投稿者「mayumi」のアーカイブ

2019年1月13日 主日礼拝メッセージ

「子供たちを神の御前に 子どものように神の御前へ」 マルコの福音書 10章13~16節

Ⅰ.子どもたちを神の御前に

律法の教師に祝福を祈ってもらうという当時の習慣から、人々が子供たちを連れてイエスのもとに集まって来ました。ところがイエスの弟子たちは彼らを叱り、止めさせたのです。当時の子どもたちが軽んじられていたことがわかります。すると、その様子を見ていたイエスは憤られ、「子どもたちを来させなさい。神の国はこのような者たちのものである」と言って、彼らを祝福されました。 神の国とは、誰にでも等しく与えられる神の祝福を求めてイエスの許に来たこの光景を指しています。そして神の国は、この世の社会的立場や価値観に捉われず、ただ神の御心が行われる国なのです。

私たちは子供たちを神の御前に連れてくるということを大切にしたいのです。子どもたちが安心して教会に来ることができる環境を整え、子供たちを教会に送ってくださるように神に祈り求めるのです。彼らが神の豊かな祝福に与るために、神の御言葉に養われて成長していくために、労を惜しまず、積極的に神の御前に導きましょう。

Ⅱ.子どものように神の御前へ

次に、イエスは「子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに入ることはできません」と言われました。神の国とは、神が支配しておられる天の御国のことですが、これは単に場所だけを指すのではありません。神の国(神の支配)は、私たちにも及びます。つまり、神を信じる信仰によって、自分中心に生きる人生から、神を中心に生きる人生にシフトし、全生活に神の介入を受け入れるということです。この神の国(支配)に入るためには「子どものように」ならなければなりません。では、「幼な子のようになる」とはどういうことでしょうか。子どもは幼ければ幼いほど疑うことを知りませんし、いつも自然体です。つまり「疑わないで」神を信じ、「ありのままの姿で」神の御前へ出るということです。そうすることで初めて、神の国(神の支配)を受け入れられ、素晴らしい祝福に与ることができるのです。「子どものように神の御前へ」、神の御許こそ、私たちの行くべきところなのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ユーカリ、ゆり、スターチス、トルコキキョウです。

葉牡丹が活躍する季節になりました。よく見ると、花の真ん中に朝露がキラキラ光っていました。写真ではわかりずらいのですが、それはとても美しいのです。
「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」マタイによる福音書6章28~30節。
11月30日早朝撮影

 

2019年1月6日 主日礼拝メッセージ

「強くあれ、雄々しくあれ」 ヨシュア記1章1節〜9節 金田ゆり牧師

モーセの死は、イスラエルの新しい時代の幕開けを意味しました。ヨシュアの使命はモーセとは違い、イスラエルを約束の地カナンに導き入れることでした。経験したことのない次のステージに進むヨシュアに、主は激励と確かな約束をされたのです。

①民全体で進め 3節〜4節

2節には「あなたとこの民はみな…」と主のご命令が語られます。全体で進め、と言われたのです。主の前に、誰一人として取り残されてはならない、ということです。新年、皆新しい抱負があろうかと思いますが、個人の喜びの為でなく、教会全体が喜び、次のステージに進むために達成させていただきたいのです。3節「すでにあなたがたに与えている」と主は言われました。「すでに与えたから安心せよ」というのです。主が与えようとされる祝福の領域に、私たちは一緒に入るのです。

②主が共におられるゆえに、強く雄々しくあれ 5節〜6節

5節「誰一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない 」とのヨシュアへの主のみ言葉は力強いものです。6節「強くあれ。雄々しくあれ」。成すべき使命はモーセ以上に厳しく、誰よりも大きな励ましが必要なヨシュアに、最大級の励ましの言葉をかけられました。主が共におられる、これは言うなれば勝利の約束なのです。主が共におられる、それゆえにわたしたちは、強く、雄々しく生きることができます さんみ言葉に従う時に強く雄々しく生きることができます。

