今から2000年前、使徒パウロは宇宙全体(被造物)がうめき苦しんでいると下記のように述べています。人々は自分の創り主である神を離れて自分中心で生きています。〇〇ファーストです。しかし、宇宙は神の子の出現を切望しているのです。それは私が、そしてあなたが自分の霊魂の中にキリストの霊の種を植え着けて頂くことです。するとこの人はこの代にあってすでに神の子として生まれ変わった、即ち原人類ホモサピエンスを越えた新人種の誕生なのです。
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していまが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。(ローマの信徒への手紙8章19節~22節
以下は「福田秀雄新約聖書注解全集6ローマの信徒への手紙」より引用
◎被造物
創世記一章一節以下に記されるすべての被造物です。日も月も、草も木も、魚も鳥も、あらゆる動・植物も、そして全人類も皆、神の被造物です。
◎神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
全宇宙はなぜこれほどまでに、神の子たちの出現を待ち望んでいるのでしょうか。それは、
◎被造物は虚無に服して
しまったからである、とパウロは言うのです。
「虚無に服す」は、「空虚で、目的のない、全く不安定な状態」を表わしています。神は明確な目的を持って、天と地とを創造されたのです。そして、その創造が終わった時、神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。(創世記1・31)とあるように、神はご自身の創造の業に大満足されたのです。すなわち、神の創造は、虚無、空虚、無目的ではなく、完全だったのです。ところが事もあろうに、神ご自身の形に似せて造られた人間が、この完全さを壊してしまったのです。神は全被造物を、神の代りに人に管理させようとされたのですが、人は神に反逆し、神より離れてしまいました。この結果、人間は目的のない、虚無な、不安定な動物と化してしまいました。この時人は神性を喪失し、獣性に生きる者となってしまったのです。こうして、この地上から神の代理人が消え失せることによって、地上は大混乱の状態となりました。ノアの箱舟以後の人類の歴史が明らかに示すとおり、人類は殺戮と暴虐でこの地上を汚してきました。遠く歴史をさかのぼらないまでも、今日の地球の姿を見れば、それがいかに汚れているかがわかります。神の子となり得る人間が互いに戦い、強欲な者が弱い者を虐げるが故に、多くの飢餓民を生み出しています。そして、全世界において自然破壊が続き、広大な地域が砂漠化しつつあるのです。このような虚無に苦しんでいる地球が、今一番望んでいるのは、アダムが罪を犯す以前、神の子であった、その神の子たちの