投稿者「mayumi」のアーカイブ

2020年1月17日 主日礼拝メッセージ

「あなたから離れません~エリシャの決心」Ⅱ列王記2章1~14節 金田洋介牧師

 エリヤの後継者として、神が選ばれたエリシャ。彼は常にエリヤと共に行動し、従ってきました。師であり、先輩であり、同労者でもあるエリヤを尊敬し、慕っていたであろうエリシャ。ところが、別れの時は突然にやって来ました。

Ⅰ.エリヤとの最後の旅

エリヤは神の導きに従って最後の旅に出かけます。彼はエリシャに留まるよう命じますが、「決してあなたから離れません」と聞きません。エリヤが去った後の不安や恐れがあったのではないでしょうか。やがてヨルダン川に着くと、エリヤは自分の外套を丸め、川を打ちました。すると川が左右に分かれ、二人は渇いた地を渡って行きました。エリシャはモーセやヨシュアと同じ様に、エリヤにも働かれる神の御力を見たのです。

Ⅱ.エリシャの望み

ヨルダン川を渡るとエリヤは「何をしてほしいか」とエリシャに尋ねます。するとエリシャは「あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と答えます。この望みは、長子が父親の財産を相続する場合に、他の兄弟の2倍を受けるという、神の律法を基にしています。つまり、エリヤの正式な後継者として、エリヤが神から受けた権威と聖霊の賜物を受け継がせてほしいという願いを意味しているのです。しかしエリヤは、自分が地上を去ることを見ることができたら、与えられるであろうと、全てを握っておられる神に委ねました。

Ⅲ.エリシャと共におられる神

別れの瞬間は突然やって来ました。火の戦車と馬が二人の間を分け、エリヤはエリシャの目の前で竜巻に乗って天に上って行ってしまったのです。エリシャは残されたエリヤの外套を取って川を打つと水は左右に分かれ、来た時と同じように渇いた地を渡りました。エリヤと共におられた力ある神が与えられたばかりか、神ご自身が共におられることを確信したエリシャ。きっと「これからは、神であるあなたから離れません」と強く決心したことでしょう。

エリシャの神はあなたの神です。あなたが神に願うなら、あなたが心から敬う、敬虔で忠実な兄弟姉妹、信仰の篤い父や母のように、あなたにも霊の賜物を与えて下さいます。信じて大胆に願い求めようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ネコヤナギ、ユリ、トルコキキョウ、オンシジュームです。

2021年1月10日 主日礼拝メッセージ

「主の御後について進もう~エリシャの召命~」Ⅰ列王記19章19~21節、ルカの福音書9章23節 金田洋介牧師

 Ⅰ.エリシャへの招き

エリヤは神の山ホレブを降りて行くと、牛と共に畑を耕すエリシャを見つけます。そして、エリヤが彼のところを通り過ぎるとき自分の外套を彼に掛けた…。これは、エリシャが後継者として召されたことを意味しています。エリシャは両親への挨拶の了解をエリヤから得ると、これまで使用していた用具を処分し、召して下さった神への感謝と家族への別れの宴を催しました(21節)。エリヤの「私があなたに何をしたか(19節)」という言葉は、「私は神の命じられた通りにしたに過ぎず、神の招きに応答し、決断したのはエリシャ自身なのだから、別れを告げるなり何なり、自由にしなさい」ということ。エリシャはエリヤの言葉に、主の招きへの応答の重さを実感したことでしょう。覚えておきたい大切な事は、「私は(が)主に従って行くのだ」という、私たち一人一人の信仰と決断です。

Ⅱ.イエスからの招き

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(ルカ9:23)イエスを信じた人はみなイエスの弟子です。イエスの招きに応えようではありませんか。

①自分を捨てるとは、自分は自分のものではなく、神のものであると信じ、認めること。聖書は、私たちが代価を払って買い取られた存在であると教えています(Ⅰコリ6:20)。代価とはイエスの命です。イエスの尊い命を犠牲にして、私たちはサタンの支配、罪と死の支配から救われ、神の子とされました。ですから、神のものであることを自覚し、神中心に生きようではありませんか。