③み言葉に従うときに、強く雄々しく生きることができる

しかし、好き勝手に生きて主が共におられるのではありません。主は、主のみ言葉に関して7節で「これを離れて右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである」と言われました。主がヨシュアに求められたのは、ただ一つ。み言葉を信じて従うことでした。み言葉を軽んじたイスラエル第一世代は、約束の地に入れませんでした。主は、み言葉と共におられるのです。主のみ言葉に従う、この一事に徹する。そこに主の臨在が常にあり、あなたと教会が栄える道があるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、松、トルコキキョウ、カーネーション、オンシジューム、千両、かすみ草です。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(楽しく、美味しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、親子丼、コールスローサラダ、お土産のお菓子たくさん、でした。
料金は、大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です

2019年1月 背骨コンディショニング・健康体操教室のお知らせ

熊本真愛教会では、2019年1月の背骨コンディショニング・健康体操教室を下記の日程で行います。地震以降、からだの不調を訴える方々のために、教会を会場に行っています。腰、肩、首、ひざなど、からだの痛みや自律神経失調症などの様々な不調を、体操によって改善していきます。

参加費は1000円です。先着10名となっておりますので、ご希望の方は教会までお電話でお申し込みください。☎096-389-4539

体操のできる服装でお越しください。

・1月 18日(金) 午後7:30~

・1月 19日(土) 午前 10:30~

・1月 26日(土) 午前 10:30~

インストラクターの指導のもと、体操を教えていただきます。自宅でもできると好評です。

↓一般社団法人 背骨コンディショニング協会のホームページはこちらです。

https://www.sebone-c.org/

2018年12月23日 主日礼拝メッセージ

「永遠の命を与えるために来たキリスト」 ヨハネの福音書 3章16節 金田洋介牧師

ヨハネ3章16節はとても有名な御言葉で、神が私たち一人一人を愛しておられるという、聖書が最も語りたいことがこの一節に集約されています。そして、この一節に救い主イエスの誕生の目的が明らかにされているのです。

Ⅰ.神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

「ひとり子」とは、主イエスを指し、父なる神にとって唯一の存在、スペアのない、たった一人の存在であるという意味です。神はご自身にとってかけがえのない存在であるひとり子イエスを、私たちの為に与えてくださるほど、私たちを愛してくださったと聖書は語っています。

Ⅱ.御子を信じる者が一人として滅びることなく

神がその「ひとり子」を世界に送られたのは、御子イエスを信じる者が「ひとりとして滅びることなく」とあります。神は、罪の結末である死と永遠の滅びから私たちを救うために、唯一の御子イエスを私たちのために犠牲にしてくださったのです。イエスを信じる人は誰でも、どんな罪でも赦されるのです。

Ⅲ.永遠の命を持つため

そしてクライマックスは、永遠の命に与ることができると聖書は約束しています。永遠のいのちとは、文字通り永遠に失われない命のことですが、永遠の命は神とともに生きる命、すなわち、神とあなたとの生きた交わりが回復されるということです。神は目には見えませんが、御言葉や祈り、礼拝を通して、神が共におられる確信と平安の日々を過ごすことができる素晴らしい命なのです。

今年は主イエス誕生の目的を福音書から学びました。主イエスは罪人を招くため、福音に仕える僕の姿を示すため、失われたものを探して救うため、そして、御子イエスを信じる者に、死と滅びからの救いと、神と共に生きる素晴らしい永遠の命を与えるために生まれて下さいました。クリスマスは、この素晴らしい主イエスの誕生を祝う日なのです。心からお祝いしましょう。Merry Christmas !

