「イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。」
マルコの福音書 1:35
『……また主イエスご自身がそうであったように、きわめて孤独な霊的生活を確保することを求められる。それは、しばしば厳しい戦いの場となる。しかしまた、それは深く神と対話する慰めと平安の場でもある。……魂への配慮は、こうした孤独の生活、御言葉と祈りに生きる、ただひとりとなる場所を与えられてこそ可能になるのである。』(『福音主義神学における牧会』,いのちのことば社,p82より引用)「魂の配慮」は言い換えれば「牧会」ということになりますが、普通、これは人と関わり、相手をよく知っている人にしか出来ないと想像します。しかし、それだけでも不十分です。弟子たちを教え、豊かに養われたイエス様(大牧者)は、ひとりで父なる神様と交わる時をとても大切にしておられました。(マタイ14:23、ルカ6:12)日々、祈りと御言葉の時間を聖別したいと思います。
