地上に降り立たれたのか、その受肉の目的と意味を深く掘り下げます。
2. 「血と肉」を持つことの意味
聖書は、子たちが血と肉を持っている(=人間が肉体を持っている)ので、イエス様も同じようにそれらをお持ちになったと記しています。これが「受肉」です。全能の神であれば、天から光を放って救うこともできたはずです。しかし、主があえて不自由な肉体を持たれたのは、「死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するため」でした。私たちは「愛されるため」に生まれてきましたが、イエス様は「私たちに愛を届けるために、ご自身の命を与えるため」に生まれ、歩み、死なれました。その具体的な目的は、大きく分けて二つの点に集約されます。
3. 第一の目的:たしかな罪の贖いの完成
第一に、イエス様は「あわれみ深い、忠実な大祭司」となるために人となられました。
旧約時代の大祭司は、自らも罪人であり、自分のためにも犠牲を捧げる必要がありました。しかし、イエス様は「すべての点で兄弟(人間)と同じ」になりながらも、生涯を通じて一切の罪を犯さず、父なる神への完全な従順を貫かれました。
荒野での誘惑やゲツセマネの祈り、そして十字架の苦しみの中でも、主は神への服従を全うされました。この「完全な義」こそが、私たちの罪を宥める(なだめる)根拠となったのです。罪人である私たちは、肉の弱さゆえに律法を全うできませんが、罪のないキリストが肉体をもって刑罰を身代わりに受けられたことで、私たちは死の裁きを免れ、義と認められる道が開かれました。
4. 第二の目的:あわれみ深い共感者となるため
第二に、イエス様が試みを受けられたのは、「試みられている者たちを助けるため」でした。
誘惑や試みは、それに抵抗する力があるほど苦痛を伴います。イエス様は神の子としてその苦難を避ける力がありながら、あえて人間としての弱さを引き受け、葛藤と苦しみを経験されました。
したがって、主の憐れみは単なる同情ではなく、「経験に基づいた深い共感」です。私たちが弱さに悩み、失敗を恐れるとき、イエス様は「私もその苦しみを知っています」と寄り添ってくださいます。主は遠い天から裁く方ではなく、私たちの痛みを身をもって知る「あわれみ深い大祭司」として、共に歩んでくださるのです。
5. 結び:主の招きに応える
イエス様は、正しい人を招くためではなく、医者を必要とする病人、すなわち罪人を招くために来られました。私たちは自分の弱さを隠す必要はありません。
クリスマスは、この圧倒的な神の愛を再確認する日です。イエス様が肉体を持って生まれてくださったからこそ、私たちは罪と死の恐怖から解放され、真の慰めを得ることができます。この大きな愛と贖いの恵みを、ぜひご自身のものとして受け取ってください。