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ドラセナ、デルフィニュウム、アルストロメリア、トルコキキョウです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
この週はクリスマス礼拝後の持ち寄り愛さん会でした。美味しそうなお料理が並んでいます。

2018年12月16日 主日礼拝メッセージ

「失われた人を捜し、救うために来たキリスト」 マルコの福音書 19章1~10節 金田洋介牧師

今年のアドベントは、主イエスがお生まれ下さった目的を四福音書から学んでいます。本日のテキストには取税人ザアカイが登場します。

ザアカイは周囲から「罪人」と呼ばれるような人生を歩んできましたが、イエスと出会ったことによって、人生が180度変わります。彼は自分の財産の半分を貧民に施すことと、不正な取り立てに対しては四倍にして返すことをイエスに約束したのです。彼は「自分さえ良ければいい」という自己中心の生き方を止め、人のために与え尽くす道、そして、これまでうやむやにしてきた罪を素直に認め、悔い改め(方向転換)たのです。

イエスは「…人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」と言われました。愛なる神は、取税人ザアカイと同じように、罪に支配されている人を捜し出して救うために、救い主イエスをこの地上に遣わしてくださったのです。イエス誕生の目的は、神を信じないで生きている人、自分が罪人であることに気づかない人、認めない人を救うために来てくださったのです。

この「失われた者」とは、ザアカイに限らず彼のように主なる神を無視し、他者も顧みないで「自分さえよければいい」と自己中心に生きている全ての人を指しています。そして、それはクリスチャンであっても例外ではありません。たとえば、御言葉が心に示されていながら、それを無視して従わず、自分の思いのままに生きているとしたら、神と共に生きているとは言えません。それは、神の許から失われた状態と言えます。ですから、自らの信仰生活を日々顧みる必要があると思うのです。ザアカイの人生に起った素晴らしい御業が、私たちの人生の上に成されるように、御言葉に心から応答しましょう。

救い主イエスは、神の許から失われたあなたや、あなたの周りにいる家族や友人を救うために、お生まれくださいました。クリスマスは、あなたの救い主の誕生を祝う日です。2018年のクリスマスを心からお祝いしようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ドラセナ、デルフィニュウム、アルストロメリア、トルコキキョウです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、炊き込みご飯、ウインナー、味噌汁、お土産の鳩サブレ―もありました。
この日は午後からキッズクリスマスのイベントがあったため、片づけやすくパックランチでした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

 

2018年12月9日 主日礼拝メッセージ

「仕えるために来たキリスト」マルコの福音書10章35節~45節 金田ゆり牧師

キリスト降誕の目的は、イエスご自身が直接のお言葉で明らかにされています。 マルコの福音書においては、特に、イエスは「仕える」ために降誕されたというのです。イエスが言われる「仕える」とはいったい何か。真意に迫りたいと思います。

①仕えるリーダー、仕え合う教会

私たちの知る権力者たちは、自己実現と私利私欲の為に権力を用いることがしばしばです。しかしイエスは、上に立ちたいものは「仕える者になりなさい」「皆のしもべになりなさい」(43節~44節)と言われました。しもべとなることこそ、真のリーダーの姿だというのです。これは教会でも言えることです。教会は、誰かが力を握って意のままに動かすところではあってはなりません。互いにしもべとして仕え合う、このイエスのお言葉に従ってこそ、健全な信仰が育まれるのです。

②格差を求める人間の闇

イエスのお言葉の背景は、弟子のヤコブとヨハネが「一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください」(37節)と、 イエスに次ぐ地位の確約を求めてきたこと、同じように地位を求める弟子たちが腹を立てていたことにありました。人間は、根本的に格差を求める存在です。差をつけないと自分に価値を見出せないのです。神の御子イエスが、あなたの為に命を捨てられました。これ以上、何の価値をあなたの中に見出したいのですか。あなたは誰とも差をつけなくて良いのです。イエスの愛を知った者は、格差の闇から解放されていることを確認しましょう。

③イエスが言われる「仕える」とは

イエス「仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来た」。イエスは、私たちの罪の贖いの為に命まで捧げ尽くし、全きしもべとなられました。それは、私たちも真のしもべとなるためです。「仕える」とは、福音の為に仕え、犠牲を払うしもべとなる、ということなのです。私たちの歩み全てが、福音の為に仕えるしもべの歩みとなりますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ゆり、ブプレリュームです。

 

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、カレーライス、野菜の浅漬け、みかんです。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2018年12月2日 主日礼拝メッセージ