②自分の十字架を負うとは、神の御心に従うということです。イエスは神の御心、ご計画に従い、私たちの救いのために十字架を背負われました。私たちもイエスに倣って、神の御心とご計画に従って生きるのです。

自分を捨て、自分の十字架を負う歩みは、決して容易なことではありませんが、私たちの助け主であるイエスは、私たちと共に歩んでくださり、導いてくださいます。力強い主イエスの御後をついて歩んで参りましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユリ、アルストロメリア、千両です。

 

2021年1月3日 主日礼拝メッセージ

「わたしの臨在がともに行く」出エジプト記 33章12~17節 金田洋介牧師

本日の33章の前に起こった出来事を確認しましょう。

モーセがシナイ山から戻らないことに不安を覚えた民は、金の子牛をエジプトから救い出した神として崇めるという、愚かな罪を犯してしまいます。神の激しい怒りが下り、大勢の民が打たれます。しかし、モーセの必死にとりなしにより、神は怒りを静められました。そして33章に入っていきます。

神はカナンの地に民を導くようモーセに命じますが、神ご自身は一緒に行かれないと告げます。いとも簡単に神の戒めを破ってしまう民を、ご自身の聖さのゆえに滅ぼしてしまわないようにするためだというのです。そこでモーセは、真実を全うされる神を信じて、誠実な態度と言葉で訴えます。神はモーセにわたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」(14節) と答えます。臨在とは、いつも共にいて下さる神が、私たちに分かるように、交わることができるように、ご自身を表して下さることですが、「臨在」と訳された語は、源語では「顔」を意味します。「わたしの顔がともに行く」と言われたのです。とても不思議に感じますが、「顔」はその人の存在を最もよく表します。ですから、神の存在そのものが一緒に行くということなのです。新しい年、どのような事が起こるか分かりませんが、神ご自身があなたとともに歩んで下さるのです。それも、明確に分かるように。何と幸いなことでしょうか。

さらにモーセはとりなして訴えます。「あなたの臨在が私たちとともにいて下さらないなら、進ませないで下さい」(15~16節)と。モーセは自分の無力さを認め、そして神の民イスラエルは、神の臨在があってこそ神の民であることを訴えます。神はモーセの訴えを聞き入れられ、イスラエルの民と共に進むと約束し、ご自身の言葉を果たされます(申8:4、ヨシュア24:13)。

この神が新しい一年もあなたと共に歩んで下さり、安息を与えて下さいます。そして、あなたの家族と共に歩んで下さるのです。「主よ、この年も私と、私の家族と、とも歩んで下さい。そして安息を下さい」と、心から祈り願って、新しい一年をスタートしようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、松、ユリ、オンシジューム、カーネーション、千両、スイートピー、ミニバラです。

2020年12月27日 主日礼拝メッセージ

「主を喜ぶことは力」 ネヘミヤ記8章1~12節 金田洋介牧師

 イスラエルの民はバビロンから帰還こそしましたが、国も、王も、自治権も、神の民としてのアイデンティティも、何もかも失っていました。そのような中で、神殿や城壁が再建されたのはまさに奇跡の出来事で、神の偉大な力以外の何ものでもありませんでした。神の力を体験した民の信仰の目は、次第に開かれ始めたのです。イスラエルの民のその後の姿に注目しましょう。

Ⅰ.神の御言葉を聴くイスラエルの民

神の言葉に飢え渇いていたイスラエルの民は、モーセの律法に一生懸命耳を傾けました。御言葉を聞いた民は、神の祝福を失った原因が神に背き続けた罪にあったこと、国の滅亡もバビロン捕囚も、全て神が告げられた通りになったことを知り、嘆き悲しみました。すると、律法学者であり祭司であるエズラは、嘆き悲しむ民に向かって「悲しんではならない。【主】を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」と語りました。

Ⅱ.主を喜ぶとは?また力とは?

