10月13日21時NHK スペシャルでの番組で、健康長寿に一番大切なものは「読書」であることが分かったというものでした。AIが導きだしたものでした。私はこれを60年以上毎日続けてきたことを思い感謝に堪えません。しかもそれは「聖書」ずっと毎日30分~1時間読んできたのです。聖書は毎日何十年読み続けても飽きるるどころか、日々に新たな感動とインスピレーションを与えられるのです。
イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。ヘブル13:8
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10月13日21時NHK スペシャルでの番組で、健康長寿に一番大切なものは「読書」であることが分かったというものでした。AIが導きだしたものでした。私はこれを60年以上毎日続けてきたことを思い感謝に堪えません。しかもそれは「聖書」ずっと毎日30分~1時間読んできたのです。聖書は毎日何十年読み続けても飽きるるどころか、日々に新たな感動とインスピレーションを与えられるのです。
イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。ヘブル13:8
7月10日は私の69回目のバプテスマ記念日!
今かから69年前の今日、私は生涯を主に捧げる思いを抱いてバプテスマを受けたのです。私が20歳の時でした。それからほとんど70年、私は変わることなくキリストの愛と、十字架の福音とを伝えることにすべての犠牲を惜しみませんでした。そのためには家族に多くの犠牲を強いえてきたことも知ります。時にはそれは失敗ではなかったかとの思いを抱くこともありました。しかし、すべてをみそなわし、ご存知の主は御心に留めてお許しくださると思います。残された日々、主が許して下さる日まで、同じことを続けます。なぜならば、
わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだか らです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。(コリント第一9章16節)
私も守って下さらなかった、私は罪の深みに溺れて死んでしまっていたことであろう。キリストは過ぎ
し30年を私を守りただしました。主は私の良い羊飼いでです私も主牧場の中で一頭の小さき羊であることを許されたのである。私は主羊飼いの御声を知り、その御声だけにしたきた(ヨハネ
私も私の家族も共にサタン(悪魔)の餌食となってしまっていた10:1〜18、特に4節と11節参照)。でも良い羊飼いが私を見守って下さらなかったならば、あろう。そうしてとうの昔に、滅びてるしまってるいかたことかで
あろう。私は、主と主の御名とは限らないほめたてる。アーメン。
(これは今から40年前、私が月刊「聖書の友」に載せたものである。今日はばしば色々な誘惑に負けてしまった人の見聞きするとき、キリスト によって生きる人生を送るならサタンの餌食にならないでむむのに思って得ることなく)。
If Christ had not rescued me, I would have drowned in the depth of sins.
He has guided and led me for these thirty years. He has been my good shepherd and I have been His little sheep in His pasture. I have heard His voice and I have followed Him (John 10:1~18 specially vv.4,11).
If the Good Shepherd had not watched over me, I and my family would have been a prey to Satan and perished long ago. I praise the Lord. (from my monthly book・let ‘Friend of the Bible’(Nov. 1978)
(I wrote this 40 yewars ago, I am still in His pasture, so I am safe.)
なぜなら、神から生まれた人は皆世に勝つことができます、そして、この世に勝たしめてくれるものは、私たちの信仰なのです。即ち、イエスは神の子であると信じる人以外に世に勝てる人はいません。(ヨハネの第一の手紙5章4節、5節)
しかし、愛する皆さん。あなたがたは聖霊によって祈りつつ、あなたがたの最も聖なる信仰の上に、あなたがたを築きあげて下さい。永遠の命へと導いて下さるあなたがたの主、イエス・キリストの憐れみを求めつつ、あなたがた自身を神の中にしっかり置くように努めなさい。(ユダの手紙20節、21節)「以上福田私訳」
その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。 わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。(コロサイ1:26~28節)
聖書は大なり、されども生けるキリストは聖書よりも大なり。われらもし聖書を学んで彼に接せざれば、われらの目的を達せりというあたわず。聖書は過去における生けるキリストの行動の記録なり。しかしてわれらは今日彼の霊を受けて、新たに聖書を作らざるべからず。古き聖書を読んで新しき聖書を作らざる者は、聖書を正当に解釈せし者にあらず。聖書はなお未完の書なり。しかしてわれらはこれにその末章を作るの材料を供せざるべからず。今より100年以上も前、内村鑑三先生の「一日一生」より
On the day before Christ was crucified, He was prayng to God.
Then he went off from them about the distance of a stone’s throw and knelt down and prayed.
“Father,” he said, “if you will, take this cup of suffering away from me. Not my will, however,
but your will be done.” (Luk22:41,42)
And next morning at about 9 o’clock, He was nailed to the cross as a sinner. God’s will was not to save Him from the suffering of the cross. God cursed him instead of our sin. By doing this God opened the way for every one of us, if we believe in Christ to become God’s children.
It is amazing grace that saved a wretch like me! Yes, everyone ought to know what Jesus did for us. When one recieves this grace, he or she, everyone will be competely changed as a new born being. That is a true God’s child.
