聖書箇所:ネヘミヤ記13章1〜9節

説教題:『神聖を取り戻す』

説教者:堀浩史牧師(北国分キリスト教会)

1. 聖さの本質:神に属すること

ネヘミヤ記13章は、城壁再建という偉大な事業が完了し、神との契約更新や礼拝の回復が成し遂げられた「その後」の現実を描いています。1節では、モーセの律法が朗読され、アンモン人とモアブ人を神の集会から排除すべきことが再確認されました(申命記23:3-6)。
この排除の理由は単なる血統の問題ではありません。かつて彼らがイスラエルの救いの業に敵対し、呪おうとした「神への敵対心」が問題視されているのです。一方で、モアブ人でありながら神への信仰を告白したルツがキリストの系図に連なった事実は、「聖さ」とは単なる清潔さではなく、「神に属し続けること」であることを示しています。聖なる民とは、神の側に立つ者のことなのです。

2. 忍び寄る不純物:大祭司の妥協

しかし、ネヘミヤが一時的にバビロンへ帰還している間に、エルサレムの内側では信仰の変質が始まっていました。驚くべきことに、かつて城壁再建を妨害した仇敵トビヤが、神の宮の一室を私物化していたのです。これを手引きしたのは、神殿の管理を任されていた大祭司エルヤシブでした。
エルヤシブはかつて率先して城壁を聖別した指導者でしたが、世俗的な人間関係(トビヤとの親交)を優先し、神聖な場所を世俗の利便に供してしまいました。聖なるものと世俗的なものを「混ぜてしまう」こと、これこそが神の神聖を著しく汚す行為でした。不純物が混じった状態では、もはや神聖を保つことはできません。

3. 徹底的な聖別:ネヘミヤの改革

エルサレムに戻ったネヘミヤは、この惨状に「大いに気分を害し」、断固とした処置を取ります。トビヤの家財をすべて放り出し、部屋をきよめさせ、本来あるべき奉納物を再び納めさせました。また、民も混血の者を切り離しました。
ここから学べるのは、神の神聖を取り戻すためには「徹底的な対応」が必要であるということです。神の聖さは、この世から完全に切り離された領域であり、一部の妥協も許されません。ネヘミヤの怒りは、神の宮が汚されたことへの義憤であり、信仰の純粋性を守るための戦いでもありました。

4. 適用:神の前に立ち続ける

なぜ民はこれほど短期間(数年程度)で崩壊してしまったのでしょうか。それは、彼らの信仰がリーダーであるネヘミヤという人間に依存していたからです。
現代のクリスチャンにとって、私たち自身が「神の宮」であり、聖霊の住まいです(1コリント3:16)。私たちの心の中に、神の神聖と世俗的な価値観を混ぜ合わせてはいないでしょうか。信仰が内側から崩れないためには、特定の誰かに依存するのではなく、自分自身が神の前に立ち続けることが不可欠です。
聖さを保つのは、人間の努力や意志の力だけでは不可能です。私たちが日々神の前に静まり、主を仰ぎ見るとき、神ご自身が私たちを「聖なるもの」へと造り替えてくださいます。自らの内にある「トビヤの家財」を放り出し、神の聖域を回復する歩みを共にしてまいりましょう。