「罪人を招くために来たキリスト」 マタイの福音書 9章9節~13節金田洋介牧師

今年のアドベントは、四福音書から救い主イエス様の誕生の目的を四週に渡って取り上げたいと思います。第一週はマタイの福音書から、取税人マタイとイエスの姿から学びましょう。

ある時イエスは収税所にいたマタイに目を留め、「わたしに従ってきなさい」と言われました。彼は即座にイエスに従いました。おそらく、普段から満たすことのできない心の乾きがあったのでしょう。また、当時の取税人はみな不正 の利を貪っていましたから、普段から罪の責めを感じていたのかもしれません。しかしイエスは、彼の満たされない心、消えない罪の呵責に苦しむ心を全て見抜いておられたのです。マタイはイエスの弟子になりました。

その後、イエスはマタイの家で取税人や罪人たちと食事をしました。ところが、その様子を見ていたパリサイ人がイエスを非難しました(11節)。律法の教師が罪人と食卓を共にすることは罪であると信じていたからです。するとイエスは、「『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(13節)と言われました。これは、かつて神様の前に罪を犯していながらその罪を自覚せず、「自分たちは神様を心から愛して礼拝している」と自己満足していたイスラエルの民に、預言者を通して神様が語られた言葉です。神様が喜ばれるのは、罪を自認し、偽りのない姿で神の御前に遜って礼拝する姿。それこそが、神様に対する真実な愛であるということです。イエスは、自分は正しい人間だと思い込んでいたパリサイ人たちに、自分が取税人たちを裁く資格などない罪人であることを、認めることを願って言われたのです。そして、自分こそが、素直に罪を自認する人々を救うために来たと、ご自身の目的を明らかにされたのでした。

キリスト・イエスは罪人である私たちを救うために来ました。アドベントを過ごすにあたり、自らの生活を顧み、神様の喜ばれる歩みに導いていただきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ブプレリューム、ゆり(イエローウィン)、菊、ストックです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、親子丼、カブの浅漬け、カブの葉の油いため、みかんです。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。始めての方も無料です。

 

2018年 熊本真愛教会クリスマス集会のお知らせ

熊本真愛教会では、下記の日程でクリスマス集会を開催いたします。どなたでもご参加できますので、どうぞいらしてください。

・12月16日(日)13:30~ キッズクリスマス会
お子さん向けの楽しいクリスマス集会です。クリスマスのお話はもちろん、ゲームや抽選会、全員プレゼントもあります。

・12月23日(日)10:45~ クリスマス礼拝
どなたでも起こしいただけます。救い主の誕生をお祝いしましょう。昼食をご用意しています。

・12月24日(月・祝) 19:00~ キャンドルサービス
聖歌隊による賛美とクリスマスメッセージ、ろうそくの火を灯しながらの礼拝です。礼拝の後、お茶とケーキを用意しています。また、プレゼント交換をいたしますので、300円程度のプレゼントをご持参ください。

・12月26日(水)10:30~ ゴマちゃんクラブウィンタースペシャル
乳幼児から小学生と保護者向けのイベントです。イベントの後、昼食ご希望の方は大人200円、小学生以下100円です。

2018熊本真愛教会クリスマス集会のお知らせ

2018熊本真愛教会キッズクリスマス会のお知らせ

 

 

2018年11月25日 主日礼拝メッセージ

「人知を超えたキリストの愛」エペソ人への手紙3章14節~21節 金田ゆり牧師

エペソ人への手紙3章のパウロの祈り。この祈りは、教会とは何か、何を土台として存在しているのか?教会の本質を明確に教える壮大な祈りです。教会が成長するためには、教会の本質を見失わないようにしなければなりません。

1.心のうちにキリストを住まわせてください 16節~17節前半

「内なる人に働く御霊により」「心のうちにキリストを住まわせてくださいますように」とあります。私たちに教会の本質を教えたもうお方は、キリストの御霊、聖霊です。バプテスマのヨハネは、イエスを「この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります」(マルコ1章8節)と言いました。心の王座に聖霊を迎え、人生の主導権を明け渡すことです。これが教会成長の礎となります。