確かにイスラエルの民は神に背き、大きな罪を犯しました。神の言葉の通りに民は裁かれました。しかし、滅亡から70年後、神は約束通りに民を捕囚から帰還させ、破壊された神殿と城壁が再建されたのです。エズラが語った主を喜ぶとは、「この愛と憐れみに満ちた神がイスラエルの神であること、このお方があなたがたの力(避け所、守る力)となって下さることを喜びなさい」と教えたのです。

2020年は困難の多かった年でした。しかし、イスラエルに真実を尽くし、愛と憐れみを注がれた神はあなたの神です。もし、あなたが神の言葉に心を開いて耳を傾け、あなたを救うためにイエスを十字架に死なせてまで愛して下さったことを信じ、心から喜ぶなら、神はあなたの力(避け所、守る力)となって下さるのです。そして、イスラエルの民が体験したように、神の御言葉に従う喜びに満たして下さるのです。主の御守りに感謝し、期待を持って新年を迎えましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、イトスギ、グロリオサ、ユリ、アンスリウムです。

 

2020年12月20日 クリスマス礼拝メッセージ

「救い主イエスの誕生」イザヤ書7章14節,マタイの福音書1章23節 金田洋介牧師

 クリスマスおめでとうございます。救い主イエスの誕生をお祝いしましょう。

Ⅰ.その名はインマヌエル~神、我らと共に~

イザヤは救い主誕生の預言を、イエス誕生の700年以上も前に預言していました。『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。』と。インマヌエル(神、我らと共にいます)と呼ばれる救い主は、その名が意味しているように、常に私たちと共におられるお方なのです。

今年は未だかつて経験したことのないウイルスに世界中が翻弄され、また、自然災害によって多くの被害がもたらされました。その上、私たちの身近に起こる様々な問題にも悩まされました。それこそ、「神が共におられる」という信仰を揺るがす程の痛みや困難を経験したことでしょう。しかし救い主は、悩み苦しみが人々を襲い、罪の闇が世界を覆っている、そのただ中に誕生されたのです。インマヌエルであられる救い主を深く思うことのできるクリスマスとなりますように。

Ⅱ.その名はイエス~我らの救い主~

『「…その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」』ヨセフの夢に現れた御使いは、聖霊によってマリアから生まれるイエス(主は救うの意)は、その名が意味しているように「人々を罪から救う」と神のご計画を告げました。そしてイエスは、十字架の死と復活によって救いを完成して下さったのです。このイエスを信じる者は誰でも、罪の死と永遠の滅びから救われるばかりか、『…万物をご自分に従わせることさえできる御力によって…』(ピリピ3:21)復活のからだに与ることができると聖書は語っています。

これまで何度も語ってきたことですが、私たちの力ではどうすることもできない、罪と死の問題を解決して下さったばかりか、永遠に生きる命と復活の体をも与えることができる程のお方が、私たちの現実に立ちはだかる問題を解決してくださらないはずがあるでしょうか。「我らの救い主、その名はイエス!」この方以外には救いはありません(使徒4:12)。我らの救い主イエスの誕生を喜びましょう。そして、その御力を体験させていただこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、イトスギ(ブルーアイズ)、ユリ、ミニバラ、アルストロメリアです。

 

🎄ミセス・プリスカのひとりごと クリスマス・スペシャル🎄

ミセス・プリスカのクリスマスメッセージ~聖書を開きながらお読みくださいね。

ルカの福音書2章1~20節

アドベントのある日、高校三年の息子が「お母さん、星がす~ごく綺麗だから、ちょっと外に出ません?」と私に声を掛けてくれました。夫は塾に行っている娘を迎えに出ていました。どれどれ、とコートを着て外に出ると、その日は寒波のせいで空が澄んでいて、美しい冬の星空が拡がっていました。「今日は、ふたご座流星群が見える日なんだよ」「へえ、そうなの」。