1.Young leaves rustle in the wind, Singing “Sa Sa Sa” with May wind.
Overflowing with new life, Bright morning in early summer,
Praising the name of the Lord, singing His glory.
2. Lovely flowers are swaying in my garden, Giving out fragrance “Ra Ra Ra” in May wind.
Overflowing with sweet smells ,Sunny afternoon in early summer,
Praising the name of the Lord, singing His glory.
3.My heart feels in the wind, Being filled with the Lord’s Spirit,
Overflowing with heavenly grace, Calm evening in early summer.
Praising the name of the Lord, singing His glory.
I like green leaves in early May,It’s soft, so soft and tender to my eyes.It’s full of new life.
My heart becomes so much comforted, May is the month of the new spirit.
Pentecost soon comes that opens my eyes in the heart, So that I’ll be able to see the holy plan of God.
The above was in the monthly booklet of [The Friend of the Bible] in 1999 May.
I was serving a local church in Tokyo.
5 月 の 風(霊)
1.5月の風に そよぐ若葉はさささ、さささと歌いつつ 命溢れる 初夏の朝 御名をたたえん さんびせん
2.5月の風に ゆれる花々 ららら、らららとかぐわしい 香り溢れる 初夏の昼 御名をたたえん さんびせん
3.5月の風に ふれる心は 主の聖霊に満たされる 恵み溢れる 初夏の夕 御名をたたえん さんびせん アーメン
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。(ヨハネ3:8)
私は5月初旬が好きです。木々の柔らかいもえ木の葉が目に優しく映ります。ギリシア語では「風」と「霊」は同じ単語です。pneuma(プニューマ)と言います。私が毎日聖書を読み、思索し、注解書を書いている所は上に記した様な所です。木々の枝でそよ風が「さささ、さささ」とささやきます。花壇にはかぐわしい花々が咲きこぼれています。裏山の雑木林では小鳥たちがさえずっています。
5月の風は、時には「さささ」と、時には「そよそよ」と私の全身に触れます。ペンテコステ(聖霊降臨節、今年は5月20日)も間近です。「聖霊」(ハギオス プニューマ)という風がいつも吹いて、私の全身に注がれている限り、私は汚れた空気(不義、不正、争い、怒り、利己心、泥酔など)から守られています。1日も早く、日本全体を覆うこれらの汚れを吹き消す霊風が吹きますように!
以上は 私が発行していた月刊誌「聖書の友」1999年5月号の巻頭に載せたものから、転用しました。
上記は「月刊誌 聖書の友」1998年9月号から転載
今から2000年前、使徒パウロは宇宙全体(被造物)がうめき苦しんでいると下記のように述べています。人々は自分の創り主である神を離れて自分中心で生きています。〇〇ファーストです。しかし、宇宙は神の子の出現を切望しているのです。それは私が、そしてあなたが自分の霊魂の中にキリストの霊の種を植え着けて頂くことです。するとこの人はこの代にあってすでに神の子として生まれ変わった、即ち原人類ホモサピエンスを越えた新人種の誕生なのです。
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していまが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。(ローマの信徒への手紙8章19節~22節
以下は「福田秀雄新約聖書注解全集6ローマの信徒への手紙」より引用
◎被造物
創世記一章一節以下に記されるすべての被造物です。日も月も、草も木も、魚も鳥も、あらゆる動・植物も、そして全人類も皆、神の被造物です。
◎神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
全宇宙はなぜこれほどまでに、神の子たちの出現を待ち望んでいるのでしょうか。それは、
◎被造物は虚無に服して
しまったからである、とパウロは言うのです。
「虚無に服す」は、「空虚で、目的のない、全く不安定な状態」を表わしています。神は明確な目的を持って、天と地とを創造されたのです。そして、その創造が終わった時、神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。(創世記1・31)とあるように、神はご自身の創造の業に大満足されたのです。すなわち、神の創造は、虚無、空虚、無目的ではなく、完全だったのです。ところが事もあろうに、神ご自身の形に似せて造られた人間が、この完全さを壊してしまったのです。神は全被造物を、神の代りに人に管理させようとされたのですが、人は神に反逆し、神より離れてしまいました。この結果、人間は目的のない、虚無な、不安定な動物と化してしまいました。この時人は神性を喪失し、獣性に生きる者となってしまったのです。こうして、この地上から神の代理人が消え失せることによって、地上は大混乱の状態となりました。ノアの箱舟以後の人類の歴史が明らかに示すとおり、人類は殺戮と暴虐でこの地上を汚してきました。遠く歴史をさかのぼらないまでも、今日の地球の姿を見れば、それがいかに汚れているかがわかります。神の子となり得る人間が互いに戦い、強欲な者が弱い者を虐げるが故に、多くの飢餓民を生み出しています。そして、全世界において自然破壊が続き、広大な地域が砂漠化しつつあるのです。このような虚無に苦しんでいる地球が、今一番望んでいるのは、アダムが罪を犯す以前、神の子であった、その神の子たちの