2.人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように 17節後半~19節

「愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがた」。聖霊に満たされた教会は、愛に基礎を置くのです。教会の本質は愛です。十字架は神の愛のしるしであるからです。愛がなければ、教会ではないのです。イエスは「互いに愛し合いなさい」と命じておられます。違いを超えて愛し合えるか、教会の真価が問われます。敵と思える人であっても、愛することを取り組んでみましょう。愛することを真剣に取り組み、その難しさ困難を覚える時、あなたはキリストの愛が「人知をはるかに超えた」ものであったと気づくことでしょう。

3.神の満ちあふれる豊かさに満たされますように 19節後半~21節

神は「愛し合いなさい」というイエスの言葉を忠実に守る教会を愛され、ご自身の力を惜しみなく現されます。「私たちが 願うところ、思うところすべてをはるかに超えて行うことのできる方」を、共に体験させていただこうではありませんか!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アレカヤシ、オンシジューム、ゆり、かすみ草、グラジオラスです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、手巻きずし、豚汁、ほうれん草のごまあえ、大根の浅漬けです。料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

教会員のペット紹介シリーズ
T家のミウちゃん(右・ミニチュアダックスフント、♀、15歳)とメルちゃん(左・ミニチュアダックスフント、♀、12歳)です。
いつもT家の家庭礼拝のときに、迎えてくれるワンちゃんたちです。
今日は冬のお洋服を着せてもらって、讃美歌を聞きながら、お昼寝しちゃいました。

 

 

 

2018年11月18日 主日礼拝メッセージ

「主を愛する人」ヨハネの福音書 14章15節~24節  金田洋介牧師 

「主イエスが私たちを愛しておられる」というメッセージをよく聞きます。罪深い私たちを主は心から憐み、十字架に命を捨てるほど愛して下さいました。しかし、主イエスに愛されていることはよく知っていても、主イエスを愛することについては、あまり考えたことがないのではないでしょうか。クリスチャンは主イエスを愛する人に変えられたことを覚えたいのです。

Ⅰ.主イエスを愛する人は、イエスの戒めを守る人

イエスを愛する人とは、主の戒め(御言葉)を守る人のことです (21節)。それは嫌々ではなく、強制でもなく、自ら進んで行います。イエスを愛しているからです。イエスを愛する愛が原動力となるのです。その一方で、イエスを愛さない人は主の戒めを守りません。それは、主なる神に逆らっていることと同じだとイエスは語っておられます(24節 )。では、イエスの戒めとは何なのでしょうか。それは私たちが互いに愛し合うことです (ヨハネの福音書13章34節)。 イエスは、①犠牲を厭わない愛、②遜りの愛、を現してくださいました。イエスに倣い、犠牲を厭わず、相手を自分より優れた者として愛する人(ピリピ人への手紙2章3節)、それが主イエスを愛する人の姿です。

Ⅱ.主イエスを愛する人に与えられる恵み

主イエスを愛する人を父なる神は愛し、イエスもその人を愛して、ご自身を現して下さると約束しています(21節)。主イエスを愛する人は誰でも、神の祝福に与り、神がいつも共にいてくださる確信と平安に満たされるのです。さらに、イエスご自身の聖さ、力、愛、強さ、憐れみ深さ、やさしさ、厳しさといったイエスのご性質が明らかにされ、イエスをより深く知ることができます。そしてこのイエスが、私たちの現実に生きて働いていることを体験するのです。主イエスを愛する人には、これ程の恵みが約束されているのです。

主イエスは命を懸けて私たちを愛してくださいました。私たちも主イエスの愛に応えて、進んで戒め(御言葉)を守り行い、豊かな恵みに与ろうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、白山木(やまてらし)、スターチス、オリエンタルユリ、菊です。

教会の玄関に置かれている寄せ植えです。ある姉妹が、四季折々のお花を植えて、お世話して下さっています。

秋らしい、すてきな色合いです。