冬の星空を見ると、私が毎年思い起こすのが、イエス様がお生まれになった日のベツレヘムと、羊飼いたちの物語。羊飼いというのは、当時、最も身分が低く、貧しい人々でした。町に定住できませんので、当時のパリサイ人が定めている律法を行うことができなかった人たちです。人々が人口登録している中で、おそらく人口にも数えられず、野宿をしていたのです。そういう扱いを受けていた人々が、羊飼いでした。しかし、救い主の誕生の知らせを、直接、御使いから聞くにふさわしいとされたのは、この名もなき羊飼いたちだったのです。預言者たちですら、幻の中でしか見られない光景を、羊飼いたちはその目で直接見て、聞いたのです。

この羊飼いたちの物語というのは、クリスマスというものが本来、どういうものだったかを現わしている出来事だと思うんですね。羊飼いたちの暗い現実。彼らには、人々に虐げられながら、貧しく厳しい日々を送る現実というものがありました。私たちは、今でこそアドベントをワクワク、楽しい気分で過ごすわけですが、世界で初めのクリスマスの背景というのは、そういうワクワクした楽しいものではなかった。真逆です。国としてはローマの属国にされていた。そのなかでも、最も厳しい日々を送っていたのが、羊飼いたちでした。そんな彼らを、神様はその栄光で照らしてくださったのです。罪に満ちた暗い世界を照らす、光。そして、暗い現実の中に生きる最も弱い者たちを照らす、光。注目したいのは、この、主の栄光の光です。

14節後半に「地の上で、平和が、みこころにかなう人々にあるように。」とありますが、まさに、神様の御心にかなう人々はこの羊飼いたちでした。平和があるようにと神様の祝福の御言葉を受け、栄光に照らされたのはこの羊飼いたちでした。ベツレヘムで救い主と対面した彼らは、神を賛美しながら、彼らの現実に帰っていきました。現状は何も変わりません。しかし、平和があるようにという祝福の御言葉、栄光の光は彼らの生涯を照らし続けたのです。

私たちも、この光を受けた者である、ということを確認したいのです。主イエス様は、私たちの光です。ヨハネの福音書1章では、イエス様はまことの光として紹介されています。4~5節「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」。主イエス様を信じて従う人は、常に、イエス様という光を心に宿しており、イエス様の栄光に照らされながら歩んでいるのです。羊飼いたちが、おびただしい数の天の軍勢に囲まれ、主の栄光に照らされながら「平和がみこころになかう人々にあるように」と受けた祝福は、主イエス様を信じ従う者たちに向けられた光であり、祝福です。

新型コロナウイルスの感染が広がり始め、人々に不安が押し寄せている時、私は、出エジプト記のある個所を思い巡らしていました。モーセがイスラエルの民をエジプトから脱出させるとき、神様がファラオに対して次々としるしを行われる箇所です。その中で、エジプト全土が真っ暗闇になったというしるしが出てきます。しかし、イスラエルが住んでいるゴシェンという場所だけは光があったというんですね。出エジプト記10章23節「人々は三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立つこともできなかった。しかし、イスラエルの子らのすべてには、住んでいる所に光があった」。この光は、神様が共におられるという臨在の光です。主イエス様を信じ従うものの上には、同じように、常に臨在の光があるのです。

私はクリスチャンホームで生まれ育って、クリスマスは常に教会で過ごしてきました。いろんな楽しい思い出があります。熊本に来てからも、クリスマスを迎える時は皆さんと様々な準備をして。本当に忙しい時期ですが、大変うれしく感謝な時間を過ごしてきました。しかし、今年ほど、頭を悩ませ、暗く感じるクリスマスは体験したことがありません。皆さんも同じく少し寂しい気持ちでしょう。

しかし、こんな時だからこそ、私たちは世界で初めのクリスマスに思いを馳せることができるのです。暗い現実があるからこそ、神様が照らしてくださる光があることを確認できるのです。厳しい現実を生きていた羊飼いたちを照らした光、祝福の言葉、それはあなたにも今、与えられている光であり、祝福なのです。たとえあなたが、どんな状況で、どんな気持ちでいようとも。こんな時だからこそ、心からメリークリスマス! 私のまわりには、常に神様の栄光が、臨在の光が満ちています。

「お、ふたご座流星群の流れ星!今見えた!」「僕も見えた!」。息子と美しい星空を眺めながら、羊飼いたちが見たであろうベツレヘムの夜空に思いを馳せるプリスカでした。

熊本真愛教会も、クリスマスイルミネーションをしてみました。ちょっと地味ですが、光としてこの地上に来てくださったイエス様に、思いをはせたいと思います。

クリスマスと言えばポインセチアですね。赤はイエス様の十字架の血潮、緑は永遠の命を象徴していると言われています。
他のお花たちも可憐です。

昨年より教会がリフォームされ、教会の壁もきれいになりました。小さなリースですが、窓の上に飾ってみました。

 

 

 

 

2020年12月13日 主日礼拝メッセージ

「ダビデの子ヨセフへの告知」 マタイの福音書1章18~25節 金田洋介牧師

 Ⅰ.ヨセフの人となり

聖霊によってイエスを身ごもったマリア。神の真意を知らないヨセフは、さんざん悩んだ末、密かにマリアと離縁することを決断します(18節)。それは、「ヨセフは正しい人であったので」(19節)そのように決断したというのです。しかし、もし彼が本当に「正しい人」であるならば、律法に則ってマリアを訴え出るはずですが、彼はそうしませんでした。実はこの決断こそが、彼が「正しい人」と呼ばれる理由なのです。ヨセフ自身も悩み苦しみましたがマリアを責めることなく、憐れみの心で覆いました。彼が単に律法を守る人ではなく、深い憐れみの心を持ち、愛に生きる人だからこそ「正しい人」と呼ばれたのです。そして、彼の姿に聖書が語る愛の性質を見ることができます(Ⅰコリント13:4~7)。ヨセフの人となりは寛容で、情け深く、全てを忍び、全てを耐える愛を持つ人でした。神が彼をイエスの父(養父)として選ばれた理由が、彼が単にダビデの血筋だからではないことがわかります。

Ⅱ.ヨセフの決断 

ある時、マリアの事を思い巡らしていたヨセフの夢に御使いが現れ、マリアの懐妊が聖霊の力によるものであり、人々を罪から救う神の御子であることが明かされました。御使いはマリアの時と同様、ヨセフにも「恐れずに(心配しないで)」と言葉をかけたのでした。夢から覚めたヨセフに迷いはありません。彼はマリアを妻として迎え、生まれた子に「イエス」と名付け、救い主の父となったのです。

神のご計画に従ったヨセフとマリアは、イエスの父母となりました。彼らの決断の背後には、共にいて下さる神(インマヌエル)への信仰と信頼によるものです。彼らと共にいて下さった神は今も生きておられ、あなたと共にいて下さる神です。クリスマスは、いつも共にいて下さる神を覚える日でもあるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、オンシジューム、ユリ、ヤナギ、ストックです。

 

2020年12月6日 主日礼拝メッセージ

「救い主を待つシメオンとアンナ」ルカ2:21-38 金田洋介牧師

本日はルカ2章を開いています。エルサレムの神殿でヨセフ一家がシメオンと、女預言者アンナに出会ったエピソードです。

ヨセフとマリアは神の律法に従い(レビ記6章)、生まれて間もないイエスを抱き、ささげものを携えて神殿へとやって来ました。するとそこに聖霊に導かれて神殿に入ってきたシメオンと出会います。シメオンは信仰が篤く、聖霊が彼と共にあり、また、「救い主に会うまで死なない」と聖霊に告げられていました。彼が赤子のイエスを抱きかかえると、神をほめたたえながら、「私の目が神の御救いを見た」と告白します。神がユダヤ人のみならず、異邦人をも救うご計画をイエスを通し成就されることを、シメオンは聖霊によって悟ったのです。同じく、女預言者アンナも赤子のイエスを見て、神の救いのご計画が実現したと確信し、メシアの誕生を待ち望んでいた人々に救いの到来を語り伝えました。救い主を待ち望んでいたシメオンとアンナ。彼らがまだ赤子に過ぎないイエスを救い主だと信じ、確信できたことは本当に不思議なことですが、これは聖霊の力によるものです。聖霊は真理の御霊であると、後にイエスは教えられました。私たちも同様に、聖霊の助けによって、イエスを「救い主」と信じ、告白できるのです。

預言者イザヤは、救い主について預言しました。救い主は「不思議な助言者(ワンダフルカウンセラー)」、「力ある神」、「永遠の父」、「平和の君」であると。救い主は何でもご存じで、最良の助言者として共にいて下さいます。そして、全能の神であり、私たちを守り、御言葉を行う力をも与えて下さいます。いつでも、どこでも共にいて下さる永遠不変のお方。罪によって破壊された神と人間との関係を回復し、神との和解と平和、人と人との和解と平和を与えて下さるお方です。この預言は成就しました。まさにイエス・キリストこそ、そのお方なのです。

聖霊によって、「イエスは主である」と告白する人たちが起こされるように祈りましょう。そして、シメオンとアンナが神の御言葉の約束を信じて待ち望んだように、「再び来る」と約束された再臨の主イエスを、信じて待ち望みましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ドラセナ、ゆり、グロリオサです。

2020年 クリスマス集会のお知らせ

熊本真愛教会では、2020年クリスマス集会を下記の通り開催します。新型コロナウィルス感染拡大防止に留意しつつ、今年も救い主イエス・キリストのご降誕をお祝いいたしましょう。皆様のお越しをお待ちしております。

※新型コロナウィルスの状況により、予告なく中止する場合があります。お越しの際は、お電話にてご確認ください。

 

http://church.ne.jp/kumamoto-shinai/wp/wp-content/uploads/2020/12/2020キッズクリスマス表.pdf

http://church.ne.jp/kumamoto-shinai/wp/wp-content/uploads/2020/12/2020キッズクリスマス裏.pdf

http://church.ne.jp/kumamoto-shinai/wp/wp-content/uploads/2020/12/2020 クリスマス集会のお知らせ.pdf

熊本真愛教会 新型コロナウィルス感染予防ガイドライン

熊本真愛教会では、新型コロナウィルス感染拡大防止のために、下記のような礼拝出席に関するガイドラインを設けています。

 

熊本真愛教会新型コロナウィルス感染予防ガイドライン

①各自日頃の体調管理に気をつけて、発熱、身体のだるさ、咳、息苦しさ、味覚嗅覚異常など、身体の不調を感じる時、また感染に関して不安がある場合は、礼拝出席はお控えください。

②コロナウイルス陽性の判定が出た場合、また濃厚接触者と認定された場合は、保健所の要請に従って、就業制限期間が終了した後に礼拝に出席してください。

③教会に入る前、教会から帰る時に手指消毒、あるいは石けんで念入りに手洗いをしてください。

④教会内では、小学生以上はマスク着用を必須とし、未就学児については保護者の判断とします。

⑤会堂に入る前に、受付で検温してください。体温計は受付担当者のみが操作する事とし、操作の前後は消毒するようにしてください。

⑥教会備品の聖書、新聖歌は貸し出し禁止とし、各自自分の物を持参するか、パワーポイントの画面を活用してください。

⑦新来会者は、感染拡大防止の観点から必ず連絡先を記載するようにしてください。

⑧礼拝終了後は速やかに(12:30を目途に)教会から帰るようにし、残って奉仕をする必要がある場合は金田師に申し出てください。また礼拝終了後基本的に教会は閉鎖するものとし、子どもたちが教会に残る、来る場合も金田師に申し出る事とします。その際はガイドラインに準じて来ていただくようお願いします。

⑨礼拝奉仕者であっても、ガイドラインを優先します。

今後も感染状況に応じて、柔軟に一斉Zoom礼拝に切り替えていきます。Zoomや録音CDを活用して、感染拡大予防につとめつつ礼拝生活をしていただきますようお願いします。引き続き蜜を避ける事、換気をする事もご協力お願いいたします。共にコロナウィルスが終息しますよう祈ってまいりましょう。